第42話 渡河1


~前回までのあらすじ~

 ボクらは、天外山脈はサイラス山への道中にある。

 ボクはイチセにシノ様の隣のポジションを乗っ取られてピンチ。

 ミドウさん、かつてなくあなたに会いたいです。早くあいつを引き取って!


 ***


 街道から分岐して、草の中に消えかけている道を辿って六日目、ボクらは幅の広い河にぶつかった。


「わたしが渡ってきた場所まで、とりあえず案内します。途中で渡るのに良さそうな場所があったら言ってくださいね。

 しかし何日も開けずにまたこの河を渡る羽目になるなんて……」


 イチセはげんなりした顔を隠さず肩を落とした。


 イチセによると、この川はずっと西の方から流れていて、天外山脈に近づくためにはどうにかして渡らなければならないらしい。

 しかし毎年川の形が少しずつ変わるので、決まった渡りの道はないのだという。


 当然、橋なんて洒落たものはない。

 どうやら旅の難所に差し掛かったようだ。


 それから三日、河に沿って西進した。


 流れは緩やかだったが、いくら上流へ向かっても川幅は狭まる気配はなかった。

 時折、中洲ができて浅そうに見える場所もあったが、その分川幅が広がっているようにも見え、ここなら渡れる、とはっきり言いきれるものではない。


 イチセも自分が渡った場所が正解か、全く自信はないと言っていた。

 しかしアズマも含めてどこを渡るべきか分かる者などおらず、結局はイチセの渡った場所までずるずると渡河を遅らせた。


 イチセは切れ落ちた小さな崖の下にボクらを案内した。


「わたしはここに上陸しました。向こうから最短距離を目指しましたが、少し流されてここにたどり着いたはずです」


 ボクは向こう岸へと視線を向ける。確かに多少狭くは見えたけれど、それでも向こうの浅瀬まで30メートルばかりありそうだ。


「川の水深は深いところでわたしの胸の下くらいまであります。流れは速くありませんが、川の水は氷のように冷たい。歩いている内に身体の感覚は失われますから、普段通りに動けると思ったら大間違いです。

 川の中でバランスを崩せば最後、二度と足は地面を見出すことはなく、そのまま流されて死ぬと思ってください」


 イチセは傍らのラバの首筋をゆっくりと撫でた。


「わたしはリタに支えてもらって渡りましたが、多分一人ではたどり着けない自信がある。この子は命の恩人です」


 イチセは珍しく真面目な表情で、普段は相手にしないボクにまで目くばせをした。

 妙な意地を張ってふざけている場合ではないということだろう。


 まずはどこから渡河するかだが、これはイチセの辿ったルートに決まった。

 イチセは、ここがベストかは分からないと言っていたけれど、成功実績がある方が心強い。


 それから安全の確保だ。

 ロープがあればいいのだけど、川を渡り切るだけの長さにはどうしても足りない。

 結局、先頭をゴドーさん、最後尾をアズマにして槍の柄にロープを張り、女性陣四人はその間でロープに片手を添わせて渡ることになった。


 万一ゴドーさんやアズマが流されたら、死ぬ気でロープを引っ張ろう。


 ロバ二頭の牽引もゴドーさんとアズマに託された。

 ラバのリタはイチセの担当だ。

 もしも家畜たちが流されたら、その場合は見捨てるしかない。


 シノ様は河の中に妖魔の類がいないかとイチセと一緒になって探っていた。

 もしも身体も動かない状態で何かに襲われでもしたら大惨事だ。


「イヅルよ。お前、身体を温める術が使えたろ」


 出発の前、アズマが不意に言った。

 ボクはすっかり忘れていたけれど、確かにそんなこともしたことがあった。


「あれ使って、お前はいつでも自由に動けるようにしとけ。何があっても対処できるように」


「あ、うん。分かった」


 頷きながら、もう少し早く思い出させてくれればよかったのに、と思った。水浴びの時にでも使っていれば、もう少し快適な生活を送れていただろうに。


 そう言えばシノ様も使っていなかったな、と考えていると、シノ様は驚いてボクの顔を見ていた。


「えっ。なにそれ。どうやるの?」

 どうやら珍しいことだったらしい。


「えーと。火の霊力をこう、火にしないまま体内に取り込んで……」


 呪術は感覚的な部分も大きいから、人に説明するのって難しい。

 ボクのたどたどしい説明を聞いてシノ様とセリナさんはしばらくの間、うむむ、と唸っていたけれど、どうやらうまくいかなかったらしい。


「……できないわ。それが使えれば相当楽できそうなのに」

「ですね。イヅルさんって器用なんですね」


 ボクはえへへと頭を掻いたけど、シノ様が悔しそうに睨むので表情を引き締めた。


 イチセと戦った日の夜にも思ったけど、ボクが呪術を上達するのって、ボクとシノ様の距離を遠ざけるだけなのかもしれない。

 シノ様もイチセも、一人前になったからミドウさんと別れることになったのだし。


 ボクはたぶん、呪術の才能があるんだと思う。

 そのことくらいは認めないと、悔しがっていたイチセにも失礼だろう。

 抜かれちゃったとシノ様に言われた時にはよく分からなかったけれど、一年でイチセと張り合えるだけの力があるのって、きっと異常なことなんだろう。


 でもボクは、なんと言うか、自分がズルをしているような感覚がある。


 夢に出てきた男。

 シノ様に、ミドウさんでもできないかもしれないと言わせるようなことをやってのけたその男は、ボクの前世なのだと言う。


 前世なんて、あやふやであいまいでとても信じられた言葉じゃないけれど、ボクは何となくその言葉が本当のことのような気がしている。


 だとしたら、ボクの才能はあの人から受け継いだものだし、ボクが知らないはずのことをしたり知らないはずの術を使えたりするのも、あの呪術師の生まれ変わりだからだ。

 呪術を使って身体を暖めるなんてことができるのも、夢の中であの人がしていたことを思い出したからだし。


 ボクは自分の力が誰かからの借りものだとしてもかまわないと思っている。


 ボクの目的は呪術師として大成することでもないし、強くなることでもない。

 強くはなりたいけれど、それはシノ様のための強さだ。

 シノ様を守れるなら、どんな力だって構わない。弱いままで構わないならそれでもよかった。


 けれどボク自身の努力の上に積み上げられたものじゃない強さを指して悔しそうにされると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 それはシノ様が、ボクが誰の生まれ変わりだったとしても関係なく、ボクのことを見てくれているということの証左だと思うのだけど、ボク自身が納得いかないのだ。


 そんな風に考えることができるのも、贅沢なことだよな、と自嘲的に思う。


 ボク自身が納得していないことでシノ様との距離が遠ざかってしまうなら、それはもっと納得いかない。

 もしも何もできない木偶の棒のままの方がシノ様と一緒にいられるのなら、ボクは喜んでそうするのだけど。




 渡河は一番太陽が高く昇っている時間帯に決行された。


 ロバたちの負担を軽くし、リスク分散をするためになるべく荷物を分担して持って、服は水に濡れてしまわないように脱いだりまくり上げたりした。


「では行くぞ」

 ゴドーさんは振り返り見て、全員が頷くのを確認した後、ゆっくりと河の中に足を踏み入れた。


 ゴドーさんはなにも言わなかったが、その身体はぴくりと硬直するように一瞬だけ震えたように見えた。

 ロバが嫌がるのが心配だったけれど、出発前に穀物を与えてなだめすかしておいたのが良かったのか、渋々といった調子ではあったが、大人しくついて行く。


 次にはセリナさんが水に入った。そしてシノ様、ラバのリコを連れたイチセ、次にボク。


 水はガラウイ山の水浴びと同じくらいか、もしかしたらそれ以上に冷たかった。ほんの数秒肌をつけていただけで、肌の表面が分厚いゴムのように変わっていく。


 背後でアズマが少し焦った声を上げた。

 振り返るとロバが、ぜってーいかねえ、とばかりに前足を踏ん張っている。


「アズマ」

 ボクが慌てて呼び掛けると、アズマは一瞬迷ってからボクの手にロープの結ばれた棒を握らせた。


「先、行ってくれ。俺はこいつと後から行く」


 残していくことに不安を覚えたけれど、ボクが何か言うより先に、分かった、とゴドーさんの声が響いた。


「イヅル、頼んだぜ」

「……分かった」


 アズマを置いて行くことは不安だったけれど、頼む、と言われたことが嬉しくて、ボクは気を引き締めた。


 もちろんたまたまアズマの前にいただけで、例えば前にいたのがイチセでも、アズマは同じことを言ったと思う。


 でもアズマは、ボクのことをたぶん、対等に扱ってくれている。時々そんな風に感じる。

 シノ様にしてもセリナさんたちにしても、ボクのことなんてまだ子ども扱いで、ボクもそういう接し方にこれまで甘えてきてしまっている。


 でもボクだってもう十二歳だ。


 アズマは、ボクのことを認めてくれている。

 そんな人に頼まれたら、奮起しないでいられない。弱いままのボクで構わないなんて、後ろ向きなことばかり考えていられない。


 岸に上がっていくアズマの姿から目を逸らして、ボクは火の霊力を練り上げて身体の中に火を灯した。

 肌の痛みまでは消えないが、身体の芯まで凍えることはなさそうだ。これなら何かあってもボクだけはいつものように動くことができる。


 川底はどろりとした泥で埋まっていた。足をとる、というほどではないけれど、歩きにくい。

 ただでさえ水が足の進むのを阻むのだ、感覚の麻痺した足で進むにはあまりにも危険だった。

 それに時折尖った石も埋まっていて、うっかりすると足の裏を切り裂かれそうだ。


「問題ないか」

 ゴドーさんがたまに振り返っては一行の様子を確認する。みんなが口々に返事をするのを聞いて、また前を向く。


 セリナさんとシノ様はぽつぽつ言葉を交わしながら歩いている。

 イチセはラバの身体に寄り添って、ごめんね、またこんなところ渡らせて、などとぶるぶる震えながら語り掛けている。


 河の中ほどまで来ると、水位はボクの胸のあたりまで上がっていた。

 イチセの情報では胸の下まで、ということだったから、これ以上深くはならないのだろう。


 そう思っていたら、ゴドーさんの身体が傾いだ。


「ゴドーさん!」

 ボクは棒を持つ手に力を込めたが、幸いゴドーさんはすぐに足をつけることができたようだ。

 しかし、さっきまで股下までした濡れていなかったのに、今は胸の下まで水に浸かっている。


「すまん、大丈夫だ。急に深くなった」

 ゴドーさんは一つ息を吸い込むと、河の流れの中に頭を突っ込んだ。

 すぐに浮かび上がって、こっちだ、と斜め前を指さす。川底の地形を確認していたらしい。


「行こう」

 そして再び歩き出す。

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