第41話 道案内


~前回までのあらすじ~

 旅の一行にイチセが加わった。

 シノ様取られた。もうやだあいつ……。


 ***


 ボクらの向かう先、遥か彼方には白い雪を称えた峰々が世界の天蓋を支えるがごとく高くそびえている。

 山々の稜線は鋭く険しく、その白さが浮かび上がる様は荘厳で神々しい。


 本当にあの山を越えられるのか、少し不安だ。


 ボクの故郷は天外山脈の山の中にあった。

 向かう先がボクの知っている景色とどのくらい同じに考えていいものか分からない。けれど、同じ山脈に連なる山だ、多少の差こそあれ、厳しさはさほど変わらないだろう。


 シノ様に以前、帰りたいかと尋ねられたことがある。


 ボクは首を横に振った。


 あの場所はボクにとって、故郷ではあるけれど、最早今のボク自身とはっきりと繋げて考えることはできなくなっている。


 あの村を巻き込む大雪崩で両親が死んで、奴隷小屋の中で過ごした日々の中で、ボクはきっと一度死んだのだと思う。

 シノ様に見つけてもらって、シノ様に干した杏をもらった時、今のボクは生まれたんだ。


 でも、幼い頃にもらった両親のぬくもりとか、愛情とか、教えてくれたことは、死んでしまったボクと一緒に、きっと今もボクの中にある。


 村の護衛士だった父は、妖魔や盗賊からみんなを守るボクのヒーローだった。


 でもボクは女の子だったから、父が剣を教えようとしてくれることはなくて、母から布を織ることや刺繍みたいな手仕事をいつも教わっていた。


 母に教わったことだって無駄じゃない。

 だってシノ様の服を飾る刺繍はボクが入れたものだし、きっとあれがボクがいない時にもシノ様を守っていてくれるって信じている。


 でも針仕事の四分の一でも、父に剣を教えてくれるように頼んでいればよかったと思う。

 そうしていればイチセのやつに、先手でぶった斬ればいい、とか生意気言われることもなかったかもしれないのに!


 ただ、剣は教わらなかったけれど、お父さんは時々仕事の合間にボクを山に連れて行ってくれた。


 山刀で小さな庵を作ったり、罠を仕掛けて獣を取ったり、どんな妖魔が出て、どうやって対処すればいいのかといったりすることを、お父さんはちょっとした遊びみたいにしてボクに教えた。


 そしていつだって、お父さんの授業は最後にこう締めくくられた。


「山は危険だ。特にここ、天外山脈の山々は。

 イヅルは生まれたころからここで育って、もしかしたら山に親しみを感じているかもしれないね。でも山は親しむものじゃない、恐れるものだ。

 だから、決して軽い気持ちで山に近づいてはいけないよ」


 これまでガラウイ山地を通ってここまでやって来たけれど、あくまで浅い場所しか通っていない。もちろんガラウイ山にもっと近づいていくルートをとれば話は違うのだろうけど、ボクにとっては山というより村の裏道を通っているような感覚だった。


 けれど天外山脈を越えるともなればお父さんの言葉がふと頭をよぎる。


 もちろん軽い気持ちで近づくわけじゃない。お父さんの言葉に背くわけじゃないんだけど、恐れる気持ちが膨らんでくる。


 あの山を果たして、ボクらは越えられるのだろうか。


「まあ、楽な道、とは言い難いですけど、麓の村人は利用している道です。わたしはちょうど山越えする人について行かせてもらって峠を越えましたが、道は覚えているので、案内できると思いますよ」


 ボクらがトモン峠を越えるつもりなのだと知ると、そう言ってイチセは胸を張った。

 それが、イチセが仲間入りする決め手だった。


「ほお、そりゃあ好都合だ。俺も麓で案内人を雇わなきゃいけねぇとは思ってたんだ」

 アズマが驚いた顔をすると、セリナさんもゴドーさんも口々にイチセを歓迎した。


「その年で呪術も剣術も修めて一人旅までできるなんて、本当にすごいですね」

「えっへん」


「山はどんな強い者でも容易く呑み込む。イチセさんが案内してくれるなら安心だ」

「えっへへん!」


 それを見ているシノ様も、なんだか誇らしそうだ。

 なんですか、妹弟子がほめられて自分まで嬉しくなっちゃうんですか。


 なんなんだろう、イチセのこの、急速に馴染んでいく感じ。

 多分適度にばかっぽいのがいいんだろうなぁ。

 ちょっと褒めとけば簡単に図に乗るとことか見てると、警戒しても仕方ない感じもする。


 あと、イチセはボク以外の全員にちょっとずつ媚びを売る。

 シノ様としばらく話して和解した後はアズマとも握手していたし、セリナさんやゴドーさんにも人懐っこい笑顔で話しかけていた。


 多分セリナさんもゴドーさんも基本的に子ども好きなのだと思う。

 セリナさんは言うに及ばず若い子が好きだし、ゴドーさんは父親であるせいか、自分の子どもと重ねて子どもに甘い。


 ボクにもシノ様にも甘い。


 アズマに対しては対等に見ている感じがするけれど、立派になったなぁ、みたいな気配を時々感じる。


 で、当然人は、自分に懐いてくれる子を可愛がってしまうものだと思う。


 ボクは別に誰を邪険にしているつもりもないけど、当然シノ様が特別で、究極的に言えばシノ様さえそばに居てくれればそれでいいと思ってる。


 そんなボクと、シノ様に特別になついてはいるものの、適度に愛嬌を振りまいていくイチセ。

 どちらがより可愛がられるかと言えば、当然イチセの方だろう。


 それに、イチセはボクと体格こそ変わらないものの、伸ばした髪は綺麗に整えて女の子らしくして、胸も歳の割に大きいし、顔もボクみたいにぶすっとしてない。


 こう、改めて言うには口惜しいのだけど、イチセはボクより全然可愛いのだ。


 そりゃあ、シノ様だって野暮ったい召使いよりきゃるんとした妹の方がお好みですよね。

 山越え怖いなぁ、とか思ってブルってる弟子より、越えた経験のある妹弟子の方が百倍頼れますよね!


 町を出て五日。

 ボクは一行の中での立場を失くしかけている……。




 ボクがイチセの登場による序列の変動に怯えてぶるぶる震えている傍らで、セリナさんはシノ様とイチセがミドウさんの弟子だということになぜか驚いていた。


「それ、本物なんですか……?」


 どうしてそんなことを言うのか尋ねてみると、どうやらミドウ・ツチミヤという数百年前に亡くなった伝説的呪術師がいたらしい。


 有名人から名前を拝借することなんてよくあるだろうし、数百年前なんて、まさか同一人物というわけではあるまい。


 しかしセリナさんが言うには、今も生きている、という伝説が残るような人物らしい。


 このあたりに呪術を伝えた始祖には弟子が二人いて、一人はフミルに、もう一人はハデル王国という、現在はフミル王国南東部になっている場所にあった国に仕えた。


 フミルに仕えた弟子の一人がハスミ・アマミヤで、ハデルに仕えた弟子の一人の名前が、ミドウ・ツチミヤだった。


 まもなくフミルとハデルは戦争を始め、負けたハデルはフミルに併合されることになり、消滅。


 ミドウは行方不明になった。


 ハスミとミドウの呪術対決で山が消えたとか大地が裂けたとか天が割れただとか、いろいろ伝説は残っているけれど、どれも眉唾もので、おそらく戦場で人知れず死んだのだろう。でも、どこかへ逃げ出して今も生き続けていると主張する人もいるらしい。



 普通に考えれば同姓同名の別人、もしくは有名人の名を騙っているだけなのだろうが、シノ様は感心した様子でその話を聞いていた。


「なるほど、流石は師匠ね。ハスミ、とやらに負けたというのは信じられないけど、伝説級のひとだとは思ってたわ!」


 うん、うん、と頷くシノ様に対して、イチセは不満げだった。


「お父さんが人間の呪術師ごときに負けるとは思えないな。

 どうせ卑怯な手を使って、追い出すなり闇討ちするなりして、あとから戦って勝ったって言い張ったんじゃないでしょうか」


「確かにそうね。イチセは頭がいいわ!」


 シノ様に褒められて、イチセがえへへとだらしなく口元を緩めている。


 まあ、馬鹿姉妹はおいておいて。


「ボクも会いましたけど、まだ初老って感じの人でしたよ。何百年も生きてる感じじゃなかったです。ノリも軽かったし」


 あ、でもそう言えば、現存最古、とか名乗ってた気がするな。

 本気で伝説の人物になりきって、放っておいたら死にそうな子どもを育てるのが趣味の人だったのかもしれない。


 うわぁい、変態だ!


「まあ、別人と考えるのが自然なんでしょうけどね。でも、シノの師匠ってところが気になるんですよね」

 セリナさんが考え込むように呟いた。

 何でですか、と尋ねると、少しだけ慌てた素振りを見せた。


「……シノもイチセさんも、優れた呪術師ですからね。偽者のお遊びにしては、実力がありそうな方だな、と思いまして」


 何か含みがありそうな間があった。

 けれどセリナさんが、他にもミドウ・ツチミヤの逸話はいくつか知っていますよ、と話し始めたので、そんなことはすぐに忘れ去ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る