第38話 絶炎


~前回までのあらすじ~

 イチセ・ツチミヤとの戦いの最中、ボクとアズマはイチセの術に縛られ、身動きを封じられてしまう。イチセはボクをシノ様と勘違いしているようだ。

 シノ様を狙ってやって来たってことは、アマミヤ家の刺客?

 でもさっきはお父さんがどうこうって……。


 ***


 シノ様の名前を呼ばれて、ボクは一瞬、えっ、と目を見開いてしまった。

 それを見て、イチセが眉をしかめる。


「あなたはシノ・ツチミヤでしょう。違いましたか?」

「あっ……、いえ。その通りです」


 ボクは慌てて頷いた。

 こいつがアマミヤの手先なら、シノ様のところに行かせるわけにはいかない。

 ボクをここで殺して気がすむなら、ボクはシノ様を名乗るべきだ。


 ボクは怯える心を奮い立たせておそるおそるに尋ねた。


「あの……。お父さんって、ミドウさんのこと、なんですよね」

 イチセはあからさまに不機嫌な表情をした。


「わたしのこと、聞いていないんですね」

「は、はい……。ボクがミドウさんと会ったのは一年前のことで、大した話はしていませんから」


 いきなり、頭を上から踏みつけられた。

 砂鉄の中に顔を埋めさせられて、口の中に大量の砂が入って来る。


 痛いし、息ができない。苦しい。


「すぐ分かる嘘を吐きますね。しらばっくれないでください。あなたからはお父さんのにおいがします。いつまでも正直に答えないなら、このまま砂を流し込んで、砂袋みたいにしてやってもいいんですよ」


 イチセはボクの髪を引っ張って顔を上げさせた。


 睨みつけるその顔を見る余裕なんてボクにはない。

 咳き込んで口の中の砂を吐き出すと、砂交じりのよだれが口の端から垂れた。


 ボクの心は怯えに支配された。身体がぶるぶると震えてくる。


 涙が出てきた。

 なんか、みじめだ。


 ふとボクの頭の中に、なんの抵抗もできずに馬車に乗せられ、裸にされて、見世物にされた日々が蘇る。


 悔しいと思った。

 こんな、ボクより年下っぽい女の子に負けて、踏みつけられて……。


 ああ、でも。


 ボクはあの時とは違う。

 怖がって、震えてるだけじゃない。

 まだ悔しいって思えてる。


「あら、泣き落としですか?

 あなたがお父さんを無事に返してくれるなら、手足の一、二本で勘弁して差し上げます」


「ほ、本当なんです。

 ミドウさんはボクに呪術の初歩を教えてくれて、それから少しの間、ご飯を食べながらお話しただけなんです」


 また頭を踏みつけられた。


「嘘を吐かないでください。お父さんは、あなたのことを幼い頃から呪術師として育てましたね。

 あなたはわたしよりもずっと長い間、お父さんに目をかけられ続けてきた。違いますか!」


 イチセはボクに顔を上げさせると、激しく睨みつけた。


「止めろ、そいつは……」

 アズマが何か言いかけたが、口を塞がれたのだろう、すぐにくぐもった声しか聞こえなくなった。


 ボクは息も絶え絶えにイチセの目を見返した。


「……あなたは、ミドウさんのことが、大切、なんだね」


「なにを……。お父さんはわたしを、親に捨てられ、街角でただウジのたかる腐肉を漁ることしかできなかったわたしを、拾い上げて、育ててくれました。大切に思うのは、当たり前です!」


 その言葉に、ボクはシノ様に拾われた自分自身の姿を重ね合わせた。


 イチセの話では、ミドウさんはおそらく、どこかに行方不明になってしまっているらしい。

 そしてなぜか、ボクの中からミドウさんの気配がする。


 もしもシノ様が行方不明になったら、ボクだって死に物狂いで探すはずだ。

 手がかりがあれば、誰を傷つけたって構わないと思うだろう。


 それに彼女は一人きりだ。

 ボクはシノ様と引き離されてもアズマがいたけれど、イチセはたった一人で、ミドウさんのことを探すことしかできなかったんだ。


 だからと言ってこのままされるがままになっていいとは思わない。

 けれど少なくとも、ボクの心からイチセのことを憎む気持ちはなくなってしまった。


 ただ怒りは消えない。


 この怒りは、シノ様のためでも、他の誰のためのものでもない。ボク個人のものだ。


 もしかしたら、このまま根気強く話をしていけば彼女の誤解も解けるかもしれない。痛い思いもするかもしれないけど、たぶん抵抗しなければ、殺されることはないと思う。


 でも、どうしてかボクはそんな気持ちにならなかった。

 シノ様の負けず嫌いがうつったかな。


 呪術の借りは、呪術で返す。

 ボクはもう、何もできない子どもじゃないんだ。


「イチセさん……」

 ボクは呻くように言った。


 口の中からはじゃりじゃりと気持ちの悪い音がする。ボクは一つ大きな塊を顔の下に吐き出した。

 イチセは余裕たっぷりの表情でボクを見下ろしていた。


「話す気になった?」


「……あなたがどれだけミドウさんのことで心を痛めているのか、ボクにだって、少しは分かるつもりだ。でも……」

 ボクはキッとイチセを睨みつけた。


「お父さんに、人を足蹴にしちゃいけませんって習わなかったんですか!」


 ボクはイチセに支配された霊力のうち、少しずつ体内に取り込んで自分のものにして精製した呪力を一気に解放した。


「炎は全てを拒絶し、全て消し去る。そは浄化の巫女。全て受け入れ、無をもって最上とするものなれば」


 ボクの口はほとんど意識もせずに動いた。まるで昔から、その祝詞を何度も口にしていたかのような。


「絶炎!」


 身体の内側から、急速に力が流れ出していくのが分かった。


 その力は炎の形をとり、ボクの身体を球形に包み込む。ボクを掴まえて離さなかった砂を溶かし去っていく。


 不思議とボク自身は熱を感じなかった。

 炎球は揺らぎながらも、確かに安定してボク以外の全てを拒絶する。


 初めにイチセの術を防いでいた時と少し似ていたが、炎の質がまるで違う。

 先のは焼き払っていただけ。今のは、溶かし込んでいる。


「なっ……。この一帯は全てわたしが掌握していたはず。ここまでの術を行使できるはずないのに!」


 イチセは狼狽えた表情で叫び声をあげた。

 しかしすぐにきゅっと唇を結んで、両手をぱちりと合わせた。


「冷たき暗がりに眠るもの。そは砕けてこそ鋭く、数多の敵を打ち倒すものなり。黒鉄の蛇よ。流れ、流れて時を刻み、獄熱を封ぜしめん!」


 再びイチセの足許から黒砂が流れ出し、今度こそ奔流のように炎球の周囲を取り巻いた。

 瞬く間にボクの視界は真っ黒に染められた。


 ボクの炎とイチセの砂鉄は拮抗している。

 だが、気を抜けばすぐに押しつぶされることになるだろう。

 それにボクの呼びかけに答えてくれた霊力は僅かだ。長くはもたない。


 強い。


 今まではボクを殺してしまわないよう手加減していたのだと分かる。

 こんな相手に、周到に周辺の霊力の支配権を取られた上で拮抗できていることに誇りすら覚える。


 でも、ボクの勝ちだ。


 だってボクは、一人で戦ってるわけじゃない。


 まもなく砂はさらさらと力を失って地に落ちた。

 炎の壁の向こう側に、イチセが昏倒してうつぶせに倒れているのが見えている。


 ボクが術を解くと、ぽんぽんと棒を手の中でもてあそんでいたアズマが、にっと笑みを向けてきた。


「やるじゃねぇか」


 ボクは気が抜けて、思わずその場に崩れ落ちてしまった。

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