第37話 黒砂呑雲
~前回までのあらすじ~
ボクたちはトモン峠への分岐の町まで行き着いた。シノ様たちが買い出しに行く間、留守番をしていたボクとアズマの元に一人の少女が現れる。少女はイチセ・ツチミヤと名乗り、父を返せと言う。
あっ。ゴドーさんの……、隠し子?
***
その時ぞわりと背筋が寒くなったのは、一応、これまでボクが盗賊に襲われたり妖魔に襲われたり、経験を積んでいたからだろうか。
ボクは咄嗟に地面を蹴って少し先に転がった。
振り向くと、さっきまでボクのいた場所に、土を裂いて一握りほどの黒い杭のようなものが突き出しているのが見えた。砂のようなものでできているらしく、見る間にもさらさらと崩れていく。
ぼーっと突っ立っていたらどうなったかと想像するとぞーっとなった。
あんなの食らったら、それこそ串刺しだ!
と思ったら、また足元に!
「うわ、うわわわわ!」
ボクは慌てて逃げ出した。後を追って杭が地面を突き破る音がいくつも聞こえる。
「逃げるな、クソが!」
イチセと名乗った少女が口汚く言うのが聞こえた。
いや、いや。逃げなきゃ死ぬじゃん!
ボクは走っている途中で、自分が呪術師だということを思い出した。
えと……、えと……、こういう時には……。
分かんない!
「アズマ、助けて~!」
苦し紛れに叫ぶと、ぎゃんっ、と刃の擦れる音が響いた。
ひっきりなしに追ってきた杭が土から突き出す音が止み、ほっと息を吐くと、アズマから叱責が飛んできた。
「ったくお前は……。こいつは呪術師だ。お前の領分だろうが!」
「そ、そんなこと言ったって……」
「いつまでも情けねぇこと言ってんな!」
先ほどの金属音は、アズマの打ち込んだ棒をイチセが剣でいなした音だった。
「邪魔するな、お前に用はない!」
「そいつは俺の連れだ。殺してぇなら俺をどうにかしてみやがれ!」
イチセはアズマをじろりと睨みつけ、さっと剣を横に薙いだ。
今度はアズマがイチセの攻撃をいなし、棒を背中でくるりと回転させてそのまま逆方向から打ちかかる。
そして一合、二合、三合。
アズマは穂先の無い槍を殴打武器として振り回す。
まともに剣で受ければ折れてしまいそうな激しい打撃だったが、イチセは凌いでいる。
一方のアズマも、先ほどあっさりと穂先が斬り飛ばされた光景を見ているのだ、イチセの攻撃は避けるか受け流すかするしかない。
埒があかないと見てか、互いに図ったかのように跳び退り、距離をとる。
アズマは即座に次の攻撃に移ろうとしたが、その前にイチセが剣を放した。
「わたしにはお前を殺す理由がない。用があるのはそっちの子どもだけです」
ボクはアズマの後ろに隠れてひょこっと顔を出した。
「ぼっ、ボクに一体何の用があるっていうんですか!」
「知れたこと。お父さん、ミドウ・ツチミヤを返してもらいます!」
えっ……、お父さん?
娘?
ミドウさんの?
ふと足元に怖気がして、ボクは咄嗟に足の下に火の霊力を集めた。
その時初めて違和感に気づく。
――あれ。普段よりなんか、術を使いにくい……?
「火よ。あまねく溶かす灼熱よ!」
ボクは構わず詠唱を続け、無理やり術を完成させた。
ごおとボクとアズマを中心にして、円形に大地を炎が焼き焦がす。
「なんだ!」
「アズマ、ボクから離れないで」
驚くアズマを、ボクはぎゅっと身体に寄せた。
そして次の瞬間、痛みがボクの身体を貫いた。
「ぁああっ……!」
一瞬、防御しきれずに身体を杭で貫かれたのかと思った。
しかし違った。
すぐに、イチセの呪力とボクの呪力が拮抗し合い、打ち消し合っていることに気が付いた。
さっきの痛みは術を破られかけたせいだろう。
「イヅル、なにかされたのか」
「……っ、大丈夫。凌いだ」
ちょっと涙目にはなったけど。
「ふうん」
イチセは忌々しそうに眉をしかめ、両手をたんと打ち合わせた。
再び足元から無数にひっかくような攻撃。
でも、さっき防いだ一撃に比べればなんともない……?
「イヅル、上だ!」
アズマの声にボクは咄嗟に頭上に手をかざした。地面に対してのみの円形だった炎の壁が持ち上がり、徐々に球の形になっていく。
ギロチンのような刃が落ちてきたのは球が完成した直後だった。
刃と炎が触れ合うと、じゅうと刃が解け落ちる音が響いた。ボクは再び、術を揺るがされる痛みに奥歯を食いしばる。
なんなんだ、と叫びだしたくなった。
イチセの使う術はさっきからずっと金の霊力を練り上げたものばかりだ。
金には火を、火には水を、水には土を、土には木を、木には金を。
シノ様にはそう教わった。
だからボクは有利な火の術で守っているのに、さっきから押し負けそうになる。
ボクよりよほど上手の術者なのだ、この子は。
上からの一撃も防がれたとみるや、イチセは捨てた剣を拾い上げ、ボクとアズマを包み込む炎球に向かい、さっと大股に踏み込んだ。
剣に向かい、呪力が注がれていくのが何となく分かる。
マズイ!
……気がする!
「アズマ、分かれて!」
ボクは術を解いてアズマの身体を突き飛ばしながら即座に横に跳んだ。
剣は空を切り、だが、イチセは迷いなくボクをめがけて二の足を踏みこんだ。
白刃が下から掬い上げるようにしてボクの胴体めがけて一直線に迫る。
防御を……、間に合わない!
っていうか何でこの子、そんなにためらいもなく初対面のボクを殺しに来れるんだ!
ボクがそのまま上半身と下半身でさようならをせずに済んだのは、アズマが背後からイチセに棒を突きこんだからだった。
突きを避けようとイチセが身体を捻ったおかげで、ボクは危なく難を逃れた。
けれどもこれで挟み込んだ。
前方にボク、後方にアズマ。
ボクを斬ろうとすれば背後からアズマに打たれ、アズマを斬ろうとすれば……、まあ、ボクは大した脅威じゃないかもしれないけど、アズマなら大丈夫だろう。
「アズマ、気を付けて。どんな隠し玉を持ってるか分からない」
「分かってるよ。呪術師は術を使わせねぇで殺す。鉄則だ」
わぁい、アズマが怖いこと言ってる!
イチセがちっと舌打ちするのが聞こえた。
「そこの男、手を引きなさい。そいつと一緒に切り刻まれたいの」
うひぃ、こっちも怖い!
「てめぇこそなんなんだ。これ以上やるってんなら今晩の月も拝めないようにしてやるぜ」
「いきなり突きこんでおいて、今更ですね」
「そっちが妙な気配、まき散らしやがるからだ」
二人がボクをそっちのけにして言い合っている間にも、ボクはしゃがみこんで地面に手を当てた。
すると妙なことに気づく。
大地を流れる霊力の音がいつもと違って響いてくる。
ボクの声に応えてくれない。
さっきの違和感はこれか!
今はイチセの呪力がこの場所の霊力を全て支配している。
……いや。
でもわずかだけど、ボクの声に応えてくれる声がある。
ボクはその声をゆっくりと手繰り寄せていく。
イチセはボクの様子をちらと見て、はぁっとため息を吐いた。
「……まだやる気のようですね。仕方ない。どうしても聞き分けないと言うならば、鋼の海に呑まれるがいい。後で泣いて許しを乞うことになっても知りませんよ!」
なにかくる。
周辺の霊力がイチセの許に集まっていく。
「アズマ!」
ボクが呼びかける前に、既にアズマはイチセに打ちかかっていた。
再び演じられる、互いの技をいなし続ける演舞。
いや、さっきとは違う。
アズマの攻撃は鋭くイチセを狙い、イチセは防戦一方だ。イチセは防御しきれていない。
急所を狙う攻撃はイチセも弾いているが、時折アズマの棒が腕を、足を打ち据える。
イチセの顔はそのたびに苦痛に歪み、動きが鈍って次の攻撃をもらう。
初めにアズマの突進を止めた技が不気味だが、今のところは使ってくる様子はない。
見たところ彼女は金の精霊と繋がりを強く結んだ術者だ。槍の穂先の鉄がキーになっていたのかもしれない。
だとしたら、初めに穂先を切り落としたのは悪手だったのだろう。
それならきっと、実戦経験はそれほど多くない。
しかしイチセは、アズマの嵐のような攻撃の中、術を完成させたようだった。
霊力の感じが変わった。
「アズマ、気を付けて!」
「もう遅い。砂鉄の海に溺れろ、黒砂呑雲!」
悲鳴のように叫んだイチセの足許から、黒い砂が奔流のように噴き出した。
アズマの足が止まり、その顔が驚愕の色に染まる。
「なんだ!」
砂の流れはアズマの身体を瞬く間にからめとり、鎖のように身動きを封じた。
そのままボクの方にも流れ、ひざまずいたままの姿のボクを、胸の下あたりまですっかり押し固めてしまった。
動けない!
火の術で払おうとするけど……、押し負ける。大地の霊力を借りないままじゃ、出力不足だ。
「おい、何だこりゃ!」
アズマが喚くように言った。
「イヅル、何とかしろよ」
「ダメ、通じない!」
「当然です。金霊の術を極めたわたしの奥義ですからね。あなたみたいな木っ端呪術師の扱う火の術なんてちっとも怖くありません」
イチセは勝ち誇り、嘲り見下しきった表情で言った。
ボクは彼女が気に入りそうな苦り切った表情をイチセに向けてやる。
そのままいい気になってろ。
時間さえ稼げれば……。
でももしもイチセがすぐにボクらの首を落とそうなどと考えたら、終わりだ。
ボクは何の抵抗もできずに殺されるしかない。
ボクはイチセがすぐに決着をつけてしまおうとしないことに賭けて、気づかれないよう、慎重に大地の霊力を解きほぐし、取り込んでいく。
ゆっくりと呪力を練り上げる。
イチセが余裕たっぷりの表情をアズマに向けたのでひやりとした。
さっきまであれだけアズマに打たれて、その仕返しをしてやろうと考えてもおかしくない。
しかしイチセは、剣を鞘に納めた。
とりあえず、もうしばらく時間はありそうだ。既に砂で縛って、首を落とすのに剣を使う必要もないということかもしれないが。
「痛かったですよ、お兄さん」
イチセは微笑みを浮かべて猫撫で声で言った。アズマはにっと笑う。
「そいつは悪かったな。妙に粘りやがるからやり過ぎちまった。だがお前、左に回られると隙が出るな。直した方がいいぜ」
自分をどうとでもできる相手にあの態度……。
その度胸、どこから来るんだ?
イチセはむっと唇を結んでアズマの腹を無言で殴りつけた。
肉を打つ嫌な音が……、響いてこない。
代わりにちょっと鈍い音がして、イチセが殴りつけた右手を痛そうに庇っていた。
なんだ、あいつ。人間か?
イチセはちょっと泣きそうな顔をして、今度は剣の柄をみぞおちに突き入れた。
流石にこれは効くらしい。アズマは息を詰めて崩れ落ちそうになる。
ああ、良かった。人間だった。
「どうもご丁寧に!」
イチセはうめき声をこらえるアズマを見て満足したらしい。
ボクの方に身体を向けた。
冷たい微笑みを浮かべている。
悪寒がボクの身体を吹き抜けた。
イチセはひゅっと鞘に入ったままの剣を振り下ろし、ボクのあごを上げさせた。
「さて。ようやくゆっくりお話ができますね、シノ・ツチミヤさん」
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