第36話 イチセ・ツチミヤ


~前回までのあらすじ~

 シノ様はこれまでにあったことを総合して考え、なにか掴みかけている様子だった。事情も分からずに逃げ回るなんてまっぴらだとシノ様は言う。

 事情を知ってるっぽいミドウさんと都合よく出会えたりしないかな~。


 ***


 サイラス山方面へ向かう道の分岐にある町は、オックと呼ばれる町だった。


 ここまで来れば、とりあえず旅の行程は半ばほどまで終わったことになる。

 途中、ついて行く隊商を変えたりもしたし、一度盗賊の集団に襲われて隊商に若干の被害が出ることもあったが、ここまで誰一人として欠けることなく来られた。


 整備された街道ともここでお別れだ。

 これからは隊商とも別れ、行き来するものも少ない道をずっと遥か彼方に薄っすらと浮かんでいる天外山脈へと向かって行かなければならない。


 シノ様とゴドーさんは、今日はセリナさんも、馬を三頭とも連れて朝早くから町へ出かけて行った。

 ここから南に下っていけば大きな町はない。サイラスの峠道は馬が通れるような道ではないので、ここで馬を売り払って新しくロバを買うのだそうだ。


 シノ様の貯金も当然、無尽蔵にはない。南に行くと寒村が増え、食糧の値段も上がるだろう。

 となるとここで山越えの装備を準備万端整えておくべきだった。


 町に入れないボクとアズマは、町から少し離れた草原の上に天幕を張って、さやさやと吹く風を感じながら並んで昼寝している。


 今日も天気のいい日だった。

 見上げれば太陽がぎらぎらと照り付け、その光の強さに空の蒼さも増していく。

 草たちは丈を伸ばし、方々で小輪の花が白や黄色に咲いている。


「綺麗だねえ」

 その景色と温かさのためだろうか、ボクはついそんなことを口にしてしまった。

 情趣というものをちっとも理解しない奴だ、アズマはきっとバカにする。


 そう思ったけれど、アズマの反応は予想と違った。


「そうだな……」

「えっ」


 ボクが起き上がって顔を覗き込むと、なんだよ、と睨まれた。


「体調でも悪いのかと思って」

「俺が景色が綺麗だって思ったらおかしいのか?」

「おかしくはないけど……。言わないでしょ、アズマは」


 アズマは、へっ、と苦々しく笑った。


「……ちょっと、思い出すことがあっただけだ。昔、似たようなことを言うバカがいたなって」


 過去形だったので、ちょっと緊張した。

 亡くなっている人なのかと思ったのだ。


 けれどアズマは、ボクのほっぺたを指でつまんできた。


「なに誤解してんだよ。もうずっと会ってねぇだけだ」

「もうっ、伸びて戻んなくなったらどうしてくれるのさ!」


 ボクは両手で頬を包みながら唇を尖らせたけど、アズマは気にもしないで言葉を続けた。


「呪印を焼いてくれたのも奴だったのさ。ビビッて泣きながら俺の背中に火を押し付けて……。戦争奴隷なんて似合わねぇ、お前みたいに呑気で心根の優しい奴だった」


「一緒に、逃げなかったの?」


「一人で逃げてって言われたよ。あの時は突き放された気がしたもんだが、今になってみりゃあ……。だが、思えば奴は傭兵なんてのにも向いちゃいなかったからな。戦争奴隷なんてしてる方が、まだマシだったのかもな」


 アズマはいつになくセンチメンタルな感じだった。

 だからボクもなんて言っていいか分からなくて、ふぅん、と頷いた。


 こいつにもいろいろあるんだな、と思った。

 今までは考えなしの乱暴な馬鹿野郎だと思っていたけど、思えば人さらいに遭って戦争奴隷になり、そこから逃げ出して傭兵団に入って盗賊稼業、そこにもいられなくなってボクの隣にいる。


 なにもないわけがないのだ。


 ボクはちょっとおしりを動かしてアズマの太ももの辺りにくっついた。

 なんだよ、とアズマが唸るように言った。


「寂しいのかな~って」


 急にアズマの足が持ち上がって、かかと落としみたいにボクの逆側の肩に膝の裏をひっかけた。ボクは簡単に押しつぶされて敷物の上にびたんってなる。


 お、重っ……、アズマの奴~っ!


「生意気言うな」

「お前、ボクが気を遣ってやったのに……っんぎゅ」




 不意にアズマの雰囲気が変わった。

 ボクを足の下に敷いたままアズマの身体は鋭く跳ねあがり、立ち上がった時には既に、アズマはその手に槍を持っていた。


「イヅル、伏せてろ!」


 切迫した声に、何かあったのだと分かる。

 なんだ。盗賊か、それともアマミヤの追っ手か。


 ボクも四つん這いになって視線を巡らせると、アズマの見ている先に、深くフードを被った人影があるのを見つけた。

 旅にすすけてはいたが見事な文様の折り込まれた薄緑色の衣をまとい、服の上からでもその小柄さが見て取れる。


 巡礼者かな、とちらと思った。

 歳を取った巡礼者には、痩せて小柄な者も多かったからだ。

 でもその割に服は汚れていないし、その人影は、まっすぐにこの天幕へと向かって来ていた。


 それにしても、粗野な荒くれものといった感じでもなく、アズマがそこまで警戒心を露わにする理由が分からない。


「アズマ……」

 ボクが呼びかけたのと、アズマが唸り声を上げながら突進するのとはほとんど同時だった。


「ぉお……っ!」

 槍を腰だめに抱えての突進。


 その人物に、その激しい攻撃に対抗する手段などないと思った。

 あともう三秒もすれば、あの人影はアズマに串刺しにされて息絶える。


 それにしても、相手が敵かどうかも分からないのにいきなり攻撃するなんてあんまりだ。


 ボクは転げるように立ち上がって、ダメだ、と叫ぶ。


 でもその声はあまりにも遅すぎる。

 アズマの槍の穂先がほとんど身構えもしない人影の腹に吸い込まれていく……。


 しかしアズマの槍がその人物を刺し貫くことはなかった。

 ボクにはアズマが、途中で槍を止めたように見えた。


 でも違った。


 相手の前、ほんの握りこぶし一つ分程度の場所で、まるで見えない腕にがっしりと掴まれたかのように、槍はぴたりとその動きを止めていたのだ。


 アズマは押しても引いても動かない槍に気づいて、驚愕の色を露わにした。


 そしてすとんと音を立てて切り落とされた槍の穂先が地面に落ちた。

 いつの間に抜いたのか、人影の右手には反りのある剣が握られている。


「……なんだ、てめぇは」

 アズマは一歩跳び退り、急に動くようになった穂先の無い槍を構えたまま低い声で言った。


 人影は少し考えた後、ばさりとフードを脱いだ。

 フードの下から現れたのは、ボクと同じくらいの年頃の少女の顔だった。


 艶のある長い黒髪、白い肌、きゅっと結ばれた口元と、アズマには目もくれず、ボクのことをじっと睨みつける碧眼。


 少女は傲岸に見える態度でボクとアズマを睥睨して言い放った。


「我が名はイチセ・ツチミヤ。返してもらいます、わたしの父を!」


――えっ……、お父さん?


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