第35話 霊地アル・ムール
~前回までのあらすじ~
街道を西へ向かうボクらは隊商の後を追いかけて旅を続けている。盗賊も、アマミヤ家の追っ手の姿も見えない日々が不安な気持ちを呼び起こす。
シノ様は、もしかしたらミドウさんがアマミヤ家を呼び寄せたんじゃないかと疑っているようだった。
***
「イヅルがこの間話していた、水の夢について考えていたの」
シノ様はそう話を続けた。
隊商の列から一番離れた、巡礼者たちの後ろに続く最後尾をシノ様とボクは歩いていた。アズマたちは馬二頭分の距離を空けて前を歩いている。
シノ様は、アマミヤ家のことなどはアズマたちには秘密にしている。
安全のためには話しておいた方がいいと思うのだけど、危険があるからと離反されても困るからだろう。
そのことについて話をするときには、いつも聞こえないように声を潜めて話をしている。
周囲には緩やかな凹凸のある広大な大地が広がっている。
今は草が青々と茂り、褐色の地面を緑に染め上げているが、あとひと月もすれば次第に色褪せて、やがて再び枯れ果てた大地に戻るのだろう。
「イヅルは、その夢であなたの前世の人格を名乗る男に出会った。その男のことは以前夢で見て知っていた。それは間違いないのよね」
ボクは曖昧に首を傾げた。
「同じ人物だと感じたことは事実です。でも夢の中でのボクは彼の視点でものを見ていました。同じ顔をしていたかと言われると、分からないんです」
そうだったわね、とシノ様は眉をしかめる。
「まあでも、イヅルがそう感じたってことはなにかの共通点があったと考えましょう。それに、あなたを騙して彼に何の利点があるのかよく分からないんだし。
あなたを信頼させて利用しようとしている可能性はあるから、今後も接触してくるようなら疑ってかかること。もちろん、今回みたいにずっと経ってからじゃなくて、すぐにわたしにも報告しなさい」
「分かりました、気を付けます」
話すのが遅れたのはシノ様にぶん殴られたせいで記憶が飛んでいたからなんだけど、まあ、それはやぶ蛇になりそうだから置いておくとして。
「もしもその人が本当にイヅル自身なら、あなたのためにならないようなことを吹き込むことはない、と思う。一応、助けてくれたんだしね。
だからいったん、その人の言っていることは本当のことだとして話を始めましょう」
シノ様はそう前置きして三つ指を立てた。
「えーと。そいつが言ってたことで重要なことは三つ。
まずはミドウさんと友人関係にあるということ。
次にわたしを助けろという助言、というか、お願いだったわね。気に食わないけど、まあいいわ。
それからわたしの名前を言う前に、アスミ、って言い間違えたのよね。
これらのことを総合して考えるに、男が本当に助けたいのはアスミって奴で、わたしを助けることが、アスミを助けることに繋がるという風に考えられる。
師匠はわたしを育てることで、友だちだっていうその人の望みを間接的に叶えていたんだと思うわ」
そう言われて、ボクは思わず、おお~、と声を漏らしてしまった。
なんだかよく分からない話を、ボクでも分かるようにまとめてしまった。
流石シノ様!
「ずっと不思議だったのよね。どうして師匠がわたしのことを育ててくれたのか。
ただの偶然とか、わたしの中に眠る霊力が関係しているのかとかいろいろと考えていたんだけど、もしも師匠が友人だっていうその男に義理立てしているのなら分からないでもない」
シノ様は少し寂しそうに言った。
ボクは一拍遅れて、その弱気な表情の意味に思い至った。
その考えはシノ様にとって、信頼していたミドウさんの愛が誰かのための打算ずくのものだったと考えるのと同じことだ。
ボクも、シノ様が実はミドウさんのお願いでボクに優しくしてくれているんだと分かったらショックを受けると思う。
そのくらいで感謝や他にも抱いている感情がなくなるほど浅い時間を過ごしていないと思っているけど、浅い関係じゃないからこそ、今になって知るのはちょっと苦しい。
ボクはシノ様の手をそっと握った。
シノ様はちょっと驚いた顔をして照れくさそうに、大丈夫よ、と笑った。
「それでね、今度はイヅルの見た夢についてなんだけど。
イヅルは夢の中で、大きなお屋敷に住んでいる大呪術師だったのよね」
シノ様に看病されながら宿のベッドの上で見た夢の話だ。
「そう……、ですね。位の高い人だったみたいですけど、実力もある呪術師だったと思います。土砂崩れなんて大したことがないくらいの大規模な術を簡単に扱っていましたから」
ボクは、彼が最期には氷の竜を生み出して戦ったことを話した。
残念ながら、それで事態が好転することはなかったのだけれど。
シノ様は少し胡散臭げな表情でその話を聞いていた。
話が終わると、師匠だってそんなこと、できるかどうか分からないわ、と小さく鼻を鳴らす。
どうやら、尊敬する師匠よりすごいかもしれない話を聞いて面白くなかったらしい。
「その術だけでも、周辺に雨を降らせ、水が氷るほどの冷気を生み出して、丘全体を支配下においていたことが分かる。それも大した事前準備もなしに。
信じられない話ね。
……あ、でも。わたしは師匠の本気なんて今まで見たことないんだから、調子に乗らないでよね!」
シノ様はボクをひと睨みする。なんだか理不尽だ。
それからシノ様は、少し迷った表情を浮かべた後、すぐに打ち消して再び口を開いた。
「フミル王国に行くって言った時、あなた、反対したわよね」
「それはそうですよ。今だって反対です。だってアマミヤ家の総本山がある場所ですよね。本当に狙われているのか、よく分からないところですけど、わざわざ危険に飛び込む必要はないはずです」
あの時にはシノ様がすごく拗ねたことを言っていたから渋々了承した。
別の国を目指すと言い出せばゴドーさんとセリナさんは付いて来てくれなくなると思ったし、もう目的地は決まってしまっているからそれから何も言わなかったけれど、このままフミル王国までシノ様を行かせてしまっていいものかという気持ちは変わらない。
「あの時は言えなかったし、あなたにもわざわざ伝えていなかったんだけど、行きたい場所があるの」
「行きたい場所、ですか……?」
ボクが尋ね返すと、うん、とシノ様は小さく頷いた。
「フミル王国王都近くの丘陵地帯にある霊地、アル・ムール湖よ」
ボクはその名前を口の中で味わうようにそっと繰り返してみた。
うむ、ちっとも聞き覚えがない!
「それ、有名な場所なんですか?」
「さあね。ひょっとしたら、呪術師の間では有名なのかも。その昔、有名な呪術師がそこで死んで、その時にできた湖だって話だから」
「はあ」
呪術師が死んだことと、湖ができたこととの関連性が分からなくて、ボクは首を捻った。
「つまり、呪術師がたぶん、何らかの大規模な呪術を展開中に死んで、術の失敗の反動で湖ができるほどの破壊がまき散らされたってことよ。
そこには師匠と旅をしている最中に立ち寄ったの。中にいくつか島が浮かんでるくらいの結構広い湖でね、おかしな場所だって、わたしにもすぐにわかったわ。
なんて言うか……。精霊の力がむき出しになってる感じで……。うまく言えないんだけど、荒々しいの。なんだか、身体の奥がぞわぞわしてくるような。魂を直接くすぐられるような、そんな感じがした」
ボクはガラウイ山の霊力に触れた時の感覚を思い出した。
普段術を扱う時は、川の流れから水をすくい取るようなイメージだったのだけど、あの時は激流にもまれるようだった。
シノ様はそれと似たような感覚をその場所で覚えたのかもしれない。
「一人の人間が起こせるような変化ではないと思ったけど、でもそういう逸話が残されるくらいの強大な呪術師が、その昔にいたんでしょうね。
あなたの話を聞いて、その話を思い出したの」
「その呪術師がボクの前世であると?」
そんなわけがないと思った。
シノ様は全く関係のない話を、強い呪術師だ、という情報だけで繋げて考えてしまっているのだ。似たような逸話は、探せばどこにでもあるだろう。
疑い深い目をしたボクを見てシノ様は苦笑いした。
それからふっと表情を陰らせる。
「師匠がね、わたしのルーツはここにあるって言ったの」
ルーツ。それはつまり、生まれた場所とか、シノ様にとっての何かが始まった場所ってことか。
「でも、シノ様は確か、ミドウさんに天外山脈の山の中で会ったって話でしたよね」
シノ様は苛々と首を振った。少し辛そうに唇を歪める。
「分からないわ。わたし、何にも分からないの……。
師匠は天外山脈東部でわたしを見つけたって言っていた。フミルは西側。
わたしのルーツがフミルにあるって言うなら、どうしてわたしはフミルと離れた場所で師匠に出会ったの?
どっちが本当で、どっちが嘘なの?
どっちとも本当のこと?
どっちとも嘘なの?」
「シノ様……」
声を乱すシノ様の身体をそっと支えると、シノ様は少し落ち着きを取り戻した様子で小さく深呼吸した。
「あなたがさらわれた時、すぐに師匠の言葉を思い出した。わたしがイヅルを巻き込んだんだって思った。
あなたはわたしの許に帰ってきてくれたけど、でもこれからもこんなことが続くのかと思ったら怖かった。
わたし、どうして自分が狙われることになってるのか、ちっとも分からない。アマミヤ家が何を目指しているのかも分からない。
そんな状態で逃げ出して、これからいつ安心して暮らせることになるっていうの?」
シノ様は一度言葉を切って呼吸を整えた。
顔を上げて決然と言う。
「だからわたしは、知らなきゃいけないの。
アル・ムールでわたしのことを知って、アマミヤ家が何を思ってわたしを狙うのかを知る。師匠にも本当のことを問いただしたいし、知りたいことが一杯よ!」
ボクはそれでも、なにも分からないままに逃げ回る羽目になったとしても、危険があるかもしれない場所に飛び込んで行くよりはマシだと思う。
でもシノ様がこんなに強い目をして決めたなら、ボクはもう何を言うつもりもない。
ボクはため息交じりに頷いた。
「分かりましたよ。シノ様は、そういう人ですもんね」
「わたしはね、受け身になるよりも攻める方が性に合ってるの」
ふふん、とシノ様は胸を張って言った。
ずっと不安を隠しきれないでいたけれど、いつもの調子が戻ってきたようだ。
ボクはその表情に安心して苦笑いした。
知ってます、と内心呟く。
口に出すと怒られそうだ。
「師匠に聞くのが一番手っ取り早そうだけど……。明日あたりふらっと出て来てくれないかな~」
シノ様は呑気を気取って空に向けあてもなく言葉を放った。
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