第32話 大事なものを守れない
~前回までのあらすじ~
ずっとシノ様に避けられていたボクだけど、ちょっと歩み寄ってもらえました。良かった~。あと、ずっと頭に引っかかっていた夢のことを思い出しました。
***
初めは真面目に取り合ってくれなかったシノ様だけど、ボクが水の夢のことを話していくうち、次第に考え込みながら話を聞いてくれた。
目覚めると水の霊力に満ちた場所にいたこと。
揺さぶっても誰も起きなかったこと。
聞こえていた水の滴りの音が次第に大きくなって、川の流れるようになったこと。
ミドウさんと似た服装をした男が現れて、その世界なら帰してくれたこと。
それからその男の語った話。
その世界は水の夢と呼ばれる妖魔、或いは精霊で、繋がりのある人間を引き込むということ。
男はボクの前世の人格で、放っておくと死んでしまうから、と出て来てくれたこと。
どうやらミドウさんと知り合いらしいこと。
それからこれは少し伝えるのを迷ったけれど、シノ様のことを頼まれたことも伝えた。
「なによ、それ」
シノ様は変な顔をして言った。
ちょっと不服そうだ。
「何でわたしがイヅルに頼まれなきゃいけないのよ」
「さあ……。あ、でも。ミドウさんにも、世話になるねって頼まれてます」
はあ!とシノ様は目を吊り上げてボクを睨みつけた。
「な、ん、でっ、わたしがイヅルなんかに世話されることになってるわけ。
どうなってんの。普通逆でしょ。
なに、そんなにわたしってダメダメに見えてる?
それともあんたの評価が異様に高いわけ?ちっ」
シノ様は盛大に舌打ちして寝転がった。
あっ、シノ様……。
そんな風に足なんて組んだらおみ足が。身体に巻き付けた服のすそがぱっとはだけて、シノ様の秘密の花園までもう少し……。
と、思わず身体を斜めにしてしまいそうになったところではっと我に返った。
なんかシノ様って、ボクみたいな弟子しかいなくて可哀そうだな……。
自虐しつつも視線を無理やり引き戻すと、シノ様はまた真面目な表情に戻ってなにか考えていた。
「……初めはただ寝ぼけてただけでしょと思ったけど、それだけイヅルの知らないことをぺらぺら話されたんだったら、ある程度は現実に起こったことと思っていいかもしれないね」
「はい」
「水の夢、なんて妖魔のことはわたしも聞いたことがない。そいつが適当言ってる可能性もあるけど、わたしも長く呪術師やってるわけじゃないし、知らなくてもおかしくはないかな。
それより、師匠の知り合いって方が気になる。
なんて名前か、聞かなかったの?」
「いえ、自分はボクだ、としか」
「そう。呪詛避けか、おちょくって楽しんでるのか、それとも名乗れないのか……。
そいつはイヅルの前世だって言ったのよね。心当たりはあるの?」
「昔、ミドウさんに寝込まされた時に見た夢に、あの人が出てきた気がします」
「ふぅん……」
シノ様は、また情報を隠してたのね、みたいな白い目でボクを見た。
いや、そんなつもりはないんですけどね……。
「詳しく話せるほどの夢じゃないんです。ボクはあの人の視線でものを見ていたと思うんですが、考えていることまでは分からなかったし、なんだかふわふわしていましたから」
「それでいいから、話してみて」
「分かりました」
ボクは目を閉じてあの夢のことを思い出そうとした。意識が朦朧としていて切れ切れな夢だったし、もう一年も前のことで欠落も多いけど……。
「……ボクはその夢の中で、とても強い呪術師だったんです。
なんだかすごく大きな町の大きなお屋敷の中の一角に住んでいて、どうやら屋敷の主ではなかったみたいですけど、みんなから尊敬されていました。
屋敷の中で何かしていたり、人にものを教えたり、時々人を引き連れて旅に出て、妖魔を退治して戻ってくるみたいな、そんな感じで過ごしていたと思います」
「うん。それで?」
「その人には、可愛がっている女の子がいたんです。でもその子は今のシノ様と同じくらいの歳の頃に屋敷の人に何かされてしまって……。
何をされたのかは分からないんですが、ボクはとても怒っていました。誰か偉い人のところに怒鳴りこんで、相手にされないのが分かると屋敷を破壊して、女の子を連れて逃げるくらいに。
でもどうやら、その屋敷の人はとても強い権力を持っているみたいでした。すぐに兵士たちが派遣されて、結局はボクは殺されてしまうんです。
あの子はきっと、連れ戻されたんでしょうね」
話している内に、ちょっと悲しい気分になってしまった。
もしかしたら、守れなかったと言った男のやるせない笑みを見てしまったからかもしれない。
「ふーん……。女の子ねぇ……」
シノ様は再び起き上がって、腕組みで難しい顔をしていた。
「その男がイヅルが夢で見たのと同じ男だとして、その夢が本当にあったことだったとして、さらにその男がイヅルの前世だったとして……。
ああ、だったとして、が多すぎてよく分かんないな」
シノ様はポンと両手を投げ出すようにして、大の字になってまたばたりと寝そべってしまった。
シノ様はそのまま宙をぼんやりと眺めている。
ボクはその透き通った鳶色の目を見て、綺麗だな、と思う。
ふと目が合うと、シノ様は微笑みかけてくれた。
「今日はなんか、温かくって気持ちのいい日ね。アズマじゃないけど、お昼寝したくなってきちゃった」
「そうですね、ごちゃごちゃと頭を悩ませるには向いていない日です」
「イヅルは初めから何も考えてないじゃない」
失敬な。ボクだってちょっとは考えること、あるもん。
唇を尖らせたボクを見て、シノ様はくすくすと笑った。
その笑顔を見ていると、何でもよくなってしまう。
ただずっとシノ様のことだけ見ていられればそれでいい。
でもボクは足ることを知らない愚か者で、もっと近づきたいって、手で触れて、シノ様がすぐそばにいるってことを確かめたいって思っちゃう。
言葉を交わして、体温を感じて、においをかぎたいって思う。
ボクは欲張りだ。
少し寂しい気持ちのボクに、シノ様がふんっと両手を差し伸べてきた。
「え。何ですか、シノ様」
「気が利かない奴ね。抱きしめてあげるって言ってんのよ」
「うえっ。なっ、なななんで!」
ボクがどきどきしながら言うと、シノ様は不機嫌にボクを睨みつけた。
「いいから。ご主人様に恥をかかせる気?」
ボクはおずおずと手を伸ばす。
途中でひっつかまれて、ボクは一気にシノ様の上に倒れ込んだ。
顔が近い。
……あれ、なんか。
なんか、最近も見たことのある光景のような……。
……あれ、ボク。
シノ様と、キ……。
沸騰しそうになったボクの思考を遮って、シノ様の両腕がボクの背中に回った。
ゆっくりとボクの身体を抱き寄せる。
きつく抱きしめられたボクはシノ様の首筋に顔を埋めさせられて、流石にちょっと照れくさい。
「何で逃げんの」
離れようともがいたら、聞き慣れたシノ様の不機嫌な声が耳もとで響いた。
「お、重いですから」
「軽いわよ。ちゃんと食べてるの?」
食べさせてあげられてないのはわたしか、とシノ様は自嘲的に言った。
「ごめんね。あんた、食べるの大好きなのにね」
たぶんシノ様は、旅に出ることになった責任を感じているんだと思う。
前に言われた、『おやじの料理の方が大事ってわけ』という言葉が頭の中に蘇った。
あの時は不機嫌が言わせた言葉だと大して気にしていなかったけれど、もしかしたらシノ様は、懐いていたおやじさんと急に引き離して自分についてこさせることを、ずっと気に病んでいたのかもしれない。
ボク、ダメな奴だな……。
シノ様は不安だって、ちゃんとボクに伝えてくれていたのに。
ボクは自分のことばかりで精一杯で、シノ様の気持ちを分かってあげられてない。
ううん。
そもそもボクはシノ様の気持ちを、これまできちんと分かろうとしたことがあったんだろうか。
シノ様は何でもできるって、頼れるご主人様だって、シノ様がそう見せてくれる姿だけ受け取って、都合のいい関係でいただけなんじゃないだろうか。
もっと近づきたいって、シノ様のことを守りたいって、口先だけで満足していた。
だからシノ様を不安にさせて、今だって抱きしめられて、慰められている。
ボクはシノ様にもらってばっかりだ。
愛情も、ぬくもりも、服も、食事も、居場所も、生きていく意味も。
「わたし、ね。イヅルのこと、守ってあげなきゃって思ってたの」
シノ様は言葉を選ぶように慎重に話し始めた。
「初めは……、憐れみだったと思う。初めにあなたのことを見た時、あなた、虚ろな目をして、痩せて、今にも死んでしまいそうだった。
一人が寂しくて都合よく使ったとは思うけど、イヅルにとって尊敬できる主人になろうって思ってた。師匠がしてくれたみたいにあなたのこと、ちゃんと守ろうって……。
でもね、わたしにはできなかった。
師匠にはあっさりやられちゃったし、人さらいにはさらわれるし、知らない間にまた危ない目に遭ってるし……」
ごめんね、と言ったシノ様の声はちょっと震えていたと思う。
また、謝らせてしまった。
――違う!
ボクはそう叫びだしたくなった。
シノ様はボクのヒーローで、いつも優しくて、頼りになって……。
だから、シノ様がそんな風に悲しそうに言う必要なんてないんだ。
でもボクの胸は詰まって、何も言えないでいる。
「水の夢、って言ってたね。
たぶん、眠っている間に魂だけがからめとられたんだと思う。イヅルは霊的存在としてその時世界を見ていた。だからその男は、見え方が違うだけって言ったのね。
呪術師にも、魂を飛ばして遠方を視る術があるわ。身体に戻れなくなる可能性のある危険な術よ。きっと水の夢の中に取り込まれると、そういう状態になるんでしょう。
なんにせよ、盗賊にさらわれるよりよっぽど危ない状況だったでしょうね。その男がどういう存在なのかはともかく、感謝しなきゃ」
シノ様は気を取り直したように少し元気を出して言った。
からげんきだ。
そのくらいはボクにも分かる。
「ほら、どいて」
シノ様の腕がボクの身体を放す。ボクはそのことが寂しくて、シノ様の肩にしがみついた。
「もう。どいてよ。サービスタイム終わり。ずっと乗っかられてたらちょっと苦しいよ」
シノ様の優しい声を、ボクは首筋に鼻を埋めたままで聞いている。
冷たい川の水で洗ったばかりの身体からは、ほんの少しだけ温かな肌の柔らかなにおいがしていた。
大好きなシノ様のにおいだ。
安心して、眠くなってしまうにおいだ。
ボクは……。
この人に守られるばっかりじゃ、嫌だった。
ボクもシノ様のことを安心させてあげられるようになりたかった。
でも……。
シノ様が辛い時、何も言ってあげられないようなボクのままじゃ、きっとどれだけ強くなったって、大事なものを守れない。
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