第31話 いじっぱり


~前回までのあらすじ~

 念願の川を見つけたボクらは、雪解け水の冷水で洗濯と水浴びの荒行にチャレンジ。ボクはシノ様に手を握られて、すごく切ないような気分になっちゃった。

 おかしいな、シノ様の手に触れることなんて、これまで何度だってあったのに。


 ***


 午後からはまるまる休憩をとることになった。


 洗い物が乾くのを待っていなきゃいけないし、そんなに急ぐ旅でもない。

 毎日朝から歩き詰めで、足も痛くなっていたから助かった。


 たき火の近くの木と木の間に張られたロープには洗濯物が吊るされている。

 アズマとゴドーさんが頑張ってくれたらしい、ボクの服は最後に見たよりも少し綺麗になっていた。


 元通りというのは難しいだろうけど、町で着ていて兵士に呼び止められないくらいになってくれると嬉しいな。


 ちなみに、洗ってしまったせいで服がないので、今は天幕用の布を身体に巻き付けて間に合わせている。

 まあ、みんな大なり小なり似たようなものだ。


 アズマは腰布一枚の姿で、日の当たる乾いた草地に寝転がって気持ちよさそうに昼寝していた。

 馬たちも荷物を下ろされてその近くで嬉しそうに草を食んでいる。


 セリナさんとゴドーさんは、少し離れた場所でのんびりと何か話していた。


 ボクは水浴びしていた岸のたき火の傍に座ってぼんやりと水面を眺めている。


 シノ様の手に触れた時の身体の奥のざわめきがまだ消えない。

 それがどういう感覚なのか、ボクはまだ測りかねている。


「元気ないね」

 振り返ると、シノ様がどんな顔をしていいか分からない時の仏頂面をして立っていた。


「そんなことないですよ」

 ボクはほほ笑んで視線を戻す。

 なんだか、シノ様と目を合わせづらい。


 ボクがそんな調子だからだろう、シノ様もボクとどう接していいか分からない様子で、とりあえずとばかりにすとんとボクの隣に座った。


「あ~……、えっと。疲れたね?」


「そうですか?」


「えっと……、うん。ずっと町に住んでたから、こんなに歩いたの久しぶり。実は足も痛くてさ」


 シノ様は靴を脱いだままの足を投げ出してぐーぱーと動かす。

 その足に血がにじんでいるのを見つけると、ボクのどーでもいい物思いなんて一気に吹き飛んでしまった。


「どうして言ってくれなかったんですか!」

 ボクはちょっと強めの声で言ってしまった。

 シノ様は不貞腐れた顔をした。


「そんな、怒らなくても……」

「怒りますよ。痛かったでしょう、こんな……」


 ボクがところどころ皮のめくれ上がった足を手に取ると、シノ様は少しくすぐったそうな表情をした。


 ボクは何か堪らない気持ちになって、そっと傷口に触れた。

 痛いよ、とシノ様が薄く微笑んだ。


 シノ様の足は案外小さかった。たぶん、ボクの足よりも少し小さいくらい。


 手で触れていると、身体の奥がきゅうと痛む。


 頬ずりとか、口づけとか、したくなってしまって、でもそんなことしたら流石に嫌がられると思うから、視線を無理やり引きはがした。


 シノ様は、ボクの視線に咎められていると勘違いしたらしい。

 唇を尖らせて言う。


「だって……。イヅルがなにも言わないのに、わたしだけ痛いとか、そういうこと、言えないでしょう?」


「ボクは山育ちなので、これでも山歩きは慣れてるんです」


 シノ様は顔を俯けた。


「そっか。イヅル、天外山脈の奥の村の出身だって言ってたもんね」


「はい」


「ごめん。わたし、イヅルに負けないようにって、意地、張ってたね」


 意地を張るなんて、どうして、と思ったけれど、すぐに合点がいった。


 シノ様はずっとボクの主人として尊敬できる人間であろうとしてくれていたと思う。

 あまり弱みも見せてくれなかったし、ボクを守ろうとしてくれていた。

 たまにガミガミ言ったり褒めてくれたりするところも、お母さんみたいだった。


 もしかしたらシノ様は、ボクにとってのミドウさんを目指していたのかもしれない。

 シノ様にとっての家族と言える人はミドウさんだけだから、ミドウさんがしてくれたみたいにボクに接してくれていたのかもしれない。


 ミドウさんのことを話す時、シノ様はいつも優しい顔をしていた。

 初めて会った時はいきなり斬りかかったけど、急に放置されてそれだけショックだったんだろう。


 きっと二人で過ごした幼少の長い旅の間、シノ様はミドウさんといっぱい大切な時間を過ごしたんだと思う。

 シノ様はミドウさんの腕の中にいる時、とても安心しきって眠れていたんだ。


 シノ様は、その思い出をボクにも分けてくれようとしたんだと思う。

 だから夜になったらボクのことを抱きしめて眠ってくれるし、強くて威厳があって、頼れるシノ様でいてくれようとしたんだ。


「シノ様は優しいですね」

 なにそれ、とシノ様は笑った。


「わたしはいつだって優しいわよ」


「最近はちょっと冷たかったです」


「それは……」


 シノ様は何か言おうとして口をつぐんだ。

 それから探るような目でボクを見る。


「……あんた、覚えてない?」

「何がですか?」


 尋ねると、シノ様はがっくり肩を落とした。


「それ、演技だったらぶっ飛ばすからね」

 ため息交じりの言葉に、焦る。


 えっ。え、何かあったっけ?


 ボクは最近あったことを必死で思い出そうとする。


 いや、あれか。あれだ。シノ様の態度がおかしくなったのはあれからだ。


「じっ、実は二日ほど前になんかすごい夢を見たような、見てないような……」


「はいはい、夢ね」


 なんだかシノ様の返答がぞんざいだ。

 呆れられているような、諦められているような。


 って言うか、思い出した!


「そうだ、シノ様。ボク、ボクの前世を名乗る男に会いました!」


 シノ様はボクの顔をぽかんとして見上げて、ははっ、と乾いた声で笑った。


 雑な言い訳だと思われてる!


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