第30話 水浴び


~前回までのあらすじ~

 ガラウイ山地ともお別れが近づく頃、ボクらの目の前に水場が現れた。

 やったぜ、血みどろの服からおさらばだ!


 ***


 ガラウイ山の西側のすそ野。

 山々に囲まれたいつもは静かな谷間には、今日はむくつけき男どものリラックスした声が響いている。


「やはり、いい身体をしているな。鍛えられた戦士の肉体だ」


「へへ、そうか?あんたに言われると嬉しいよ。盗賊どもの中でも、おれぁきちんと鍛えてたんだぜ。

 でも、ゴドーのおっさんも歳の割にすげぇや。あとこの古傷……」


「若い頃、焔狐にやられたんだ。恥ずかしい話だ。俺は昔から周りより少しばかり腕が立ったからな、調子に乗っていた。手痛いお灸だったよ」


「いいや、恥ずかしいことなんてねぇ。男にとっちゃ勲章だよ」


 藪に囲まれた小川のほとりには二人分の声が響いている。

 日に焼けた艶のある褐色の肌、張りのある筋肉、たくましい胸板。


 ほうほう、ふむ。なるほど、ああなってるのか。

 勉強になります。


 ときに男っていうのは、互いに身体を誉め合うのが嬉しいんだろうか。なんなんだろう、よく分からない。


 あ、でもボクもシノ様に褒められたらうれしいかも。


「イヅルったらお肌すべすべ~」

「えへへっ、そんなことないですよ~。シノ様にはかないません」


「おっぱいも膨らんできたね。じきに追い抜かれちゃうかな」

「ボクは、シノ様のスレンダーで美しい身体のラインが好きですよ」


「ふふ。イヅル、好き、なんて」

「あ……。でもっ、ほ、ホントのことですから!」


「イヅル……」

「シノ様……」


 でへへ。

 なんかいいかも。


 まあ、近頃シノ様にはちょっと避けられてるんだけどね……。


 ちなみに水はめっちゃ冷たいから、そんなきゃっきゃうふふする余裕なんてないに違いない。


 まだ太陽は東の空に高く昇っているけれど、そばで火を焚いていなきゃ、凍え死にしてしまいそうだ。


 男どものむちむち空間から少し藪を挟んで、女性陣は洗濯中だった。


 とりあえず下着類などしばらくすれば乾きそうなものだけを選んで汚れを落とし、火の傍のロープにかけておく。

 服として纏っているものは、乾きにくいし保留だ。洗い替えもないし。


 ボクの服だけは血みどろだったので頑張って擦る。

 でもこれがまあ、取れない。


 全然、取れない。


「シノ様、服が綺麗になる呪術とかないんですか?」

「あったらとっくに使ってるわ」


 そりゃそうか。


 それにしても水が冷たい。

 いや、冷たいとかじゃない、痛いのだ。


 手がかじかんで、もう勘弁してくれ、拷問だ、って叫ぶ。

 指から血が滲んでいないのが信じられない。


「その辺で諦めて、町に着いたら新しいのを買った方がいいかもね」


「そんなぁ……。シノ様に初めて買ってもらった服なのに」

 ボクが情けない声を出すと、シノ様は眉をひそめた。


「捨てなさいとは言ってないわよ、何にでも再利用できるもの。心配しなくてももっといいのを買ってあげるわ。わたし、一応蓄えはあるんだから」


 むぅ……。

 もっといいの、とかいう話じゃないんだけど。


 シノ様には、ボクとの思い出とか、あんまり感じるところはないんだろうか。




 男どもの水浴びが終わると洗濯を交代した。

 服の汚れは筋肉に期待するとする。


 一応、見えないように草で遮られてはいるけれど、ちょっと首を伸ばせばすぐに見えてしまう程度の仕切りでしかない。

 っていうか、奴らは立っただけで覗ける。


「アズマ、覗くなよ」

「お前の身体なんかにゃ興味ねぇよ」


 一応声をかけておくと、草陰の向こうから失礼な返答が返って来た。


 おいおい、ボクだって日々成長中なんだ。見くびってもらっては困る。

 いや、興味を持ってほしいわけじゃないんだけども。


「つーかなんでゴドーのおっさんには言わねえんだよ」

「ゴドーさんはそういうことしないもん」


「分かってねぇな。一番しなさそうな奴が案外やるんだ。そういうもんだ」

「えっ」

 そうなんですか、ゴドーさん。信じてたのに!


 草むらの陰から、ゴドーさんの苦笑いの気配がする。


「イヅル、バカ言ってないでさっさと終わらせるわよ」

 振り向けば、シノ様はすでに服を脱ぎ捨てていた。


 丸い肩から下る肢体の曲線と、適度に身体を覆う筋肉、程よい胸のふくらみ、しっかりとした腰つき。

 堂々と身体を晒しつつも少し恥ずかしそうに頬を染める姿は優美な一輪の花。


 ああ、シノ様。あなたはなんてシノ様なの!


「シノ、イヅルがやらしい顔して見てますよ。ちょっとは隠した方がいいんじゃない?」

「えっ……。セリナさん、あれってやっぱりそうなんでしょうか?」


 ちっ、ちっちちち、違うやい!

 

 川は一番深いところでも太もも程度の水深だ。

 手足の感覚がなくなってくるほどの冷水の中に身体を突っ込むのは中々の苦行だった。


 しばらく水の中で身体を擦って、がたがたと震えながら火のそばに手をかざす。

 これで終わりでいいやと思いもしたけれど、次に水浴びできるのがいつになるか分からないと思うと、もう一度くらい頑張ってみるかと思う。


 ボクもシノ様もセリナさんも必死で、男どもみたいに和やかに笑い合う余裕なんてなかった。

 なんなんだ、あいつらは。


 案外お互いやせ我慢してただけかもしれない。

 ほら、男って意地を張りたがるし。


 っていうか、そうじゃないとおかしい。


 身体を切り裂くような水の中に頭まですっぽり沈めて頭をマッサージしていると、ちょっと向こうでボクと同じようにしているシノ様と水中でぱちりと目が合った。


 ぷはあと水面に出るとシノ様も浮かび上がってきた。イイヅルも、ががが頑張るね、と歯の根の合わない様子で言う。

 ちょっと変な顔してる。

 多分笑おうとして失敗したのだ。


「シシシシノ様こそ」

「イイイイヅルほどじゃないよ~」


 あれ、さっきのきゃっきゃうふふ妄想劇場でも出てきたな、こんな会話。

 理想とはまるで違うけど。


 シノ様は立ち上がって背中までの乱れた髪をさっとまとめた。


 ボクは思わずその仕草をぼんやりとして目で追ってしまう。


 それにしても、シノ様は本当に美しい身体をしている。


 脇腹のくびれとか、ふっくらしたお尻の形とか、下腹部の曲線だとか、そういうものに目が引かれる。


 指先で触れてみたいと思う。


 知らず差し出していた手を、シノ様が屈みこんでおずおずと取った。


「えっ、どうしたの」


 シノ様の手は冷え切って、けれどその奥には確かな熱があった。


 触れ合っているとボクの指の冷たさとシノ様の指の冷たさが絡み合ってじんと痺れた。


 なんだろう、ちょっと泣きたくなってしまった。


「あっ、寒い? 寒いね。もうこれでいいにしよう。そろそろ風邪ひいちゃうよ」


 シノ様はボクの顔を見てちょっとぎょっとした様子で慌ててボクの手を引いた。


 岸に戻ると、セリナさんはもう上着のマントを着込んでたき火の前に立っていた。

 セリナさんはボクの手を引くシノ様を見て、あらあら、と目を丸くした。


「なにしたの、シノさん」

「知らないけど、寒いんだと思うわ」


「へえ。悪いひとね」

「なによ、それ」


 シノ様はしかめ面で睨みつけた。

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