第29話 いただきます


~前回までのあらすじ~

 旅の途中、水の夢と呼ばれる妖魔に取り込まれたボクは一人の男と出会う。前世の人格を名乗る男の助けを得て、ボクは夢から覚めることができたのだった。


 ***


 気が付くとまだ辺りはしんと深い闇の中だった。


 ボクが勢い込んで起き上がると、夜番をしていたゴドーさんが顔を向け、怖い夢でも見たか、と優しく尋ねた。


 あの場所に戻ってきたわけではないらしい。空には星が浮かび、風の音も虫の声もする。

 ボクはほっとして息を吐いた。


 ……夢?

 夢だったのか、今のは。


「もう、なに……?」

 シノ様が眠い目を擦りながら起き上がる。


 ボクは気づいたらシノ様の首根っこに抱き着いていた。

 抱きしめる力も手加減できなくて、自分が案外動揺しているらしいことにボクは今更気が付いた。


 腕の中に感じる体温と、心臓の鼓動。

 それらがじんわりと身体の中に染みこんで、ボクの心を落ち着かせる。


「もう、なによ。甘えん坊さんね」

 シノ様がまんざらでもなさそうに言って、ぽんぽんと後ろ髪を撫でてくれる。


――帰って来られたのか……。

 ボクはぽつりと胸の内に呟く。


 そうすると、最後に夢の中で見た光景が脳裏に浮かぶ。

 近づいてくる自分の顔。うええ……。


 一回目はセリナさんに取られた。二回目は、なんか自分とだった。


 ボクはもしかしたら間違えていたのかもしれない。

 一番とっておきたくて大事にしているものは、いつだって他の誰かが横入りしてさっさと取って行ってしまう。


 だから、欲しいものほど大事にするんじゃなく、大胆に、手に入れてしまわないといけないんだ。


 ボクはぐっと肩を押してシノ様の腕の中から逃れた。

 そして慎重に狙いを定める。


 シノ様はきょとんとした表情でボクを見ている。

 まだ半分寝起きのぼんやりした顔だ。


 無警戒で、これから何をされるのかなんてちっとも分かってない。

 可愛い。


 では、いただきます。


 ちゅっ、てしたと思ったら、朝が来ていた。




 目が覚めると、もうボク以外の人はみんな起きて鍋を囲んでいた。


「いつまで寝てんだよ」

 アズマが笑って、ボクに朝食の練り麦の入った椀を渡してくれた。


「うん、ごめん。でもなんか、頭がガンガンするんだよね。体調崩したかな」


 何だったか、すごく大変な夢を見たような気がしているんだけど……。

 思い出せない。


 何かこう、すごい小難しい感じの夢の後に、なにか大事件があった気が……。


「あら大変。熱は……、ないようだけど。あれ、なんかたんこぶできてない?」

 セリナさんが首を傾げたから、ボクは頭に手を遣った。

 確かに、こめかみのあたりにぷっくりと腫れている。


「え~っ、どこかにぶつけたかな」

 なんとなくシノ様に視線をさ迷わせると、知らないっ、と即座に顔を背けられた。


 絶対何か知ってる反応だ。


 って……、あれ。

 ゴドーさんがさりげなくシノ様を隠した。


 なんだ、なんだ、なんですかぁ。

 シノ様の騎士様気取っちゃってんですかぁ。

 ボクを差し置いてどういうつもりだよ、おい。


 あっ……。まさか。

 あいつ、シノ様を狙ってんじゃないだろうな。

 歳の差いくつだよこのロリコン!


 ボクが威嚇したら、可哀そうなものを見る目で見られた。


 そっとシノ様の肩に手を遣って、二人で少し離れていく。


 えっ、なにあれ……。

 えっ、近くない?

 えっ、どうして、ボク……。


 思わず手から朝食の器をこぼしかけたところでアズマがキャッチした。


「おい、食い物を粗末にすんな」


「あ、ごめん……」

 怒られてもごもごと謝る。


 いや、でもさ……。今なんか、すごくショックなんだけど。


 食べている間もシノ様とゴドーさんのことが気になってちっとも身が入らない。

 そんなボクを見てセリナさんがふふっと笑った。


「あの二人、今朝からああなんですよ。シノちゃんはずーっと上の空かと思ったら急に顔を真っ赤にするし、ゴドーはずっと甲斐甲斐しいし。昨日の夜、誰も見ていない内に二人の間に何があったんでしょうねぇ」


「ぅぁぁ……」

 ボクは思わず天を仰ぐ。


 ええ……。昨日、なにかあったっけ。

 シノ様はいつもみたいにボクに抱き着いて眠っていたはずだから、夜中にシノ様がどこかに行けば分かると思うんだけど……。


「……やっぱり、なにかあったんでしょうか」

「そうね、ナニかあったに違いないわ」


 ぐうぅ、と崩れ落ちるボク。

 にやにやと意地悪な笑みを浮かべているセリナさん。


 アズマは、いいな~、とか言ってゴドーさんを見ている。

 一体何を想像していいとか抜かしてんじゃワレァ!




 それはさておき。


 水の夢を見てからから三日ほどが経った。

 長く付き合ったガラウイの銀嶺もようやく終わりが見え、道も下ることが多くなった。


 アズマは、馬を捨てるほどの道じゃなくてよかったな、と笑う。


 確かに山越えのルートだから覚悟はしていたのだけど、そんなに高く登った感じはしない。ガラウイ山を迂回するように比較的緩やかな場所を選んだルートだからこれで済んでいる。

 正面から挑まなければいけない天外山脈越えは、一体どうなることやらと不安で仕方がない。


 そしてそれより先にボクがずっと気になり続けていることがある。


 洗濯がしたい。

 水浴びしたい!


 前から言い続けていることだけど、大事なことです。


「まあ、それはそうだよな。だってお前、ひでー格好だぜ。そろそろ平原に下りるんだ。いい加減にちったぁマシな格好をしてくれなきゃ困るぞ」


 むきーっ!

 アズマにだけは言われたくない。

 言われたくはないが、今のところ血みどろの服で歩いているのはボクだけなので言われても反論できない。


 そーだよっ。今この一行で一番汚らしくてみすぼらしいのはこのボクですよ!


 と、そんな会話からほんのしばらく進んだ先でのことだった。


 山の岩陰から水の流れる音が聞こえた。

 そこそこの水量がありそうだ。


 その音に喜んだのはシノ様だった。

 どうやら水浴びを切望していたのはボクだけじゃなかったらしい。


 シノ様はさっきまでゴドーさんの隣をとぼとぼ歩いていたのに、急に元気になって跳ねるように走り出す。

 ゴドーさんはそんなシノ様の背中を微笑ましそうに見ている。


 ……ちっ。


「顔がやさぐれてますよ」


「……ほっといてください」


 あれからというもの、シノ様はなんだかボクに冷たい。

 今まではずーっとボクのそばを歩いてくれていたのに、急にゴドーさんの隣を歩くようになった。


 なんだい、なんだい、見せつけてくれちゃってよ~。

 ……ボク、なにかしたかな。


 シノ様に見捨てられたボクを拾ってくれたのは、ゴドーさんの隣を追い出されたセリナさんだった。


 ともすれば二人の背中を睨みつけているボクに、セリナさんはさりげなく話しかけ、慰めてくれた。


 女なんて気まぐれなもの、すぐに戻るべき場所を思い出しますよ、だとか、一途な子って好みですよ、とか、あなたを待っている女がここにもおりますよ、とか言ってくれた。


 ん?これって慰められているんだろうか。


 まあいい、優しい言葉には違いない。

 たまにシノ様が向けてくる氷のような視線に傷ついたボクの心にはすごく沁みるのだ。


 どうしよう、このままじゃセリナさんの誘いにふらふらついて行ってしまいそう。

 いやいや、ダメだ。ボクには心に決めた人が……。


 すると魔に魅入られかけたボクの耳に、あまりにも清涼感に溢れたはしゃいだ声が響いてくる。


「イヅル、川があるわ!」

 どうやら気まずい仲なのを一瞬忘れていたらしい。


 その声はボクの心を一瞬で浄化した。


 ああ、神よ。迷った我が身になんと慈悲深い……!


 シノ様はすぐに、あっ、と呟いて睨んでくるけど、もう遅い。シノ様が、意地を張ってるだけで別に怒っているわけじゃないのが分かってしまった。


 ボクがにまにましていると、シノ様はゴドーさんの陰にさっと隠れた。

 ああ、太陽が……。希望の光が。


 てめぇゴドー。シノ様のお気に入りだからって調子乗ってんじゃねぇぞ。ボクとシノ様の付き合いはお前よりずっと長いんだからな。ほんとだかんな!


 そんな思念を乗せた視線をぶつけてやると、ゴドーさんはまたボクを可愛そうな人を見る目で見て、シノ様をかばうように腕の中に寄せた。


 おかしいな。

 ゴドーさんとシノ様の間になにかあったってより、やっぱりボクがなにかしちゃったのかな。


 でも本当に身に覚えがない。

 あの日はとても大切な夢を見て……。


 あっ、そうだ。

 なにかとても大切な夢を見たんだった。

 どんなだっけ、えっと……。


 まあ、ともあれ水浴びだ!

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