第28話 水の夢
~前回までのあらすじ~
フミル王国を目指す旅の途中、ボクは夜中、水の音の怪現象に遭う。戸惑うボクの隣に現れたのは、以前夢の中で見たひとりの男だった。彼はボクに、このままでは死ぬと言う。
***
「死ぬ……、ですか」
ボクは眉をしかめて言った。
突然現れて縁起でもないことを言う奴だなと思った。
そりゃあ、いつかは誰しも死ぬだろう。人間だもの。
そんな風に言って笑い飛ばしてやろうかと思ったけれど、彼の言葉には妙な威圧感というか、言うことを聞かなければならないんじゃないかと思うような説得力がある。
「うん。……いや、死ぬことの定義次第では、むしろ生き続けるのかもしれない。
身体は世話をしてくれる人がいなければいずれ緩やかに死を迎えるのだろうが、精神だけはこの川の流れの一部になって世界を巡り続ける。
君がそれを望むのだったら、僕は黙って消えるけど」
「……はあ」
何を言っているのか分からずにボクが首を傾げると、彼はふっふと楽しそうに笑った。
「僕が聞きたいのは、君がどう生きたいと思っているのかだよ。
短い生を地に足を付けて終えるのか、永劫とも思える時間を、身体を失ってぼんやりと希薄になって過ごすのか」
「それは、ボクが死ぬことと関係があるんですか?」
「大ありだよ。僕は肉体と精神を合わせたところを生と呼ぶ。君はどうだいと問うているんだ。
精神のみの存在となっても生きていると思えるのであれば、このまま川の流れに身を任せるがいい」
彼がパッと指し示すと、ボクの膝のあたりまでがいつしか水に浸かっていた。
水面からシノ様の顔が死んだように安らかに透けて見える。
「シノ様!」
ボクはぞっと胸がすく思いで水中からシノ様を助け起こした。
しかし呼吸を確認すると、寝息は安らかで溺れた様子もない。それどころか濡れてすらいない。
ボクが訳も分からず狼狽える様子を見て男は小さく笑い声を漏らした。
「大丈夫だよ、彼女は眠っているだけだ。この川の流れに引き込まれているのは、君だけだからね」
「どうして……!」
ボクはあえぐように問う。簡単なことさ、と彼は答えた。
「あの川が、そういうものだからだ」
「どういうことなのか、ちゃんと説明してよ!」
答える気のない回答に、ボクはいらいらして声を荒げる。
男は宥めるように両手を広げた。
「ごめん、ごめん。訳知り顔で説明するのも久しぶりだから、ちょっと面白くなっちゃって。君もほら、いい反応するしさ」
嫌なヤツだとボクが思わず唇を結ぶ間にも、男は口元に手を遣ってうおっほんと咳払いした。
「君に残された選択肢は二つだ。ボクの助言を聞いて元の世界に戻るか、それともこの川と一体になって世界の裏側を巡り続けるか」
「元の世界って……。違う世界なんてものがあるんですか?」
「ああいや、言い方が悪かったね。見え方が違うだけで同じ世界なんだ。まあでも、分かりやすく言うと、ここは君のいつも暮らしている世界と重なり合って存在する、霊なる者の世界、ということになるのかな?」
「ちょっと……、よく分かりません。でも、戻りたいです」
ボクが言うと、男は満足げに頷いた。
「うん、そうだね。それがいいと思うよ。いっそこっち側に来ちゃうってのも転生の輪から抜け出す近道だから悪くないけど、苦しみもない代わりに楽しみもないからね」
語る内にも水位はどんどん増している。今はもう腰くらいまでが水に浸かり、ボクはシノ様を沈めてしまわないようにぎゅっと抱き寄せた。
「この川の流れは、水の夢と呼ばれる水の妖魔だ。
妖魔とは言っても、時々君みたいにこっち側と繋がりのある子が誘われちゃうからそう言われてるだけで、実際のところは精霊と呼んだ方がいいだろうね。
いつもは茫洋と漂ってほとんどこんな風にはっきりとは集まらないんだけど、君、川がないか、川がないかってずっと呼んでたでしょ。それでわざわざ君のところまで来てくれたみたいだ。
ダメだよ、呪術師が一心に祈ったりしたら。その分だけ力が働くこともあるんだから」
話をまとめると、ボクは今、水の夢と呼ばれる妖魔だか精霊だかの中に誘い込まれて別世界に来てしまっている。だからどうにかして帰らなきゃいけない。
この男は、さっきから小難しいことばかり言っているけれど、ボクを元の世界に帰してくれようとしている、ということだろうか。
それはそれとして、気になることを聞いた。
「それってつまり、お肉食べたい、お肉食べたいって祈り続けたら、お肉が食べられるってことですか?」
ボクが尋ねると、彼は思い切り苦笑した。
まあ、間抜けなことを聞いた自覚はある。
「さあ、それは……。まあ、あるかもしれないけど、働きかける先が……。もっと個別に指定できれば……。
でも、う~ん。お肉の精霊ってのは僕も見たことがないしなぁ。精霊ってのは世界を形作る節理に近いものみたいだから……。
いや。でも、地上を生きるものもまた世界の一つには違いないし、いるのかな……?」
おや、なんだかすごく難しい顔をしている。
すごく真面目に考えてくれているのが分かって、ちょっと好感度アップ。
「う~む。例えば鹿肉が食べたければ、鹿に会いたいと願っていれば引き寄せることもあるのかもしれないが、肉としてはなぁ……。
すまない、ミドウなら答えられるかもしれないが……」
「いえ、それで十分です。鹿を引き寄せて狩ればいいんですね!」
ちょっと男はちょっとうなだれている。なんだか自信喪失させてしまったようだ。軽い気持ちで悪いことを聞いてしまったな。
それはそれとして、今度試してみよう。
「ところでミドウさんを知ってるんですか?」
「ああ、友人だよ。君はもう彼には会ったのか」
「はい、酷い目に遭いました」
かくかくしかじかと説明すると、大変だったね、と男は笑った。
「でも、そうか。あいつが動いているのか」
ポツリと呟いた言葉は懐かしむようでもあり、切なげでもあり、感じ入るようでもあり、いぶかしむようでもあった。
その真意を聞くより前に、ボクの胸のあたりまで迫っていた水を見て、そろそろ頃合いか、と男はぱちりと手を打ち鳴らした。
水が割れ、切り開かれた草原の地面が姿を現す。
「なにをしたんですか?」
「ちょっと道を開けただけだよ。君の力を借りてね」
男は事も無げに言った。
「ここは水の精霊がいつか流れていく川を夢みる場所だ。君は精霊の夢に招き寄せられ、この場所に来た。
さて、この場所に一人、重複して存在しているものがいるのだけど、君には分かるかな」
「呑気にクイズですか」
ボクが不機嫌に眉をひそめると、いいじゃないか、と男は笑った。
「呑気と言えば、お肉が云々の話題も相当に呑気だったよ」
そう言われてみれば何も言い返せない。
ボクは大人しく腕組みして考えてみた。
いるってことは、生物?
ボクは招かれた。シノ様たちは招かれていない。だからどれだけ揺すぶっても起きてこないんだ。ここは水の夢だから。このシノ様は水の夢見たハリボテってことだ。
でもこの場にいるのはボクたち五人と謎の男だけで、二人いる人なんていないよね。
う~ん……?
「分かりません」
いざぎよく答えたら、がくっ、て感じで男がズッコケた。
なんだ、なんだ。ノリが古いよ。
「初めに言わなかったっけ。僕は君だって」
「言ってたかも、しれませんね?」
ボクが首を傾げると、男はふぅっとため息を吐いた。
「イヅル君は、僕と同じ魂を持っている割になんだかぼんやりしているねぇ。まあ、魂が同じでも結局は赤の他人だものね。そういうものか」
同じ魂?
なんのことだ。
「前回君が生きていた頃の人格が僕だってことさ。
でも、あまり気にしないでいいよ。君と僕は関係ない。今、この生は君だけのものだ。僕も、今回は水の夢の中の君が丁度よく余ってたから出てこられただけで、普段は君の中で眠っているしね」
ボクはもっと詳しく説明してほしかったのだけど、問い詰めようとする前に男が再び口を開いた。
「でももしも僕に、一つわがままを言うことが許されるなら、このままアスミ……、シノさんのことを、守ってやってほしい。
……守れなかったんだ、僕は」
男は少しおどけたような、自嘲するような表情をしていた。
そんな顔、する必要はないと思う。
あなたは大切なものを守るために戦って死んだんでしょう?
そんな人を貶めることは、例え本人にだって許されない。
「守るよ、ボクは」
ボクが答えると、男は少し和らいだ顔で、ありがとう、と呟いた。
そして男の指がぴっと縦に空を裂いた。
男の姿はたちまち崩れて塵のように舞い散る。
塵の中から現れたのはボクの身体だった。
ボクは倒れようとするその身体を咄嗟に抱き留めた。
そのボクはただ眠っているだけのように思えた。
シノ様たちと一緒だ。
でも、自分の身体だからかめっちゃ気持ち悪い。
『それが扉だ。君の身体が君の夢に繋がってる。飛び込め』
どこかから男の声が響いてきた。
「とっ、飛び込む?」
どうやって!
『いいから、早く。水が戻って来るよ』
言われてみれば、男がいなくなった途端に足元には再び川が流れ始めている。
ボクは慌てて手に抱えたボクの身体を観察した。
えっ、これが扉?
飛び込む?
なに?
ボクの身体はがくりと力なく頭を背後に垂れて、半開きの口が見えている。
く、口……?
まあ、扉に見立てられないこともない。というか、人間の身体に何か入って行くとしたらここだろう。
えと……、口にすることと言えば……。
ボクは思い切って、自分の口に唇を押し付けてみた。自分とキス、なんてぞっとしないけど、追い込まれていたので深く考えもしなかった。
ただ、おや、みたいな声が聞こえたのでたぶん意外なことをしたんだと思う。
ボクは接触した場所から身体が沈み込んでいくのを感じた。ガラウイの霊力と繋がる前に腕が地面に呑み込まれたのと似た感覚だった。
これが扉というわけなのだろう。
うん、口づけする必要、たぶん皆無でしたね。
ボクはボクに呑み込まれて、そして一瞬の浮遊感の後、すとんとボクの中に落ち込んだ。
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