第27話 ウサギ肉のスープ


~前回までのあらすじ~

 一夜滞在した村で歓迎を受けたボクらは、一時の休息を経て旅路に戻る。

 それはそうと洗濯したい。


 ***


 日没が近くなると野営地を探しながら歩くことになる。

 なるべく平らで、上から瓦礫が降って来ることがなさそうで、肉食獣や妖魔に見つかりにくそうで、風が直接吹いてこない場所。


 そう考えるとちょっと難しい。

 なにしろ辺りは緩やかな傾斜の続くごつごつした岩の転がった丘陵地帯。特に、平らで風が吹き込まないという条件が難しい。


 大抵は妥協して、まあここでいいかという場所に落ち着くことになる。

 ボクとしては、なるべく下が柔らかいところがいい。朝起きたら背中や肩がぴりぴり痺れていたりするんだもの。

 まあ、そんなとこ、滅多にないんだけれど。


 ただこの日はこれまでより緑豊かな場所に入って、背の高い草の生い茂った草地を見つけた。ちょっとゴドーさんが腰の剣をふるえば、茂みの中に隠された野営地の完成である。


「ちょっと早いが休むか」

 アズマの言葉に誰も異論をはさむ者はなく、野営地の設営は速やかに行われた。


 天幕を張り、小道の脇で火を焚いて、食事の準備。みんな慣れたものだ。


 お湯が沸くまでの間、ゴドーさんとアズマが二人で連れ立ってどこかへ消えた。

 セリナさんが、いつも二人で何をしてるんでしょうね、うふふ、とか言っているのをあしらいながらお茶を飲んでいると、草原の中から二人が帰って来た。

 なんだろう、二人してニヤニヤして。ゴドーさんまで。


「イヅル、喜べ。肉だ!」

 アズマが、じゃーん、と掲げた手には肉の塊。既に毛皮ははがれ、切り取られた首からは血が滴っている。


「うわっ、なにそれ。うわっ、すげー!」

 ボクが文字通り小躍りしながら近づくと、アズマはふふんと胸を張った。


「ウサギだ。ちょろちょろしてたんで、石ぶつけてやったんだ」

「へえっ、すごいね」

「ああ、大したもんだ」

 アズマはゴドーさんに褒められてうれしそうだ。


 夕食は急遽、いつもの簡素な食事から豪華肉料理に変更された。


 と言っても手元の調味料は塩だけ。

 おやじさんの料理みたいな美味しさは出せないけれど、細切れにしたウサギを放り込んだ鍋に練り麦を浮かべてしばらく待てば、新鮮な肉の滋養がたっぷりと詰まったスープの完成である。


 いつもの食事と比べればお祝いの日くらいの豪華さだ。


 器に盛りつければ湯気と共にたつウサギ脂の芳醇な香り!


 うめー、うめーとがつがつ肉を食らうアズマを横目に、ボクはふんっと鼻で笑う。

 バカめ、アズマ。

 こういうものはまずスープから味わうものなのだ。


 少し息を吹きかけて冷ましてから一口スープを口に含むと、思い出す。

 そうだ、これだ。ボクの身体が求めていたものは!


 塩もケチっているから、一切の飾り気がない上に薄味のスープ。

 しかしそれがむしろ素材の味を際立たせる。


 喉の奥に下っていけばボクの身体が、細胞の一つ一つが歓喜する。

 身体に蓄積されていた疲労と、まともな食事にありつけていなかったこの数日がこの素朴な味を無上の喜びに変えている!


 そしてスープの旨味に急き立てられるように肉片をナイフに突き刺して口にいれれば……。


 張りのある肉は表面に歯を突き立てるとほんの少しの抵抗のあとぷつりと弾ける。するとあふれ出る肉汁がボクの口の中にじゅわりと広がって優しくボクを迎え入れる。


 おかえり、と彼は言う。

 ただいまとボクもほほ笑む。


 再会のひと時は確かに幸福で、しかし破滅的な程にボクを傷つける。

 なぜなら乞われるようにひと噛みする度、お別れの時は確実に近づいているのだから。


 …………。

 ……。

 はっ、ちょっとトリップしてた。


「あっ……」

 小さな声が聞こえて振り向くと、シノ様が舌を出して涙目になっていた。

 熱かったらしい。

 シノ様は猫舌なのだ。 

 

 ボクは可愛らしいシノ様の仕草を慈母のような笑みで見守る。


 焦ることはありませんよ。

 彼はきっと、待っていてくれますからね……!


 って言うか、ふーふーして差し上げましょうか?


 とか思っていたら、シノ様がボクの方を向いて眉間にしわを寄せた。


「イヅル、なんか視線がキモいんだけど」


 ガーン、しょっく!




 その日の夜のことだった。

 ボクは食事に満足して、あとは水浴びができればもう望むことはないんだけど、と思いながら眠りについた。


 そのせいなのだろうか。

 ボクは水の滴るような音を聞いて目を覚ました。


 明るいうちは気づかなかったけど、もしかして近くに水場があるんだろうか。


 ボクはしばらく目を閉じて目を暗闇に目を慣らすと、シノ様を起こさないようにそろりと身体を起こした。

 そしておかしなことに気が付く。


 夜の間は誰かが不寝番をしているはずなのに、誰も起き上がっている様子がなかったからだ。もしかしたら、満腹のせいで眠気に誘われてしまったのかもしれない。


 せめてボクが起きていなければと、眠っているシノ様の傍らに座ってしばらくじっと真っ暗な夜の闇の中に目を凝らしていた。


 不思議なほど静かな夜だった。


 風もないのだろうか、周囲の草たちがそよぐ音もしない。

 虫の声すら聞こえない。


 少し不気味に思って顔を上げると……、不思議だ、星がない。


 けれどだとしたら、どうしてボクには周囲の様子がぼんやりとでも見えているんだろう。


 その時、またどこかで水の滴る音がした。その音は随分間隔を空けて、したり、したりと聞こえてくる。

 音のない夜、どこからか聞こえてくる微かな水音は不気味に思えた。音の間隔が次第に狭まっているように感じるのも、ボクが不気味に感じているせいかもしれない。


 ボクはその音が妖魔か何かの立てる足音なんじゃないかと不安になった。

 そんなはずはないと思ったけれど、我慢できなくなってすぐ傍らのアズマの肩をゆすぶった。


「アズマ、起きて。アズマ」

 けれど起きない。

 むきになって激しく揺すぶったけど、それでも起きない。


 流石に異常だと思った。


 ボクはシノ様のことも、ゴドーさんのことも、セリナさんのことも、起こそうと揺すぶって回った。


 誰も起きない。


 心配になってボクはシノ様の胸に手を当てた。


 心臓は、動いてる。

 呼吸もしてる。

 ――生きてる。


 だのにどうして誰も起きない?


 ボクはどうしようもなくて、もう一度耳を澄ませた。

 水の音は次第に大きくなっている。聞こえる間隔も、間違いなく狭まっている。


 ボクはとても怖くなった。


 なにか言い知れない巨大な力がボクらの上に覆いかぶさるようにして存在していて、その力はボクがこういう時にどうするのか、どんな感情を抱くのかを観測する為に、みんなを眠らせてボクを一人にしているような気がした。


 ボクは……、そうだ。


 怯えてる場合じゃない。

 ボクは呪術師だ。シノ様にだって認めてもらった。

 旅の間、ボクは腕力も知識もなくてみんなに貢献できていない。だからせめてこういう時には、みんなを守らなくちゃいけない。


 ボクは震える足を拳で打ちつけて立ち上がった。


 それでも向こうまでは見渡せない。

 背の高い草に囲まれたくぼ地の上には、空がふたをするように覆いかぶさっている。


 ボクはすっと息を吸い込んで、周囲にある精霊の気配を探り、手繰り寄せる。


 でもおかしい。


 いつもならどんな場所にも火の精霊、水の精霊、木の精霊、金の精霊、土の精霊の力を感じられるのに、ここには水の精霊の気配しかしない。

 いやむしろ、水の霊力が満ち溢れている。


 これは……?


 いつしか音は頭の奥をじんと刺激するほどに大きな音になっている。

 水の滴だと思っていた音は今や連続して、何かの流れを形作る。水の一滴が重なり合い、響き合って小川となったのだ。


 小川は流れ、そして別の川と出合い、合流し、大河となる。


 大河は流れていく。

 それはほとんど水しぶきも立たないようなゆっくりとした水流で、水音はもう遠くから僅かに聞き取れる程度になっていた。


 ボクは再び静かになった周囲を警戒して辺りを見回す。

 草は変わらずそよぐこともなく、空に星もない。


 気づくとボクの隣には一人の男が立っていた。


 ボクは驚いて何か叫びだしそうになった。

 けれど男がしっと唇に指を遣ると、何も言えなくなった。まるで無理やり声を押し込められたような感じだ。

 気持ちが悪い。


 彼は中年を過ぎたくらいの年齢の男だった。

 とは言え白髪交じりの髪で判断したくらいで、年齢は顔には出ていない。しわひとつない端正な顔立ちをした男だった。


 服装はミドウさんの着ていたものと似ている。

 素材は細かな糸を使った高級そうな織物だった。薄水色をして、前あわせに紐で留めたシャツと、足元の隠れるほどの長さの緩やかなズボン。その上にふわりと袖のあるゆったりとした羽織りものを着込んでいる。


 ボクはその男のことを知っている気がした。


 あれは確か……、そうだ。

 ミドウさんに会った後、寝込んでいる最中だ。

 ボクの夢の中で彼だった。

 そして彼は、誰か女の子を守って死んでいった。


「……誰、ですか」

 ボクは囁くように言った。


「僕は君だよ」

 彼は曖昧にほほ笑んだ。


 何を言っているんだと思った。

 適当なことを言って誤魔化そうとしている。

 怪しい奴だ。


 けれどどうしてか、ボクはその曖昧な笑みに親近感みたいなものを覚えた。


「そう、ですか」

「うん、そうなんですよ」

 彼はゆっくりと頷いた。

 そして平然と、不吉なことを預言した。


「君、このままじゃ死んじゃうよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る