2章 氷雪の旅路
第20話 再会
~前回までのあらすじ~
七人の盗賊たちに対してたった一人で挑んだアズマ。それを見ていることしかできなかったボクに山の霊力が流れ込み、斜面の土砂が盗賊たちを襲う。
アズマは何とか無事だった。良かったぁ……。
***
なんだかいいにおいがした。
おいしいもののにおい、ってわけじゃないよ。確かに食べ物は、ボクが今一番欲しているものの一つかもしれないけれど。
でもそのにおいはなにか違った。
丸くて柔らかくてとても安心できる手触りで、温かくてなんだか眠くなってしまうような、そんなにおいだった。
ボクはお母さんのことを思い出していた。
お母さんは優しい人だった。ボクがなにか手伝いをするといつも誉めてくれた。怒らせると怖かったけど、理不尽なことじゃ怒らなかった。
その点シノ様は、時々急に怒りだす。
天気が良くないと言っては不機嫌になり、背中がかゆいと言っては不機嫌になり、おやじとボクが談笑していたら不機嫌になることもあった。
不機嫌になったからボクを蹴とばしたりするわけじゃないけれど、むっすーとして口を聞いてくれなくなるから困る。
ボクが無邪気を気取って、シノしゃまぁ~と甘えれば機嫌が戻ることもあったし、鬱陶しそうな顔をすることもあった。
さて。
では今、目の前にある表情はどっちのシノ様でしょう。
シノ様は薄目を開いたボクのことをじっと眉間にしわを寄せて睨んで、唇はむっと結ばれていた。
その顔を照らすのはぼんやりとした光。
朝だ。
ボクはどこかの崖の下の陰でシノ様の腕に抱きかかえられている。
何か言おうとしたけれど、声が出ない。身体にもうまく力が入らない。
それにおなかがぺこぺこだ。
ボクはあのあと何がどうなったのか分からなくて、考えようとしたけれど、頭が回らなかった。
諦めて目を閉じようとしたら、無理やり開かれた。
そんな横暴な……。
「ちょっと、起きてよ。死なないで!」
ボクの耳にシノ様の縋るような声が突き刺さる。
ボクは驚いて目を開いた。
シノ様の顔は歪んで、涙をこらえようとしてクシャっとなっていた。
ボクは思わず笑ってしまった。ボクの表情筋はあんまり仕事をしなくて、うまく笑えてはいなかったと思うけれど。
「美人が台無しですよ、シノ様」
「……生意気よ」
シノ様はほっとため息をついて、ぴんとボクの額を指で弾いた。
さて、現在の状況を紹介しよう。
ここは盗賊たちと戦った山中から少し離れたでこぼこの丘陵地帯だった。ボクが眠っている間にも移動していたらしい。
隠れることのできない平原に戻ればまた襲われる可能性もある。彼らを刺激しないように隠れながら移動するのがいいだろうということになったようだ。
旅の一行は五人。
ボクとシノ様、あとアズマと、酒場で見かけた槍の男ゴドー、キス魔のセリナ。それとシノさまたちが乗って来た馬が三頭。
シノ様は二人と一緒にボクのことを追いかけてきてくれたのだそうだ。
木刀を振っていた場所に戻ってもボクがいないことに気づいたシノ様は、初め、どこかに美味しいものでも探しに出かけたのだろうと思った。
普段の行いってやつか。
おかしいなぁ。ボク、ホントにこれまで修練をサボったことなんてないのに……。
でも夕方になってもボクが戻って来ないから不安に思っていたところ、セリナが、ボクがさらわれたことを知らせに来る。
ゴドーとセリナは、ボクがさらわれて馬車に乗せられるところを見ていたのだそうだ。
知らない顔ではないし助けてやろうと後を付けたところ、護衛も加わり、手出しできそうもないとセリナだけを知らせに戻した。
ゴドーは尾行を続行。
どうやら馬車のかなり後方を馬でずっとつけてきていたようだ。
二人には離れていても何らかの連絡手段があり、離れていても居場所を伝えられるらしい。
ボクらが廃村に入ったのを見てゴドーはとりあえず休止。
しかし夜になってなにか騒ぎがあった。
いくつかの明かりが散って行った後、こっそりと村に近づいてボクとアズマがどこかへ逃亡したことを知り、途方に暮れた。
次の日、街道を少し戻ったところでシノ様とセリナと合流。
ボクがどこに行ったのか最早分からないと言うゴドーに対し、シノ様は呪印の繋がりを手繰り寄せてボクの居場所を感知。
馬を走らせ、追いついて来てくれたのだという。
「ホントに心配したんだから!」
シノ様は目を潤ませながらボクの首根っこにかじりついた。
ぐえっ、ってなる。
申し訳ありません、とボクがもごもご言うと、本当にね!と睨まれた。
ボクが起きると、近くの町で買ってきたというヤギ肉を鍋で煮てくれた。
ボクは三日二晩の間眠り続けていたらしい。
「胃が弱っているだろう、ゆっくりと飲め」
ゴドーが肉汁の浮き出た水をコップにすくってくれた。
受け取って飲むと、身体の隅々まで滋養が行き渡るような心地がした。ぼんやりとしていた意識が次第にはっきりとしてくる。
生きてるって感じがする。
そうなると俄然食い気が出てくるが、ボクに出されたものは麦粉を茶で溶いた粥だった。
肉が食べたいと文句を言ったら、その様子ならすぐに体力も戻るだろうと笑われた。お肉はくれなかった。
その日は野営地からずっと動かなかった。
ゴドーやセリナは時々高いところに監視に出たり食糧を探しに行ったりしていたが、アズマは日向にごろりと寝転がって寝息を立てていたし、シノ様はずっとボクのそばにいた。
ボクは意識だけははっきりしたけれど、どうにも身体中がだるくてシノ様の腕の中で甘えていた。
そうしているとシノ様の中からなにかごおと奥底を流れる音が聞こえてくるのに気が付いた。
ボクはその音を知っていた。
それはつい数日前にも聞こえてきた音だった。
それは精霊の力の鼓動だった。
尋ねると、シノ様は少し複雑そうな表情になって、気づいたのね、と言った。
その力は物心つく前からシノ様の許にあって、当たり前すぎてミドウさんに指摘されるまで気にしたこともなかったらしい。
どうして大地の内側から感じたような強大な霊力がシノ様の中から感じられるのかは分からない。
けれど山津波を起こせるほどの力であれば、きっと誰もが欲しがるものなのだろう。アマミヤ家がシノ様を狙う理由にも合点がいった。
「しかしイヅルがあれをやったとはね。もう呪術師としては抜かれちゃったかな」
シノ様が複雑そうな顔で言った。
「そんなことないです。ボク、ずっとアズマに助けられてばかりで……」
ボクが言うのを遮って、シノ様は寂しそうに首を横に振った。
「呪術を扱おうと思ったらね、素質がいるのよ。どれだけ努力しても素質の無い人には扱えない。
その素質にもいろいろあって、イヅルみたいに大きな術を使える人もいれば、わたしみたいに小さな術を小出しにするしかできない人もいる」
そしてシノ様は何かをさかさまにする動作をしてみせた。
「わたしの中には強い霊力が流れてる。でもね、わたしにはそれを引き出す力がないの。大きな水袋を逆さにしても、出口が小さければ少しずつしか出ないでしょ。わたしはそんな感じなの。でもイヅルは違う。
素質があるとは思ったけど、まさか山の精霊の力を引き受けられるほどとはね」
あの師匠に才能があるなんて言わせただけはあるわ、とシノ様はボクの頭を撫でてくれた。
その言葉は自分に言い聞かせるためのものにも聞こえた。
もしかしたら、ボクはシノ様のプライドを傷つけてしまったのかもしれない。
シノ様は何年もミドウさんに呪術の技を伝授されたのに、ほんの二年ほどのボクが自分にできないことをやったと。
「申し訳ありません……」
つい小さくなって謝ったら、何がよ、と耳を引っ張られた。
「あんたね、調子に乗ってたらぶちのめすからね!」
そう言ったシノ様は冗談だとでも言うように笑っていたけど、目だけ笑ってなかった。
怖い!
「はぁ……、ホント……」
シノ様はため息を吐いてボクの身体をきつく抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます