第19話 峻険ガラウイ


~前回までのあらすじ~

 盗賊たちの元から逃げ出したボクとアズマ。身を隠せる場所を探すボクらの耳に、斥候のラッパの音が響く。

 ボクなんて役には立たないし、アズマは丸腰。追いつかれれば勝てない。けれどどうやら逃げ切れないと分かった時、アズマはボクを隠して一人で戦うことを決意した。


 ***


 馬の蹄の音が広い山の谷間に響き、次第に近づいている。


 馬上の盗賊たちはとっくに谷間の中央に立つアズマの姿を見つけていて、はしゃいだように槍の柄を打ち鳴らし、大声ではやし立てた。


 ボクはその様子を、少し離れた一つだけ大きめな岩の陰で身体を小さくして見ている。


 心臓がどくりどくりと脈打っている。


 手足の先から力が抜けていくような恐怖を感じている。


 アズマは腕を組んで七騎の馬が向かってくるのを悠然と眺めている。

 尊大で、不遜とも見える態度だ。


 あいつには怖いとか、痛いのが嫌だとかないんだろうか。

 もしかしたら大丈夫かも、とか思わせてくれる。


 でもあんな態度だけど、昨日の傷はまだ癒えていない。


 昨夜は眠っていたけど、血を流しすぎた身体は震えていたし、今日は歩きづめで、しかも途中からボクのことをおぶってくれていた。

 食べ物も、時々虫か何かを掴まえて食べ、くそまじい、とか言っていた以外は何も食べていないはずだ。水は、ボクが呪術で作り出したものを飲んでいたけれど。


 その上アズマは丸腰だった。


 昨夜の乱闘を軽傷で切り抜けたアズマはきっと強いのだと思う。


 でも無手で槍を持った騎馬と争おうなんてあんまりにも無謀だ。


 それも相手は七騎。なぶり殺しにされるしかない。


 ボクは槍を身体に突き立てられて、届かない相手に拳を振り回して見せるしかないアズマの姿を幻視する。


 そんな姿を見るのは嫌だった。


 アズマは嫌なヤツだ。

 身体で払えとか言ってくるし、すぐ殴るし、意地悪だ。


 でもボクを助けてくれた。


 あんな身体で、ボクを背負ってここまで来てくれた。

 アズマ一人なら、きっと今頃もっと遠くまで逃げおおせているだろうに。


 ボクには今、何ができるんだろう。


 じっとこの岩陰に隠れていれば、もしかしたら奴らはアズマを殺しただけで満足して帰っていくかもしれない。

 でもそうして生き延びて、ボクはシノさまにどう顔向けすればいい?

 優しいシノ様が、ボクが恩人を見殺しにしたと知ってどんな風に思うだろう。


 あいつを一人だけ戦わせて自分だけ逃げおおせようなんて、そんな卑怯なボクでいたくなかった。

 それでボクだけは助かるんだとしても、このまま隠れていることをよしとした時、もうボクは決して勇気なんて持てやしないんじゃないかと思った。


 ボクはもう、ただ売られていくしかなかったあの頃の、幼くて何もできない、弱いボクじゃないんだ。


 盗賊たちはアズマを囲んだ。

 槍は構えていない。今更アズマになにができるのかとバカにしているのだ。


「よお、よくもやってくれたな。おかしらはカンカンだぜ。お前の手足を切り取って、動けねーようにしてから連れて来いってよ」

 そう嘲るように言ったのは、昨日アズマの腹を殴った男だ。名前は、サズと呼ばれていたか。


「まあだが、お前は仲間だ。俺も仲間を傷つけたくはねぇ。そこで這いつくばってケツの穴の味、見させてくれんなら、五体満足のまま連れて行ってやってもいいぜ。そしたらおれぁおかしらと穴兄弟ってわけだ」


 サズは馬鹿笑いする。

 それに声を荒げたのは別の盗賊だった。


「勝手言ってんじゃねーぞ、サズ。お前、何を勝手にリーダー面してやがる。こいつはムスクを殺しやがった。足の先から切り刻んでやらねぇと気が済まねえ」


「おい、待てよ、こいつはガキ連れて逃げたはずだ。ありゃフミル金貨二十枚だぜ。そいつの居場所を聞き出してからだ」


 そう言ったのは……、あいつだ。

 ボクをさらったヤツ。カウイだ。


 ずっと黙って聞いていたアズマが、そこでふっと笑った。


「あのちっこいガキか。すまねえな、そんなに大事なもんだと思わなくってよ。

 連れてけ、連れてけってうるせーから馬に乗せたが、馬の上でもうるさくてよ。途中でその辺に放り出してやったぜ。

 ここにはいねえ。残念だったな。今頃どっかでのたれ死んでんじゃねえの?」


「……嘘だな。お前の後ろでちっこいのがちょこちょこ動いてるのが見えてたぜ」


 カウイが憎々しげに言う。

 アズマは嘲笑した。


「女の裏切りも見抜けねえお前の目なんて信じられるかよ。なんつー名前だったか……」


「それ以上言うんじゃねぇえええ!」


 その話はカウイにとって突かれたくないことだったらしい。それまでへらへらとだらけていたカウイの様子が一変した。

 カウイは激昂してアズマめがけて馬をけしかけた。


 その槍を構えての突進と、アズマの手から何か放り投げられるのとはほとんど同時だった。


「ぶうっ……!」

 カウイが潰れたような無様な声をあげて落馬する鈍い音が開戦の合図となった。




 アズマは落馬したカウイから槍を奪い取り、素早く彼の喉を切り裂いた。

 そして背丈ほどの槍をぶんと振り、周囲を威圧する。


 アズマのたくましい腕からは一筋の血が流れていた。どうやらとどめを刺す動作の時に切り裂かれたらしい。


 しかしアズマはそれを気にする素振りもない。

 いや、気にしている暇もないのだ。


 盗賊たちは一騎減ったがまだ六騎。

 無数の槍の穂先がアズマを狙っている。


 盗賊たちは仲間を殺されて殺気立っていた。

 大声で聞くに堪えない罵倒を喚きながらアズマを串刺しにしようとする。


 そして馬たちがゆっくりと動き出した。


 盗賊たちは馬を駆り、円運動をしながらヒットアンドアウェイの攻撃を仕掛けた。


 アズマは八方を警戒しその攻撃を打ち払っていくが、逆に突き返す暇もない。

 深追いして大振りな動作をすれば、後続に串刺しにされるのが分かっているのだ。


 すぐにアズマがやられることはないかもしれない。


 けれどアズマは疲れている。

 集中力はそんなに長くはもたないかもしれない。

 もしも万全であったとしても、いずれは打ち倒されることになるだろう。


 カウイの不意打ちには成功した。

 一対多の油断はまだ残っているのだろう。


 しかしアズマに戦線を崩されるほどのへまはしない。


 ボクはアズマの奮戦を食い入るように眺めている。


 ボクに何ができるのか。

 何をすれば、あの陣形を崩すことができるだろう。


 ボクは集中して、一時、身体を忘れた。


 その時、身体の奥底になにか蠢くものを感じた。


 それはどろどろとたぎるように流動し、しかし確固たるなにかを持っている。

 蠢き、不定形であることこそがその者の本分なのだ。


 いや、違う。これはボクの身体の中から聞こえてくる音なんかじゃない。

 これはもっと違うものだ。

 もっと奥底の、薄暗い何かだ。


 ボクは手のひらを地面に押し付けた。

 すると固いはずの地面はぬるりとボクの腕を吸い込み、沸騰した水のように大きな泡を吐きだした。


 ボクは弾けた泡の中のものを吸い込んだ。

 知らず身体中に込めていた力をふっと抜いて、それを受け入れた。


 そして光が見えた。


 光、とそれを表現していいものか分からない。

 おそらくそれは何か別の形、具体的でない何かの形を持っているに違いないが、ボクにはそれを認識できなかった。


 ボクはその光の中に拡散しかけた。


 しかし次の瞬間、再び収束した。


 ボクはボクに戻った。


 ボクはこの山地の奥に聳える峻険なるガラウイの奥底から流れ出る偉大な霊気を通す管の一部になっていた。


 ボクの身体の中を偉大な力が流れ、そして去っていく。


 ボクはその周囲の音が何も聞こえなくなるほどのとどろきを聞いている。


『あまり聞こえすぎるとそっちに捕らわれるからね』

 ミドウさんが言った言葉の意味を、ボクはようやく理解した。


 そうか、ボクはこの流れに連れていかれるのが嫌で、耳を塞いでいたんだ。


 急に何かが地面にこぼれた。

 血だ。

 鼻から血が滴っている。

 


 そうか、ボクは。

 今、この力に磨り潰されようとしているんだ。


 それでもいいかと思った。


 山の精気は瑞々しく、荒々しく、優しく、ボクを押し流そうとする。否応の無い力でボクを蹂躙して粉々にする。


 意外と悪い気分ではなかった。


 命の元あったところに還る、という感じか。柔らかくて温かな、なんの心配も苦しみもない優しい暗闇がすぐそばにある。


 けれど声が聞こえた。

 イヅル、とボクの名前を呼ぶ声がする。


 誰だ……?


 ボクはその声の主が一瞬分からなかった。

 でもすぐに思い出した。

 シノ様だ。


――イヅル!


 今度はもっとはっきり聞こえた。

 ……っていうか、ちょっと怒ってる?


 そっか、とボクはため息を吐くように思った。


――ボクは、シノ様の許に帰らなきゃ。




「アズマ!」


 ボクが岩陰から飛び出し、呼び掛けたのが皮切りだった。


 周囲に恐ろしい轟音が響き渡った。


 その音はまるで、何年も地底深くに眠っていた怪物が目覚め、大あくびをしたかのようだった。

 そして次に起こったことも、おそらくは怪物にとってほんの少し伸びをしただけのことだったのかもしれない。


 谷の斜面の一部がゆっくりと上からはがれるように持ち上がり、大波のようにアズマたちに向かって鎌首をもたげる。


 盗賊たちはその様子をほとんど身動きもできずに見ていた。逃げ出した二騎も、ただ馬だけが狂乱して制御を失っただけだ。

 ただボクに呼びかけられたアズマだけが、その隙に包囲網を突破してボクに向かって走った。


 そして大波が崩れた。 


 大量の岩と土が降り注ぎ、轟音と共に斜面を流れ下る。軽い地震のようなものが起き、足場を揺らした。


 ボクは呆然としてその様子を眺めていた。


 何が起こったのかは分からなかった。

 けれど、ボクにはさっきしばらくの間体験した不思議な感覚の記憶が残っていた。


 それはたぶん、山の霊力を借りてボクが引き起こしたことだった。


 気が付けばあんなにボクの中に満ちていた霊力は既に遠のいて、世界の片隅の雑音と同じになっていた。


 ボクは自分がすっからかんになっているのに気が付いた。

 それから身体じゃないどこかがひりひりと鈍く疼く。


 けれどそんなことには構わず、ボクはよろよろと足を踏み出した。


――あ、アズマは……。


 もしやこの土砂崩れに呑まれて死んでしまったんじゃないか。

 そんな予感が冷たく胸を締め付けた。


 土煙が晴れると、そして今は静けさの戻った斜面の土の降り積もった場所から数メートルほど離れた場所で、アズマが腰を抜かしているのを見つけた。


 ボクがのたうつように駆け寄ると、アズマは開いた口も塞がらないといった様子で目の前にあるできたばかりの小山とボクの顔とを交互に見た。

 アズマは初めに負った切り傷以外には大した怪我はしていないように見えた。


「な……、なんだぁ?」

 アズマが間の抜けた感じで言うのを聞いて、ボクはちょっと笑ってしまった。


 それで気が抜けたのかもしれない。


 ボクの意識はふつりと途切れた。


~~~~~

※ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

 ナンキの町での出会い編はここで終わり、次回からシュベット国脱出編が始まります。

 割と嫌いじゃねーな、と思ってくださったら、評価を入れていただけると励みになりますので、よろしくお願いします!


 それでは、今後ともお付き合いください!

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