第16話 逃亡
~前回までのあらすじ~
人さらいに捕まったボクはどこか知らない廃村まで連れていかれる。
それはそうとしてトイレにも行かせてくれなかったよ、あの人たち。ひどくない?
***
ボクが投げ入れられた部屋の隅には、小さな穴が開けられていた。それが用足し用の穴らしい。
ボクは手足を縛られて不便ながらもなんとか溜まったものを排出し、生き返った気分で救世主の方へ向き直った。
「ありがとうございます、助かりました」
「その辺で漏らされても困るからな」
アズマ、と彼は名乗った。
まだ若そうな男で、どうやら散々に痛めつけられた後らしい。顔は腫れて血の跡も生々しく、ボクと同じように手足を縄で縛られている。
アズマはどうやらこいつらの仲間らしい。
「もう仲間じゃないぜ。かしらをぶん殴ったからな。明日にはその辺の人買いにでも売られるんだろう」
ぺっ、とアズマは血の混じった唾を吐きだす。
汚いからやめてほしいな。
「ちなみにどうして殴ったの?」
「前からうるさかったんだよ、抱かせろって。昨日は無理やり擦り付けてきやがったから……ちっ、ガキに聞かせる話じゃねーな」
アズマは忌々しげに歯噛みした。
いつしか鉄格子のはまった窓の外には星の浮かぶ藍色の空が見えていた。
扉の外からはしばらく前から聞こえていた忙しく働く音が途切れて、今は下品に笑い転げる宴会の声がしている。
ぐぎゅるるるとおなかが鳴る。
あー、もう。こんな時にまで、ボクのおなかは……。
「お前、俺の手枷を外せ」
アズマが突然言い出した。
「え、でも……」
「いいから。このままだと俺は売られる前に大事なもんを失っちまうんだよ!」
アズマはまずボクの手枷を後ろ手に縛られた手で器用に外した。
勝手にこんなことをしているのがばれたら、と気が気ではないけれど、ええい、もう仕方がない。
腹をくくれ。
今なら口もふさがれていないし、薬もほとんどきれている。走る馬車の上でどうにか逃げ出すより、日没だし、いくらか分がいい。
第一、初めにボクはシノ様の力を借りないで自力で逃げ出すって決めたじゃないか。
死んでも仕方がないことだって思っていたじゃないか!
アズマを縛っている縄は固くてなかなか解けなかった。
「ちょっと熱いけど、我慢して」
ボクが火の術でゆっくりと縄を焼き切ると、アズマは驚いた顔をして、ボクの頭をぽかりと殴った。
「何で切るんだよ!」
「えっ……、だって。解けなくて……」
ボクが唐突な暴力に半べそをかいていると、もういい、とアズマは自分の足縄を軽く結わえ直した後、ボクを縛っていた縄で腕も同じようにした。
「切っちまったらバレんだろうが。ちったぁ考えろよな」
その言葉を聞いて、どうして縄を解いてあげたのに殴られなきゃいけないんだと、しおれ切っていたはずのボクの心にちらと怒りが湧いてきた。
怒りはボクの心に少しだけ勇気をくれた。
枷が解けたので少し心に余裕ができたのかもしれない。
目の前の傍若無人なマッチョに、内心で毒づける程度のものだったけれど。
もういい、こいつもどうせ盗賊だ。一緒に逃げられるなら、とか思ってたけど、こいつをおとりにしてボクだけ逃げよう。
ひっそりとそんな風に心を決めていると、ばんっ、と音を立てて扉が開いた。
ランタンを持った男の顔が二つ暗闇の中で浮かび上がる。
二人は慌てて縛られているふりをしたボクには目もくれず、にまにまと下卑た顔でアズマの方を見ている。
「アズマ、かしらが呼んでるぜ。これからお楽しみだってよ」
アズマを立たせた男の一人がいやらしく笑う。
「そうかい、そりゃああんたにはさぞ羨ましいだろうな、サズ。かしらはお前なんぞにゃひっかかりもしねえだろうからな」
アズマは挑発するように言い返したが、サズと呼ばれた男は余裕の表情を崩さず、アズマの腹にこぶしを突き入れた。
一発、二発、三発。
肉を打つ鈍い音が響き、ボクは恐ろしくて耳を塞ぎたくなった。
アズマは呻いてうずくまりかけ、もう一人の男に支えられる。
「そこのガキみたくしおらしくしてりゃあ、無駄に痛い目見ないですむだろうに。それにおかしらだって優しくしてくれるだろうぜ」
そしてアズマは、二人の男に引きずられるようにして連れていかれた。
ボクはしばらく、男たちが戻ってくるかもしれないと怯えて身体を固くしていた。
けれど戻って来ない。
ボクは拘束が解けているのがバレずに済んでほっとした。さっきアズマにやったように、指先に火を灯して少しずつ足の縄を焼き切る。
立ち上がって伸びをした。屈伸して、軽く飛び跳ねる。
長い間縛られていたから擦れて手も足も痛いけど、走れないほどじゃない。
シノ様にもらった服も靴もはぎ取られなかった。
これなら一人で荒野に放り出されても、すぐに死ぬことはないだろう。
アズマはこうなることを予見してボクに縄を外させたんだと思う。
それならあいつはきっといずれ暴れ出す。
そうなった時がチャンスだ。
ここへの監視が薄れたのを見計らって逃げ出そう。
問題は、あいつがどのくらい持ちこたえてくれるかだ。
監視が薄くなるまでもなく捕まえられてしまう程度なら、ボクは勝手に縄を外したことがばれてひどい目に遭うだろう。
今度は足の一本でも折られてしまうかもしれない。
その方が縛るよりよほど確実だ。
でももう、やるしかない。
ボクの手札は大したことない剣術と、こっちも大したことのない呪術。
だから戦おうなんてしてはいけない。
相手は大人の盗賊。ボクなんてさっきのパンチを一発もらっただけで動けなくなるだろう。
ボクはこっそりとドアのそばに行って粗末な木戸の隙間から外の物音に耳を澄ませた。
まだ何事も起こっていないようだ。
相変わらず飯を食い、酒を飲む音と、たき火のぱちぱちとはぜる音が聞こえてくる。
見張りは……、もしかして近くにいないのか?
ひどく真面目か物静かな奴が見張りについているとしたら分からないけれど、こいつらの中にそんな仕事熱心な奴はいない気がする。
だとしたら、思ったよりも状況はいい。
もしかしたらボクになんて何もできないと思われているのかもしれない。アズマが連れていかれて、誰もこの部屋のことになんて気を向けていない。
そして待つ。
アズマが暴れ出してみんながそっちに気を取られる最高の状況を。
待つ。
待つ、待つ。
あれ?なにも起こらないな。
まだ待とう。
待つ。
おかしいな、遅くないか。もしかしてあいつ、騒ぎになるまでもなく瞬殺されたのか?
待つ。
いや、いくら何でも遅い。外の様子が見たい。
ちょっとだけ、ちょっとだけ……。
ボクがそっと木戸を手で押し開けようとした時、腹の奥に響くような恐ろしい怒号が響いた。
「アズマぁあああ!」
状況が動いた。
能天気に騒いでいた周囲の奴らが、急に殺気立って駆け出していく。
今だ。
ボクは足音が行ってしまうのを待ってから、そっと木戸を押し開けた。
カラン。
板の倒れる乾いた音が響く。
心臓の鼓動が一気に早くなる。
しまった、逃走防止のトラップだ。ドアが開かれると倒れるようになっていたんだ。
その音を聞きつけて、まだ近くでのんびりしていた奴らの目が一斉にボクの方を向いた。
ボクは咄嗟に、広場の真ん中で燃え盛るたき火に向かって手をかざした。
「白熱する火の精霊よ。燃え上がれ!」
ぼんっ、と鈍い音を立て、たき火は三倍ほどの大きさに燃え立った。
周囲が一瞬真昼ほどの明るさになり、何事かと振り向いた男たちの目を焼く。
その隙にボクは慌てて暗がりの中に逃げ込んだ。
待ちやがれと口々に声が聞こえてくるが、待てと言われて待つバカはいないのだ。
奴らは酔っているし、光で目つぶしをしたからそんなに早くは追いかけてこられないだろう。
でもボクの胸はいつ後ろから伸びてくる手に掴まえられるか分からないとばくばくと鼓動した。
思うように身体が動かない。
まるで同じところで足踏みをしているような心地さえする。
毒の影響かと思ったが、違う。
命の危険のある場所でいつものように動き回れるほどの度胸がボクにないのだ。
焦れば焦るほど足は空回りして、決してどこにも進めないような気がした。
それでも家の間を転げるように必死で走る。
よたよたとふらつきながらも道端のブドウの木を茂らせたり地面をちょっとだけぎざぎざにしたりして、申し訳程度の時間稼ぎをした。
曲がり角で誰かにぶつかりそうになった。
ここで剣術を習っていたことが生きた。
シノ様に何度も叩きのめされながらも、剣を避ける目だけは養われていたらしい。
ボクが咄嗟に身を低くして転がると、ぞっとする音を立てて頭の上を白刃が通り抜けていった。
「なんだ、お前か」
そこにいたのはアズマだった。
どうやら存分に暴れたらしい。鍛えられた裸の上半身は血でべっとりと濡れて、手に持った長剣からも血が滴っている。
「いつまで寝てんだ、走れ。追いつかれるぞ」
アズマの目指す先は馬小屋だった。
容赦なくボクを引き離すアズマになんとか追いついた時には、アズマはもう馬を繋ぐロープを切っていた。
「ぼ、ぼくも連れてって」
息も絶え絶えに言うと、勝手に逃げればいいだろ、といまいましげに言う。
ボクだってそうしたいのはやまやまだが、馬に乗ったことなんて生まれてこの方一度もないのだ。
「これだから町育ちのボンボンは」
アズマはちっと舌打ちした。
馬たちの尻を叩いて追い立てると、最後の一頭にひらりとまたがった。そして剣を捨て、ボクの身体を引き上げて身体の前に乗せる。
「命の恩だ、金で返せ」
金はない、と正直に言いかけて、止めた。もう盗賊たちはすぐ背後に迫っているのだ。ここでスケープゴートにでもされたらたまらない。
「わ、分かったよ」
「金がないなら身体でもいい。もうちっと育てばな」
それを聞いて、身体の奥からわなわなと怒りが込み上げてきた。
男ってこれだから!
ああ、早くシノ様のところに帰りたい。
「おい、分かったのかよ」
「わ、分かったから早く出して。弓持ってる奴もいる!」
ボクが叫んだと同時、アズマが馬の腹を蹴った。
矢が一本、ひゅんと寒気のする音を立てて虚空に消えた。
そして怒り狂う盗賊たちを置いて、ボクらを乗せた馬は星明りの荒野に矢のように駆けだした。
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