第17話 荒野


~前回までのあらすじ~

 連れ去られた先でボクは、同じく売られようとしている元盗賊の男、アズマと出会う。

 ボクはアズマの操る馬に乗って、盗賊たちの許から脱出したのだった。


 ***


 月の無い星明りの夜だった。


 ボクはアズマのたくましい腕に抱えられて、馬上で後方に流れていく風を感じている。

 温かい馬の背に乗っていても吹き過ぎる風は夏になったとはいえ冷たく、きんと耳の先が痛くなる。


 ボクは粘り着く墨の中を泳ぐような恐怖から目を逸らしたくてアズマに話しかけた。


「すごいね、ちゃんと見えてるの?」

「いや、見えん」


 え、なんつった。


「喋んな、舌を噛む」


 馬には見えてるんだよね。だってこの子、見えてないにしてはつまずきもしないし、足取りも確かだもんね。

 信じてるよ!


 アズマはどこへ行くのか、馬の足に任せるつもりのようだった。


 ボクは時折背後を振り返るが、追手の姿は見えない。

 こんなに暗いんじゃボクらの位置も分からないだろうし、他の馬を散らしてから逃げてきた。きっと追いたくても追えないのじゃないかと思う。


 そう思いはするが、やはり不安だ。

 初めは追い立てられるような速度で走った馬もじきに速度を緩め、今は軽く流す程度だ。

 きっとまだ居場所を知られたらすぐに追いつかれる程度の距離しか稼げていないだろう。


 もちろんあまり急がせて走れなくなったら意味がない。

 暗闇はボクらの味方だが、うっかり馬がどこか踏み外せば大けがをすることになる。そうなったら逃げるどころか命が危ない。


 だからこうしてゆっくりと歩を進めるくらいがちょうどいいのだろう。


 しかしアズマはじきに身体を震わせ始めた。

 当然だろう、彼は上半身裸の状態だ。足の下には馬の背中があり、腹にはボクを抱えてはいるが、それでも冷たい夜気は体温を奪っているはずだ。


「ねえ、一旦止まって休んだ方がいいんじゃない?」

「いや。朝になれば追手が来る。いや、もう奴らは俺たちのことを探しているだろう。できるだけ遠くまで逃げておかなきゃな」


 その時はそう言われて、ボクも納得した。

 アズマの身体を心配する気持ちはあったけど、もう一度捕まれば何をされるかと思うと焦りの方が先に立った。


 しかしアズマの震えはひどくなる一方だった。

 その震えが歯の根が噛み合わないほどになり始めたころ、馬が足を止めた。


 これ幸いとボクが転げるように地面に下りると、アズマは崩れ落ちるように馬から落ちた。

 慌てて支えようとするけれど、ボクの力じゃ勢いを少し緩める程度だった。それでも無抵抗に頭から落ちるよりはマシだったろう。


 ボクはアズマの身体の下敷きになって地面に尻もちをついた。

 たくましい背中に回した手に、なにか生温い感触がある。


「アズマ、血が出てる」

 ボクがかすれた声で言うと、出るだろ、血くらい、と弱々しく強がりを言った。


「ちょっと斬られただけだ。大事ねぇ」

「大事ないって、震えてるじゃん」

「少し寒いだけだ」


 ぴちゃぴちゃと馬が水を飲む音がした。


 気が付いてみれば、ここは広い河のほとりに広がる草地だった。

 それなりに遠くには来たのだろう。あの廃村からの景色に、川なんてものはなかった。


 ボクは帯を解いて纏っていた衣を脱ぎ捨てた。

 まずは身体を温めなくちゃと思ったのだ。

 力ないアズマの身体に苦労してまき付ける。


「風邪ひくぞ」

「今は自分の身体の心配だけしてろよ!」

 アズマは言い返したボクの声に力なく笑った。


 寒い夜だった。

 ボクはアズマに貸した服の端っこにくるまって震えながら朝を待った。


 火を焚きたいところだったけれど、火は遠目によく目立つ。さっきの盗賊も、もしかしたら別の盗賊も、妖魔だって引き付ける。


 ふと夢の中に出てきた男が、火の精霊の力で周囲を凍り付かせていたことを思い出す。

 あれの逆をできないかと思いついた。借りた霊力を火として具象化せず、そのまま体内に送り込むのだ。


 するとうまくいった。

 加減が難しいが、身体の奥で小さな火が燃えるような心地がする。


 アズマにしてやると、震えていた身体から次第に力が抜けていくのが見て取れた。

 ボクは安心して、ずっと朝までアズマの身体を温め続けた。



 陽が東の空から次第に昇り始めると、吹く風も次第に熱を帯びてくる。

 大地がほんのりと温かく感じられるようになる頃にアズマは目を覚ました。


「っああ~、よく寝た」

 こちとら徹夜だいと怒ってやりたいくらいの呑気さだったけれど、それよりも割合元気そうなことに安心する気持ちの方が大きかった。


 ボクは血でべったりと張り付いた服をアズマの身体から取り戻した。

 これはシノ様にもらった大事なものだ。それなりに着古してはいるが、むしろ買ってもらった頃よりも大切に感じるようになった。


 その服は、今は乾いた血で赤黒く汚れている。

 綺麗になるんだろうか、これ。

 シノ様、こんなに汚しちゃって怒るかな……。


 少し気持ち悪くは思いながらも服を着こんでいると、アズマが周りを見回して大声を上げた。


「おい、お前。馬ぁどうした!」


 言われてドキリとした。

 ボクがアズマの傷のことで夢中になっている間に、いつしかいなくなっていたのだ。


 正直に言うと、ぽかりと殴られた。


「バカ野郎。馬がいなきゃどーやって逃げんだよ。逃げるどころかどっかの町にも行きつかねーぜ。飢え死に、野垂れ死にだ!」


「アズマがへまやったのが悪いんだろ。ボクが服を貸してやらなきゃ死んでたさ!」


「なら俺なんてうっちゃってお前だけでも馬に乗って逃げればよかったんだ」


「ああ、そうだね。今度からそうするよ!」

 ボクはふんっとそっぽを向いた。




 火の光に照らされてみると、そこは険しい山々のすそ野に広がる広大な平原だった。すぐ近くの川はゆっくりと漂うように流れて、ボクらの行く手を阻んでいる。


「ここはまずいな、追手に丸見えだ」

「え。見つかった?」

「さあな。とりあえず誰かが近づいて来る様子は見えねえが……」


 ボクらは誰にも見つからないことを祈りつつ山を目指した。


 山は危険だ。平地に比べて妖魔の数も多いし、ヒョウなどの猛獣もいる。

 けれどそういったものたちはボクたちだけを強いて狙っているわけじゃない。復讐に燃える昨日の盗賊たちの目が光る平地にいるよりは断然マシだろう。


 奥に見える山はまだ真っ白い雪を谷間に残していたが、一番手前の山は黒い山体に青々と緑の草を茂らせていた。

 ボクらが安心するためには、せめてあの山の裏側に身を隠す必要がある。

 でなければ平地と同じように遠くからでも丸見えだ。


 あるいは立って移動するよりも草原に伏せてやり過ごした方がいいのではと思ったが、アズマに却下された。


「やりすごして、どうするんだ。そのまま獣のエサにでもなるのか?」


「しばらく待ってれば、シノ様が探しに来てくれると思う……」


「そのシノ様ってのがどんな人格者だか知らねぇが、さらわれた奴隷なんぞのためにいちいち捜索隊なんて組むかよ」


 全くもっともな意見だった。

 ボクはシノ様なら絶対に探しに来てくれると信じていたけれど、少しだけ、そうかも、って思っちゃった。


 アズマは顔を俯けたボクを見て、へっ、と吐き捨てるように言った。


「第一、他人に自分の命を任せるもんじゃねえ。

 お前の言う通り探しに来てくれるのかもしれないが、見つけてもらえるなんて思うな。てめえのことは、誰のせいにだってできねえんだ」


 もしかしてボクを慰めてくれたつもりかもしれないと思った。


 強いんだね、と言ったら、

「俺は、誰かを信じて待つより自分で足掻いていたいんだ」

とアズマは顔を背けた。


 照れたのかもしれない。

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