第15話 アズマ
~前回までのあらすじ~
へまやって連れ去られました。ボクは薄暗い馬車の荷台に転がされて絶体絶命です。
なんとか逃げ出さなきゃ!
***
さらわれてからどのくらい経った?
ボクはどのくらいの時間眠っていたんだろう。
ボクがシノ様と別れたのはお昼を過ぎたころのことだった。
馬車のほろの隙間からはうっすら明かりが漏れてくる。
周囲から町の人の喧騒は聞こえてこない。
とっくに町を出て街道の石畳の上を進んでいるのだろうけれど、それでもまだ何時間も経過したわけじゃなさそうだ。
街道に石畳が整備されているのは大きな町の周辺だけだ。大抵は土の道が続いている。と言うことは、まだ町からそう遠く離れたわけじゃないだろう。
あ、ちょうど地面が土に変わった。馬車の小刻みな振動が消えて、時折大きく揺れるようになる。
正直、こっちの方が楽だ。ずっと揺さぶられ続けるのはしんどい。
その代わり、雨が降ったりすれば馬車なんて通れないくらいにぬかるむのだけれど。
まあ雨なんてめったに降らないが。
急に一際大きな縦揺れがあって、ボクはバウンドして頭を打った。
ついうめき声をあげてしまった直後、ほろの前が開く。
そこには革鎧を着込んだ小汚い男が一人いた。
あの男だ、ボクに茶を飲ませたのは。
床に転がされた体勢のまま、ボクは一応眠っているふりをしていた。
ばれているとは思うが、時間稼ぎの一環だ。
がんっ、と後頭部に激しい衝撃が走った。
いきなり頭を蹴られたのだ。
蹴とばされた勢いでボクは目の前の木箱に額を強かに打ち付ける。
あまりひどい怪我はしないように手加減しているのだろう、多分たんこぶにもなっていない。
けれどそのたったひと蹴りで、さっきまでボクの中にあった気概と言うか、勇気と言うか、そういったものが一気にしぼ萎えていくのが分かった。
涙が出てきた。
痛くて泣くなんてカッコ悪いからやめたいのに、ぽろぽろ目じりからこぼれ出す。
自分が情けない。
「おいおい。泣くなよ、このくらいで」
男がボクの顔を掴んで無理やりそっちを向かせ、あきれ果てた声で言う。
「商品に傷つけんなよ」
御者がいう。
「分かってるさ、ケイ。寝たふりなんて小賢しいマネしやがるから、起こしてやっただけさ。たんこぶの数が増えたかもしれねーけどな」
男はひっひと笑い、ボクの頭をボールのようにぽんぽんと叩いた。
「しかしこんなガキにフミル金貨二十枚とは、どこの物好きのお貴族様かね。お前、おかしらと一緒に会ったんだろ?」
「アマミヤってヤツらしいが、詳しくは知らんな。詮索は命を縮めるぜ、カウイ」
「分かってるよ、俺たちの役目はこいつをアジトまで連れていくこと。あとのことは知ったこっちゃねえ」
言いながらもカウイは手早くボクの猿轡を解いた。
きっとこの時は逃げ出すチャンスだったんだと思う。
何か言うことさえできれば、ボクは精霊の力を借りて枷を焼き切ることくらいはできた。
でもボクはすっかり恐怖に怖気てしまって、カウイの手に噛みついてやることさえ思いつきもしなかった。
カウイはボクの口に水袋の口を突っ込んだ。口の中に流れ込んでくるのは黄土色の液体。
毒入りの茶だ。
そうと気づいて抵抗しようとしたけれど、男の腕は力強く、ボクは非力だった。
ボクが溺れそうになってえづいていると、再び猿轡をかまされた。零れた茶で汚れた床の上に転がされ、再び手足の先に力がなくなっていく。
「大人しくしてりゃ、ちょいと蹴とばすくらいで勘弁しておいてやらぁ。けど面倒をかけるつもりなら、痛い目にあってもらうぜ、お嬢ちゃん」
男はべろりとボクの頬をなめて、前の席へ戻っていった。
男がほろのしきりを下ろすと、再び荷台に薄暗い闇が訪れた。
ボクは心の底からほっとした。
ボクは隠された。
あの恐ろしい男から、この闇がボクを守ってくれる。
そしてボクは、自分がぶるぶると震えていることに気が付いた。
寒いわけでもないのに、身体の震えを止められなかった。
ついさっきまの一人で逃げ出してやろうなんて威勢のいい考えはとっくに消えうせて、ボクはただ身体を縮こまらせて震えを抑えようとするだけだった。
馬車の走る速度はそんなに早いわけではなかった。
もちろん曳いているのは馬だ、速度を出そうと思えばもっと出せるのだろうが、凹凸のある道をあんまり走らせれば馬車が横転するかもしれないし、そうでなくともいずれ車軸がダメになる。
ボクを抱えて一人で馬を走らせればそれが手っ取り早い気がするが、そうしないのはもしや、シノ様を誘っているからだろうか。
それともボクと取り戻しにくるものなんて誰もいないとタカをくくっているのかも。
さっきケイと呼ばれた男がアマミヤと口にしていた。
てっきりボクがさらわれたということはアマミヤ家とは関係のないただの人さらいなのかと思ったが、わざと追いつかれるようにして、一人で追ってきたシノ様も捕まえてしまう気なのかもしれない。
そう考えるとボクは再びどうにかして逃げ出さなければと思ったが、飲まされた毒で手足がしびれ、猿轡のせいで精霊へ呼び掛けることもできない。
せめて毒の効果が切れればと思ったが、カウイが定期的にボクを小突いては再び毒を飲ませてくる。
ボクは何もできずにただ馬車の振動に耐えるだけだった。
そうしてどれほどの時間が経っただろうか。やがてほろの内側に射し込む光が薄れだすころ、馬車が止まった。
馬車から連れ出されると、そこは小さな集落だった。朽ちかけた土レンガ、崩れた建物。そこには活気というものがない。
廃村だ。
ボクは猿轡だけ解かれて、まだ形を保っている古い建物の隅に放られた。
木の扉が閉められ、壁に開けられた鉄格子付きの窓から差し込む光だけが、部屋の中をぼんやり照らしている。
ボクは閉められた扉に縋り付いた。
「あの、厠に……」
「うるせえ、その辺で済ませな」
やはり門番はいるらしい。
どんっ、と扉を叩かれて、ボクはバランスもとれず床に転んだ。
暗いし怖いしおなかも減ったし漏れそうで半泣きなボクの耳に、くぐもったような低い声が聞こえてきた。
「……誰だ?」
部屋の薄暗い場所に、ボク以外にもう一人いた。
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