第12話 ゴドーとセリナ
~前回までのあらすじ~
ボクはシノ様の弟子として修行の日々を送っている。アマミヤ家に気を付けろって言葉が気になるところだけれど、何が起こるわけでもなく、一年が過ぎようとしている。
***
長い冬もそろそろ過ぎ越そうとしているある日のことだった。
隊商の一団が町にやって来た。
隊商とは商品を守って旅するために隊を組んだ商人の一団のことだ。
大きな馬車の車列と荷を積んだロバや馬、一財産兼非常食の家畜たち。そしてそれを守る護衛士たちが何人も周りを取り囲んでいる。
町の周囲にはあまり妖魔は出ない。定期的に兵士たちが見回りをして妖魔たちを狩っているからだ。
しかし町から離れると妖魔も出るし猛獣の類もいる。
さらに冬の間は食うに困った人々が、よく盗賊になって現れる。
そういった危険から身を守るため、商人たちは金を出し合って護衛を雇い、旅をしていくのだ。
こうした隊商が町を訪れることは珍しいことではない。というか、数日に一度はやって来る。
ナンキの町は街道の交差する場所にあるから、例え目的地が別であっても大抵の商人たちは一度足を休めていくのだ。
そんなありふれた隊商の中に二人組の男女がいた。
ゴドーと呼ばれた男はがっしりとした体躯に身の丈ほどの槍を携えて、日に焼けた顔をしかめて女を見ていた。
どうやら女がさっきから次から次に酒の壺を開けていくのが気に入らないらしい。
女の方はセリナと呼ばれていた。
ゴドーの視線をものともせず、料理を食べてはうまいと唸り、お酒が進むと盃を空ける。そして男の食事が進んでいないのを見ては、要らないならもらうよ、と皿から料理を摘まむ。
賑わう夜の酒場で、ボクはその様子をさっきからちらちらと眺めてはにんまりしている。
主にセリナの食べっぷりを見てだ。
美味しそうに食べてくれる人は好きだ。見ているだけで幸せな気分になる。
だってボクもおやじの作る飯が好きだからね、好きなものが肯定されているのを見るのは気分がいいものだ。
漏れ聞こえてきた会話で、二人が今日到着した隊商の護衛をしていたことが分かった。
そしてどうやらこの町が二人の目的地で、今日でその仕事は終わり。
今は一仕事終えた打ち上げをしているところのようだ。
「イヅルちゃん、酒持ってきて」
常連のバルトさんが三人で囲む卓から盃を持ち上げる。
ボクははーいと返事をして、カウンター裏の酒樽から酒を汲んだ。
「今日もよく飲みますね、バルトさん」
バルトさんは近所に住む革細工の職人だ。いつもは一人で来て他の客と談笑しているのだが、今日は仕事仲間三人と一緒に気持ちよく酔っている。
みんな顔を赤くしてよく笑う。何かいいことでもあったのだろうか。
「なんだよ、イヅルちゃんまで飲み過ぎだって女房みたいなことを言うつもりか?」
「言いませんよ。前に言ってたじゃないですか、俺は酒のために働いてるんだって。飲んで飲んで飲みまくって、じゃんじゃんお金を落としていってください」
白くてどろどろとした液体を盃に注いでやると、バルトさんは嬉しそうにぐびりと飲み干した。
どうだいと勧められるが、断る。
別に酒を飲んで悪いことはないんだけれど、前に少しだけ味見をしたら仕事にならなくなっておやじさんに怒られたからだ。
ちなみにシノ様は平気な顔で何杯も飲んでいた。
ちょっと羨ましい。
味は嫌いじゃないんだけどなー。
「こっちにもー」
「はーい」
ボクを呼んだのはさっきの新顔のお姉さんだった。
セリナは机に酒壺を置くとボクにしなだれかかって来て、あら可愛い子、とお尻をまさぐってきた。
どうやら相当酔っているらしい。顔色は少し上気しているくらいなのに、よく見ると目は既にトロンとしている。
そう思っていたらみるみるうちに顔が近づいてきた。
あっ……、あれれ?
なんでだ。おかしい、動けない。
ボクもそんなにぼんやりしていたつもりはない。
だからたぶん、それはたまにシノ様に木刀で頭をカチ割られそうになる時に周囲が遅くなって見えるのと同じ現象だったんだろう。
ボクはセリナが唇を近づけてくるのにちっとも反応できなかった。
女の人だし、例えばおでことかだったら大して気にしない。
触れる程度にちゅっとするくらいだったら、まあ笑って流せる範囲だ。笑顔は引きつるだろうけど。
でも……。
あっ、なにこれ。舌?
っていうか、え?
あっ、吸うな、この……!
そこまでされると、流石に何が起こったのかも分からずにフリーズするしかない。
たぶん、キスされていた時間は数秒もなかっただろう。
がつん、と強めの音がしてセリナが床にうずくまった。おおお、とか頭を押さえて呻いている。
見れば、ゴドーが槍の柄を肩に立てかけ直すところだった。
助けられたらしい。
「悪いな」
茫然としているボクに、ゴドーはため息交じりに言った。
「今日は久しぶりの酒の席なんで、ちょっと飲み過ぎたみたいだ。許してほしい。こいつは詫びだ」
ゴドーはボクの手に銀貨を三枚握らせると、セリナを強引に立ち上がらせて階段を昇って行った。
どうやら今夜、この宿に泊まるらしい。
ボクは二人が行ってしまってからもしばらく身動きできなかった。
おやじさんもバルトさんたちも、何があったか気が付いていないようだった。
ボクだけが夢だったんじゃないかと思いつつも、口の中に残るねっとりとした感触に戸惑っている。
「おやじさん、ちょっと外に出てきていいですか?」
「は?なんでだよ」
「ちょっと、胸の中だけじゃ処理しきれなくて」
ボクは真っ暗な夜道を二往復ぐらい全力疾走した。
あと全力で口をゆすいだ。
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