第10話 予感


~前回までのあらすじ~

 シノ様の師匠にノックダウンされたボクは、シノ様の看病のおかげで無事に立ち上れるようになりました。

 あと、ミドウさんに朝ご飯を買ってもらいました。わーい。


 ***


 シノ様が起きてくるまで、酒場のカウンターに座ってミドウさんと話をしていた。


 ミドウさんはボクにパンをもう一個勧めて、お茶をごちそうしてくれた。

 食べるボクをにこにこしながら眺めて、おいしいかい、と尋ねる。


 ボクは正直、このミドウさんという人にあまりいい印象を抱いていなかった。


 だって初対面でシノ様にあんなに怒りをむき出しにして斬りかかられていたし、ボクは七日も寝込まされた。

 それにこの人は、シノ様にとって大切な人だ。

 シノ様の育ての親で、シノ様を寂しくさせた人だ。


 シノ様が寂しさからボクを買ったのだと言うのなら、ミドウさんが戻ってくればボクは用済みになるかもしれない。

 シノ様は優しいから表立ってはそんなこと口に出さないかもしれないけれど、ボクはシノ様にとって邪魔者になるかもしれない。


 けれど今、ボクの気持ちは揺らいでいる。


 この人はボクにおいしいものを食べさせてくれた。

 と言うことは、味方?

 信頼できるひとかもしれない。


 大体、シノ様の育ての親でお師匠様なのだ。

 であればご主人の恩人である。

 どうしてシノ様の恩人に、シノ様の従者であるところのボクが、信頼できる、出来ないの判断を下すことができようか。


 シノ様が是と言うのなら、黒いものも白くなるのである。


 いや。シノ様、相当怒ってたから是ではないのかな。


 まあ、ともかく。


 ミドウさんはどうやら、ボクにしたショック療法とやらの成果を確認しに来たらしい。


 ボクが食べ終わるとすぐに、いくつかの質問をしてきた。

 目に見える世界が歪んでいたりしないかとか、耳鳴りが延々と続く感覚がしないかとか、空気の味が変わった感じがしないか、とか。


 それらの質問にどんな意味があったのかは分からないけれど、ボクは包み隠さずにそのままを話した。

 ボクの目に見える世界はこれまで見ていたものと何一つ変わらないし、ひどかった耳鳴りは随分治まった。それと空気の味なんて考えてみたこともない。


 するとミドウさんはなるほどと頷いて、種明かしをしてくれた。


「この間はね、君に僕の霊力を送り込ませてもらったんだ」

「霊力?呪力とやらではないんですか」

「そうだね。呪術師になるにあたって君が感じるべきは霊力の方だ。呪術というのは、精霊の力を受け取って術者の呪力で制御して扱うものだからね」


 ミドウさんの言うには、呪術の習得には二つステップがあるらしい。まずは霊力を感じること。そしてその次に、霊力を制御すること。

 呪力というのは気力と同じく個人に固有のものなので、例えば筋力と同じように、意識しないでもある程度は使えるものなのだそうだ。


 そしてミドウさんは、その霊力を直接ボクに流し込んで、眠っていた感覚をガツンとぶん殴るようなことをしたらしい。

 その結果ボクは突然これまで使えていなかった感覚器が動き出して混乱。情報処理が追い付かずにぶっ倒れたということだ。


「君みたいなケースは稀だが、ないこともないんだ。

 ボクはこれでも長く生きているからね、対処の仕方を知っていた。

 だから何日も無駄な鍛錬をさせたシノ君のことは責めないであげてくれたまえ。君よりは年上だろうけど、まだまだ未熟者だからね」


 ミドウさんは手厳しい。

 ボクはなにかフォローすべきかと思ったけれど、風の声を感じるのです……とか言われ続けた日々はそれなりに辛かったので何も言えなかった。


 まあ、苦しんだのが二十日程度だったことは幸運なことだったのだろう。

 もしもミドウさんが来なければ、ボクはもっと長い時間を無駄にして、挙句にシノ様に見捨てられていたかもしれない。


 それを考えると、ミドウさんはボクの恩人とも言える。


 ボクが素直に頭を下げると、感謝はいいよ、とミドウさんは首を振った。

「これからシノ君が世話になるんだからね」


「今のところ、世話を焼かれる方が多いです」

 ボクが肩を落とすと、ミドウさんはあっはっはと大声で笑った。


「そりゃあそうだよ。だって君は今のところただの子どもで、シノ君もまだまだ子どもとは言え、年上だ。それに、ボクの弟子だしね。

 君は奴隷として買われたことを引け目に想っているかもしれないけれど、あまり気にしないでいい。

 僕は目下の者をおとしめていい気になるような人間にシノ君を育てた覚えはないし、シノ君も、君のことをそんな風に扱っていないように見える。

 君はただ、自分を一方的に辱めることのできる相手がそれをしないという幸運を、存分に利用してやればいいのさ。

 もちろん、愛想を尽かされないように努力する必要はあると思うがね」


 それを聞いて、ボクはちょっと首を捻ってしまった。

 納得できるような気もするけれど、あんまりボクに都合が良すぎる考えの気もする。


 そんなボクを見てミドウさんは笑った。

「ともかく、君は今のところシノ君を裏切る予定はないんだろう?」


「そうですね」

 ボクは即座に頷いた。


 シノ様は良くしてくれるし、ボクにこれからどう生きていくのかとか、何をしたいとか、どこへ行きたいとか、そういう願望はない。


 であれば、ボクがシノ様の許を離れる理由なんて皆無なのだ。


「それなら、君はやっぱり、シノ君の友であればいいのじゃないかと思うよ」


 ミドウさんはそう言って会話を締めた。



 それからお昼も近くなって、起き出してきたシノ様がミドウさんにいきなり跳び蹴りをかますというハプニングもあったけれど、なんだかんだで和解して、涙の再会シーンが演じられた。

 

 どうやらボクがいるとシノ様は素直になれないみたいだったので、ちょっと出てきますと表を散歩しに出かけた。

 するとじきにシノ様がミドウさんの胸に飛び込むような会話が聞こえてきて、ちょっとやるせなくなった。


 ボクとシノ様の過ごした精々一月程度の時間では到底太刀打ちできないほどの濃密で長い時間がシノ様とミドウさんとの間にあるのだと、改めて思い知らされるような気がしたからだ。


 けれど幸い、すぐに旅立つとミドウさんは言った。

 なんでものっぴきならない事情があるのだとか。

 どうせ適当言ってるだけってシノ様はぶつぶつ言って、信じていなかったけれど。


 行かないでと喚きだしたそうに子どもっぽく唇を突き出しているシノ様を見て、ボクはミドウさんがさっさといなくなってくれることに安堵している自分が情けなくなった。


 もしもボクがシノ様の忠実なしもべであったなら、例えば呪術の修行を見てくれだとか、なんでも適当に理由をでっちあげてミドウさんを引き留めただろう。

 でもボクは自分のことばっかりで、ミドウさんがいなくなってシノ様が悲しむよりも、シノ様にとってのボクの存在価値が脅かされる方を恐れていた。


 それでもせめて、出立は明日の朝にして今日は一緒に過ごしてはどうかと提案した。

 ミドウさんはそれも断ろうとしたけれど、シノ様がぶるぶる震え出したのを見て急に機嫌を取るように態度を変えた。


 シノ様は後で、師匠はわたしと一緒に居るのが嫌なのかな、と弱気に呟いたけれど、ボクはそういうわけじゃないと思う。


 むしろ大事だから、距離を取ろうとして、たまに失敗しているんじゃないかと思った。


 まあ、言わなかったけど。


「そうかもしれませんね」

 代わりにそう言ったら、めちゃくちゃへこんでいた。


 しょんぼりしたシノ様、かわいい。


 この夜はボクが代わりにおやじさんの酒場の給仕に出た。

 意地悪をした代わりにせめて二人の時間をつくってやろうと思ったのだ。


 慣れない仕事は大変で、何度か失敗して大恥をかいた。

 まあ、この酒場の客は常連さんが中心だ。ボクのことを知っている人も多くて、なにかやらかしても許してもらえた。


 しかし疲れた。

 シノ様はこんなことを毎日しているのか……。


 ……ん?

 何でシノ様にだけボクはこんなことをさせているんだ?

 シノ様には以前はぐらかされてしまったけれど、やっぱりボクも働きますって相談するべきだろうか。


 まあ、それは置いといて。


 翌朝にはミドウさんは、シノ様とおやじさんとボクの三人に見送られて宿を出て行った。


 別れはあっさりしたものだった。


 ミドウさんは相変わらずへらへらしているし、シノ様はやはり寂しいのだろう、ぎゅっと唇を結んで黙っている。

 何か言わなくていいのかと思ったけれど、今生の別れでもないのだ、言い残したことは次にまた言えばいい。


 そんな別れの最後に、ミドウさんはボクに、ついでみたいに不吉なことを言い残した。


「アマミヤを名乗る呪術師には気をつけろよ。シノ君を狙ってるからね」


 え。なにそれ!

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