第8話 シノの過去


~前回までのあらすじ~

 弟子になれと言われて呪術師修行を始めたのはいいもの、ボクはさっぱりなんにもできない。このままじゃシノ様に見捨てられちゃうよぅ……。

 そんな時に現れたのはシノ様の師匠。ボクはヤツにやられて指一本動かせない。シノ様にもおいて行かれて絶体絶命!うう、短い幸せだけど短い夢だった……。


 ***


 頭が、痛い。


 何かが常に流れ込んで、ボクの頭の中を掻きまわしていくような心地がする。

 それは気持ちの悪い感覚で、眠ることだってできやしない。


 ボクを草原に放置していったシノ様はすぐに戻って来てくれて、のたうち回るボクを担いで宿のベッドに寝かせてくれた。


 一番つらいのは初めの三日くらいだった。


 身体が動かせなかったのは少しの間だけで、すぐに動けるようになったけれど、泥のように重くて何にもできないのは変わらなかった。


 シノ様はボクの身体を拭いてくれたり、おじさんの作った穀物粥を食べさせてくれたり、トイレの世話までしてくれた。初めの一日は酒場での仕事も休んで、ほとんど付きっきりだった。


「ボク、このまま死ぬのかな……」

「バカね。わたしの師匠は、ちょっとアレなとこはあるけど、信用できる人だもの。わたしの大切な弟子を殺すようなことはしないわ」


 シノ様はボクの手を握ってほほ笑んでくれた。

 その言葉を聞くとちょっと安心できた。

 ミドウさんの、最悪廃人、という言葉を思い出すと不安だったけど、シノ様が大切だと言ってくれた言葉が温かくて、それならシノ様の言うことを信じてみようと思った。


 三日目を越えると、頭痛も和らいでボクは眠ることができるようになった。

 まだ身体が重いのは変わらないしまともに何か考えることもできなかったけれど、それまでに比べて随分楽になった。


 でも途切れ途切れの眠りの中で、なにか妙な夢を見た気がする。


 ボクはその夢の中では男で、怖い妖魔なんかと渡り合う強い呪術師だった。

 その夢は断片的で、何が起こったのかは分からないけれど、彼は女の子を守ろうとして死んだ。


 悲しい終わり方だったけれど、きっと彼は不幸せなんかじゃなかったんだと思う。だって自分の力を、大切な人を守るために使って死ねたんだから。


 ボクが眠るようになって、シノ様も随分ほっとしたみたいだった。


 そしてボクの寝物語に、昔のことをぽつりぽつりと話してくれた。


 ***


――シノ視点


 わたしの一番初めの記憶は、師匠の腕の中でたき火の炎を眺めている時のものだった。


 いくつぐらいの頃かは分からない。

 でもわたしが物心つく前から、わたしは師匠と一緒に旅をしていた。


 わたしは師匠の腕の中が好きだった。師匠の強い腕の中にいると、わたしを脅かすあらゆるものから守られているように感じたからだ。


 師匠はわたしが抱っこをせがむと、いつも少し困った顔をして頭を撫でた。

「寒いのかい?それともなにか恐ろしいものを見たのかい?」


 師匠はいつもゆっくりと穏やかな低い声で喋った。

 わたしはその声を聞くといつも少し眠くなった。


 わたしは師匠の胸に横顔を押し付けて、師匠がわたしのために焚いてくれるたき火を眺める。


 夜に火を使うと悪いものを呼び寄せる。

 獣たちは火を恐れるが、妖魔たちはそれを、獲物の目印として襲ってくるからだ。


 師匠は強かった。


 何が襲ってきても慌てることはなく、身動き一つせず、そして殺すこともなく退散させた。

 妖魔たちは師匠を恐れたのだ。決して触れてはならないその強大な力に気づき、ただ逃げ出すほかなかったのだ。


 だからわたしは大きくなるまで、夜に火を焚いてはいけないという旅の常識を知らずに過ごした。


 わたしは火を眺めていると、いつも何か思い出しそうになった。

 記憶の奥底に眠っている何かがずりずりと這い寄って来て、わたしに呼びかける。


 わたしはそれが恐ろしくて、目を伏せる。耳を塞ぐ。


「やっぱり何か怖いのかい?」

 師匠は優しく身体を揺らしてわたしをあやす。

 そんな子ども扱いが嫌で怒るようになったのは、何歳ぐらいの時だっただろう。

 本当はくすぐったくて心地よくて、もっとしてほしいくらいだったのに、おかしいね。


 師匠が呪術を教え始めたのは、たぶん最初の記憶よりも前のことだと思う。

 わたしは読み書きも覚える前から呪術を学び、そして身体が大きくなってくると剣術も学んだ。


 どちらもあって悪くはないものだと師匠は言った。

 わたしは師匠を尊敬していたから、師匠の言葉を疑うことなんて何もなかった。


 わたしは幼い頃からずっと師匠に守られて育ってきた。だから強くなって、いつかは師匠の役に立ちたいと願った。


 師匠は剣術の単純な鍛錬の傍らで、わたしの昔話について話してくれた。


 師匠は幼いわたしが天外山脈東部の山の中をさまよっているところを保護したのだという。近くに親はいなかったようだ。


 それが本当のことなのかどうか分からない。

 包み隠さずに教えてくれているのかも分からないし、もっと恐ろしいことがあって、わたしに隠しているのかもしれない。実は師匠が親元から奪ってきた子どもかもしれない。


 でもわたしは、わたしが師匠の本当の子どもだったらいいと思っていた。

 何かの理由で名乗れないけれど、実はわたしの本当のお父さんで、ずっと他人のふりをしながら守ってくれているんだ、と。

 じきに、そんなことはあり得ないと知ることになるのだけれど。


 たぶんそれは恋慕だったと思う。

 わたしは幼すぎて、恋する気持ちなんて分からなかったから、父を求める心にその答えを求めたのだ。


 わたしは師匠がずっとそばにいてくれるものだと思っていた。

 ずっとそばにいて、わたしのことを守ってくれるのだと。


 そんな日々が終わりを告げたのは一年半ほど前のことだった。


 旅の途中、ここ、ナンキの町の宿屋にわたしを預けて、師匠は唐突にどこかへ消えてしまった。


 町の商家からの頼まれごとで、わたしが呪術師としての初仕事をしたその日のことだった。

 こんな子どもで本当に大丈夫かと向けられる疑いの目に傷つきながらも、師匠の顔を汚してはならないと、わたしは必死で気を張っていた。


 その仕事をなんとか成功させ、きっと誉めてくれるに違いないと、わたしは駆け足で宿に戻った。


 けれど上気した顔で扉を開けたわたしを出迎えたのは、がらんとした部屋と、机の上の一通の手紙だった。


 手紙にはこう書いてあった。


『仕事の成功、おめでとう。

 これで君も一人前の呪術師だね。

 

 一人前になったということは、

 もう保護者は必要ないということだ。

 

 君と一緒に過ごした時間は短かったが、

 とても暖かく、心楽しい日々だった。

 

 君が呪術師として歩む限りは、

 いずれ再び出会うこともあるだろう。

 

 ではひと時のお別れだ。

 

 君の健やかな成長を願っている。


 親愛なる我が弟子、シノ・ツチミヤへ』


 わたしはその手紙を読んで呆然と立ち尽くした。


 ――ああ、そうか。


 わたし、また、捨てられたんだ……。


 今はきっとそうじゃないって分かる。

 師匠は、わたしが師匠に依存していることが分かっていたから、もっと強い人間に成長できるよう、わたしのことを置いて行ったんだ。


 でもその当時のわたしは初めの思い付きに縛られて、どこにも動けなくなっていた。きっと初めの親にも、次には師匠にも捨てられた要らない子なんだって、そう思い込んでいた。


 しばらくは何をする気力も起きずにベッドでぼんやりして過ごした。

 毎日朝昼晩に宿屋のおやじがやって来ては食事を置いていく。

 どうやら師匠は出かける前にくれぐれもとおやじに頼んでいたらしい。


 おやじはわたしがほとんど反応しないでいると、しっかりしろ、と叱責した。

 食事のお礼も言わないのに、よし、全部食べたな、と頭を撫でてくれた。


 わたしが立ち直れたのはおやじがそうやってちょくちょく声をかけてくれたおかげだと思う。

 こうして気にかけてくれる人がいるなら、わたしももう少し頑張れるような気がした。


 そうして久しぶりに窓の覆いを外した時、わたしはようやく机の上に、手紙以外のなにか重そうな袋が置いてあるのに気が付いた。

 袋を開けてみるとそこには、シュベット銀貨200枚が入っていた。半年は遊んで暮らせる金額だ。


 わたしは衝動的に袋を床に叩きつけた。


 わたしがほしかったものは、こんなお金なんかじゃない。わたしは……!

 

 よっぽど窓から投げ捨ててやろうかと思ったけれど、僅かに残った理性がそれをさせなかった。


 わたしはおやじに頼んで酒場の手伝いをさせてもらうことにした。


 わたしは師匠の残したお金には手を付けなかった。それはちっぽけな意地みたいなものだった。

 それだけで足りない部分は、時々呪術師として仕事を受けてまかなった。


 きっと師匠は、わたしがさっさと宿屋を出て、新しい仕事を探して別の町に旅立つことを望んでいたのだろう。


 でも止めだ。

 師匠の思い通りには絶対ならない。


 わたしはこの町で、師匠が帰って来るのを待っていてやる。

 それで、いつか帰ってきたら、思い切りぶん殴ってやるんだ。


 あんたなしで絶対、旅なんてしないからって。



 でもわたしはどうやら、元来の寂しがり屋だったみたいだ。


 宿屋のおやじは良くしてくれるけど、それでも家族じゃない。たまに響いて来る団らんの声を聞いているとやるせない気持ちになった。


 わたしはわたしの家族が欲しかった。

 もっと身近で、もっと遠慮がなくて、わたしのことを一番に考えてくれる人。四六時中一緒にいてくれる人。


 そんな時、仕事の依頼で裏町まで行ってイヅルのことを見かけた。


 イヅルは誰にも必要とされていなかった。


 イヅルは誰の一番でもないし、いてもいなくてもどうでもいいような、そんな存在だった。


 あの子なら、わたしのことを必要としてくれるかもしれない。

 わたしを一番に考えてくれるかもしれない。

 わたしと一緒に生きてくれるかもしれない。


 ちょっと優しくしただけで勘違いして、わたしのことを愛してくれるかもしれない。


「あれ、買うわ」


 奴隷なら、わたしを勝手に一人にはしないんじゃないかって思った。


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