第7話 遭遇


 あれは女性のブラジャーだけの裸だ。


 こんなところで痴漢に遭遇か。


 丸山さんと影になっている郵便ポストの後ろ側に隠れた。


 その裸の女性、まあ、違反しないように上着を咄嗟に身に着けたが、道中で踊っている。


 ブラジャーのホックが無残にも外れ、ひらひらと舞う。


 変な歌を歌っていた。


「怖くなーい。あーあ、怖くなーい。あなたのー、ためならー、何でもー、でーきーる」


 何の歌だろう。


 聞いたことがない歌だ。


 昭和歌謡の歌かもしれない。


 すごく音痴というか、路上ライブのつもりなんだろうか。


 これかなりヤバいと思う。


 警察に連絡しなくてもいいのか。


 そう思っているうちにおばちゃんは歌い続け、ついにブラジャーは遥か彼方のほうへ飛んでいった。


 それを見て行動に移したのは丸山さんだ。


 丸山さんがその得体の知れないブラジャーをスキップして掴んだ。


 あとでギックリ腰にならないだろうか。


 ふわふわと宙を舞ったブラジャーは無事掴まれた。


 そのブラジャーはかなりの高級下着のやつだった。


 私でも付けないような代物だ。


 このブラジャーをあのおばちゃんが。


 うーん、何か世相を感じさせる。




「これ、飛んでいきそうでしたよ」


 丸山さんはご丁寧にブラジャーを渡したけれどもこれで良かったんだろうか。


 警察に追報するのが先な気がした。




「あらあらお嬢ちゃんたちどうしているの?」


 ブラジャーを受け取ったおばちゃんはこの上なく笑っていた。


 おばちゃんはブラジャーをつけた。


 これでめでたし、めでたし。


 あの歌は誰の歌なんだろう。




「神崎さん、帰るよ」


 丸山さんに急がれてそのまま私たちは立ち去った。


「何で急いだんですか」


 少し息切れがしてきた。


「だって、何か変だったでしょう。この時間帯になるといつも歌っているのよ。私たちを待ち伏せしているみたいじゃない。いくら出版関係者だからといってパフォーマンスをしなくてもいいのに」


 それはレコード会社の前で踊ればいいのではないか。


 出版と歌手の関係性はデビューには関係ないと思う。


 いや、確かに有名バンドのメンバーのひとりが小説を書いて直木賞の候補になったことはあるか。


 それは別としてあとあのおばちゃんの年齢ならば歌手デビューにはかなり遅いと思う。


 あまりうまくもなかったしね。


 だから、さほど悪意はないのでは、と思う。




「あんな人が小説を書いたら面白いのかな」


 私が何気に呟いた一言に丸山さんは失笑した。


「ないわよ。あんな人がたくさん書けるわけがない」


 そうだよな。


 そんなわけない。


 これだけ苦労して作家デビューできたんだもの。


 あんなおばちゃんが小説を書けたのならば世界平和がすぐに訪れるに違いない。


「明日も下読みよ。今日は遅いから早めに帰りましょう」


 そのまま、私は終電に乗って家へ帰った。


 あの不思議なおばちゃんがあの後大変なことになるなんてあのときの私は想像ができただろうか。


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