深層生物
# 01
※ 成人おめでとうございます。
ささやかですが、お祝いに本日も4話更新させていただきます。
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ブフォッ……ブフォーッ……ブフォッ……。
巨大な、それこそ地上ではありえないほど現実離れした巨体が、スピスピと鼻を動かして、目の前の潜行者の匂いを嗅いでいる。
見た目は――地上で言えば、カピパラに少し似ているだろうか。
ただし、そのどこか直方体じみた形の頭だけで、人の5倍ほどの大きさであることを除けば。
ブフォーッ……ブフォッ……ブフォッ……。
そんな深層生物の鼻先で、駆け出し冒険者であるレイ・アグレーンはロープにしがみついたまま、みじろぎもせずに硬く目を閉じている。
体が小刻みに震えているのは恐怖か、寒さのせいか、あるいはそのどちらもか。
薄目を開ける。
自分の頭部よりも巨大な瞳と目が合い、レイ・アグレーンは声にならない悲鳴を上げる。
(少しでも動けば、きっと食われる……!)
なんの根拠もなしに、レイ・アグレーンはそう信じ込んでいる。
助けは呼んだ。
だが、いつまでこうしていれば良いのか。
思えば、冒険者として様々な功績を残してきた。
特に害獣駆除に関してはギルドから表彰されたこともある武闘派だ。
どんな猛獣でも、この自分の手にかかれば敵ではない。
岩山をクライミングする技術も、冒険者の中では上位クラスに入る自信がある。
だから――さらなる冒険のスリルを求めて迷宮に手を出したのだ。
だが、なんだこれは。
なぜかレイ・アグレーンの匂いを嗅ぎ続ける獣の鼻孔――なんなら自分一人くらいならすっぽり潜り込めそうな巨大なそれを目視し、彼の心はすでにすっかりと折れている。
一体どうすれば、こんな巨体と戦えると言うのだ。
助けてくれ。
食われる。
死にたくない。
獣は未だ男を食う様子はなく、しかし立ち去ることもしない。
一体こいつはなんなんだ?
▽
ジリリリリリリリ。
ハジのご機嫌取りに朝食に付き合っていたクラウディオの耳に、通信機器のベルの音が飛び込んできた。
「はい、こちらクラウディオ」
『クラウディオか。こちら LC1。
「
『詳細は不明だ。音声による通信を試みたが駄目だ。短縮コードで 34SSD3300BH とだけ届いた』
34SSD3300BH ――
『
「行くよ。かわりに狩猟鳥獣に該当しない深層生物の狩猟許可が欲しい」
『許可する。そもそも
「わかってるよ、そもそもおれは
『よろしく頼む――クラウディオ、死ぬなよ?』
「死なないよ。……通信終了」
『通信終了』
通信が終わると、ハジがじっとクラウディオの顔を見つめていた。
「な、何?」
「ぼくも行くよ」
「……一応訊くけど、なぜ?」
「なぜって……ビースト・ハザードなんでしょ?」
ハジは「何を当たり前のことを言ってるのさ」と言わんばかりの表情だが、クラウディオは顔を顰める。
「あまり気が進まないんだけど……」
「でもクラウディオ一人じゃどうしようもないかもしれないよ?」
「
「そうならないためにも、ぼくが行ったほうがいい」
「うーん……」
クラウディオは少し考えるが、時間はあまりない。
時計をチラリと見て「うん」と一つ頷くと、クラウディオは壁にかかった大型のナイフを取り、ハジに差し出した。
「じゃあ、これを持ってついてきてくれ、ハジ」
「いらないよ」
「おれのために持っておいて欲しい」
クラウディオの真剣な表情に負けたのか、ハジはナイフを渋々受け取ると、背中の腰あたりにそれをセットする。
うん、と頷くクラウディオ。
「じゃあ、行こう」
喋りながらも活動の準備を済ませていた二人は、拠点の扉を開けて天気の悪い迷宮へと飛び込んだ。
▽
なかなかに行程が長い。
これが
それでも
問題は
食料になるような狩猟鳥獣もいなくはないが、独自進化を遂げた奇妙なモンスターが多く生息している。
人を襲うものは多くないが、それでも他の階層にはない独特な危険に満ちている。
深層生物さえいなければ、
そのためクラウディオも数回しか潜ったことはない。
医療素材目的によく依頼書が出回っているが、
だが、後ろからついてくるシェルパの少年にとっては、ある意味特別な意味のある階層と言える。
(相変わらず、全速力のおれに悠々とついてきてくれる)
クラウディオの先行速度にいささかも遅れをとることなく、ハジはピッタリと追従してくる。
何を考えているのかわからない無表情――最近は地上の連中に「笑った方が可愛い」と言われ、笑う練習をしているらしいが、クラウディオと二人の時まで表情を作るのは面倒らしい。
カァン、カァン、とハーケンを打ち込むクラウディオ。
帰りに救護者を背負うことを考えれば、カムやナッツだけでは心もとない。
どうせこれも数日で迷宮に吐き出されてしまうだろうが、数日間の
「ねぇ、あれじゃない?」
「本当だ。ああ、なるほどなぁ……」
酷い嵐である。
反面、瘴気は薄い。
見通しの悪い中、数百メートル先に、目立つ色の
すぐ後ろには、二十メートル近い巨大サイズの齧歯類。
ヒグヒグと鼻を動かしながら、救護者の匂いを嗅いでいる。
「ありゃダメだ。どうしたもんか」
「どうして? 危険はないと思うけど」
「いや、あれだけ餌を与えちゃあ、いつまでも離れていってくれないだろ」
その時、救護者側がクラウディオたちに気づいた。
「助けてくれーーーーーッ!!」
緊張が限界だったのだろう。
レイ・アグレーンは枯れるほどの大声で叫んだ。
クラウディオは慌てて腰のポーチから通信用ライトを取り出して、メッセージを送信する。
パタパタと明滅する赤いライト――可視光通信である。
色が赤いのは、迷宮生物が赤色を認識しないと信じられているからだ。
bq8,risk。
bq8 は be quiet の略だ。
すなわち、送ったメッセージの意味は「黙れ、危険だ」である。
レイ・アグレーンは地上出身の冒険者だ。
残念ながら、可視光通信の読み取りには不慣れであった。
「おぉーーーい! おぉーーーい! ここだーーーッ! 早く助けてくれーーーッ!」
「あーあー、あんな叫んじゃって……」
「あんまり迷宮に慣れてないのかな」
クラウディオとハジは困った顔のまま、レイ・アグレーンを黙らせるために次の一歩を踏み出した。
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