# 03

※ 本日3話更新のうちの3話目です。

「アラクネ繊維 # 01〜# 02」をまだお読み出ない方は、そちらを先にお読みください。


===


「ハジ! ごめん、遅くなった!」

「遅いっ!」


 結局クラウディオがカフェ・マコーズに到着したのは、約束の時間を一時間も過ぎた頃だった。

 待ち受けるハジはいつもの定位置――外の光が届かない店の最奥だ。


(地上でも最奥を目指すとは、さすが迷宮の子)


 しょうもないことを考えつつ、クラウディオはせっせと頭を下げる。


 口数少なく腹を立てるハジだが、早めに機嫌を直しておかないと明日からの生活が面倒臭いことになる。

 

 飯は携行食があるからいいとして、ギアの手入れやらレスキューコールに合わせた準備、部屋の掃除など、ハジに任せっきりのことは多い。


 ハジはへそを曲げると、全部ボイコットして一人で深層に潜りに行ってしまうのだ。

 

 気づけば助手としてハジに依存している自分に気づき、クラウディオはますます頭を下げる。


「ごめんごめん」

「クロはもー……どうせ反省なんてしてないくせに」

「してるしてる。この通り」


 手を合わせるクラウディオに、ハジがようやく表情を緩めて肩をすくめる。


「高い方のランチを奢ってくれるなら許したげる」

「なんだ、そんなこと。もちろんいいよ、好きなのを頼みなよ」

「クロも食べるんだよ?」

「えー……」


 なぜそこで不満そうな顔をするのか、とハジはふくれる。

 

 どういうわけか、クラウディオは美味しいものを食べることに魅力を感じないらしい。

 迷宮順応の過程で嗅覚障害だか味覚障害だかを患ったのかと思ったが、単純に食事にエネルギーと栄養補給以上の価値を見出せないらしい。

 

 普段ハジが作っている食事も「うまいよ」などと言いながらパクパク食べているが、果たして味わって食べてくれているのかどうか。

 

 いっそ一度、唐辛子だらけの強烈なやつを出してやろうかしら、とハジは考える。


「まぁ、たまにはいいか。お姉さん! 高い方のランチを二つ!」

「はぁい、ただいまぁ」


 クラウディオの注文に対し、奥から女性の声が返ってくる。

 ここのお姉さんはハジのファンだから、きっとサービスしてくれることだろう。


「ところで、その荷物は何なのさ?」

「おぅ。聞いて驚け。今日の荷物の届け先は〈ジングワット・カーチス〉だったんだ」

「〈ジングワット・カーチス〉って、あのロープメーカーの?」

「そう。開発部長のカーチスさんとおしゃべりしちゃった。これはついでに買い足した、いつものロープ」


 シシシ、と嬉しそうに笑うクラウディオに、ハジの目が冷たくジトる。


「それで遅れたってわけ?」

「うん、ついでに新製品の感触を確かめてみろ、って誘われてさ」

「ふぅん……新製品って?」

「ロープだよ。摩擦係数が一定方向にだけ強くなるように撚られてるんだ」

「ああ、いいね。登る時に握力を節約できる……けど、降りるときは余計に大変じゃない?」


 9歳にして一端の潜行者であるハジは、ちょっと特徴を聞き齧っただけで、ものの見事にロープの利点と欠点を言い当てる。

 クラウディオよりもよほどクレバーである。


「それは専用のエイト環があれば解決する。ただ、貼る時に方向を間違えないようにしないとすごく危険なんだ」

「そんなの、途中に普通のロープでも混ぜてやりゃいいじゃん」

「ん? ん?」

「だから、上から下までずーっと滑らないようにするんじゃなく、1メートルごとに20cmくらいずつ普通の撚りを混ぜてやれば解決しない?」


 あとは、T字の模様をつけておけば滑る方向はわかるよね、とハジはつらつらとアイディアを口にする。

 クラウディオはポカンと口を開け、「ちょっとまって、メモするから」と言ってゴソゴソとやり始める。

 が、そこに料理が運ばれてきた。


「お待たせー、前菜の魚介のサラダです。ハジちゃんにはスモークしたトラウトを多めに入れてあげたわよ」

「ありがとうお姉さん! 美味しそう! いただきます! ほらクロ、メモなんかとってないで食事食事!」

「ええ、ちょっと待って、せめてさっきの」

「うるさい。これ以上ぼくを待たせるつもりなの?」


 しばらく一人暮らしでもしてみる? というハジの脅しに、クラウディオは慌ててメモを探すのをやめて、ナイフとフォークを手に取った。


「い、いただきます」

「いただきます。……わ、お姉さん、このトラウトすごく美味しい。自家製?」

「そうよ。うちの旦那が作ったの」

「旦那さんに美味しかったって伝えておいてよ」

「ハジちゃんに褒めらたって聞いたら、旦那も喜ぶわ! じゃ、ごゆっくり!」


 店のお姉さんと仲良く喋りながらパクパクと食事を楽しむハジ。

 クラウディオは食事に時間をかけるのが好きではないのであっという間に目の前の皿を平らげてしまうが、ランチはコースなので、いくら早く食べても食事が早く終わるわけではない。

 仕方なく、皿に残った真っ赤なビーツのドレッシングをフォークにつけては舐めながら、ハジの食事のペースに合わせることとなった。

 

 ▽

 

「で、そっちの収穫は?」

「ぼく? 頼まれてたものは全部揃ったよ。下着と靴下、スパイクの刃もね。あと修理頼んでたギアも引き取ってきたけど、一つ検品で弾いといた」

「……それだけにしては、荷物が大きいけど?」

「あとは食材かな」

「多いな?!」

「普通だよ。クロはもっと食を楽しむ余裕を持ったほうがいいと思う」


 馬鹿舌だと人生がつまらなくなるよ? というハジの言葉に、クロは口を尖らせる。

 自分だって、ポーターレッジの上で飲むお茶は最高にうまいと思ってるよ、などとどこかずれたことを思うクラウディオだが、拠点での食事は自分だけがするものではない。

 作ってくれるハジの思うようにすればいい話だ。


「はい、本日のメイン。迷宮産ウサギのロースト」

「わぁ、美味しそう! ありがとう!」

「どういたしまして。ハジちゃん、ウサギ好きだねぇ」

「うん、大好き。それにこのウサギはクラウディオが狩ってきたやつなんだ」

「「え、そうなの?」」


 店員のお姉さんとクラウディオの声が重なる。

 ハジは片眉を上げて、パクリとローストを口に放りこむ。


「だから高い方のランチにしたんじゃんか。クロはあれだね。自分の仕事の結果に興味がなさすぎ」

「へぇ……そうなのか。……うん、うまいな」

「迷宮産の食材は、地上産のものとはレベルが違いますからね。ちょっと高いし安定供給しないのが難点ですけど……そうかぁ、これをクラウディオさんがねぇ……」


 お姉さんも感心した様子だ。

 クラウディオはハジのさりげない気配りに嬉しくなり、自らが狩ったウサギ肉を再度パクリと口に入れた。

 

「うん、美味い。食材もだけど、きっと料理の腕もいいんでしょうね」

「やだもう。お世辞言ったってクラウディオさんには何にもサービスはないわよ?」


 そう言って、お姉さんは次の料理のために足早にキッチンへ消えていく。

 

 クラウディオさんには、という言葉の裏には、ハジにならサービスしてもいいという思惑が見え隠れしている。

 

(いつの間にか、地上の人たちとも仲良くなったなぁ)


 クラウディオは感慨深く思う。

 ハジは成長し、自分が想像しているよりもうまくやっている。

 

 しかし、ハジには地上での滞在時間にタイムリミットがある。

 何日も滞在し続けることはできないし、外を歩くときにはフードを被るか、男の子だというのに日傘が欠かせない。

 

 いつか、ハジの体質が治ったりはしないだろうか。

 自分のように、死と隣り合わせの迷宮に魅せられた人間と一緒に過ごすことは、ハジにとって幸せなのだろうか。

 

 そんなクラウディオの考えを見抜いたのか、ハジはフンスと鼻息も荒く自慢げな声で言った。


「いつかきっと、クロを美味しい食べ物に夢中にさせて見せるよ」

「……期待しとく」

「そして、いつかは〈遥かなる地平〉に二人で到達しようね」


 クラウディオはその言葉にハッとして、ハジの顔を見上げる。

 

 ハジの顔は自慢げに微笑んでおり――言葉にはしないものの、その表情は自分が幸せであることを、何よりも雄弁に語っていた。

 

「……そう、そうだな」

「そうともさ」


 クラウディオはどこか気恥ずかしい気分になり、照れ隠しに最後のウサギの一切れをパクリと口に放り込んだ。


(了)

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