アラクネ繊維

# 01

※ 成人式を記念し、本日は三話更新します。


===


「見事なもんですね」

「そうでしょう、そうでしょう」


 関心して声を漏らすと、クライアントが嬉しそうに胸を張った。


 クラウディオが見上げる先には、半透明な幕で覆われた巨大な空間があった。

 それはまるで、迷宮に蓋をしたかのようだ。

 半透明の膜の向こうでは、なにか不気味で巨大な影が這い回っている。


 よく見れば、半透明の膜はたくさんの糸がより集まってできている。

 この糸を地上まで運ぶのが、今日のクラウディオの仕事だ。


「オレも迷宮に関わって長いですが、これは初めて見ましたよ」

「無理もないですな。この辺は我が社の土地で、一般の方は立ち入り禁止ですし」

「そうですか。なるほど、これがアラクネの巣……」

「なかなか迫力があるでしょう?」

「ええ。びっくりしました」


 ――アラクネの巣。


 迷宮深層生物であるアラクネは、巨大な蜘蛛だ。

 人間の顔によく似た模様を背負っており、地上では「人面蜘蛛」などと呼ばれたりもする。

 そのアラクネが迷宮を縦横無尽に這い回り、大量の糸を吐いて巨大な巣を作る。

 この糸こそが、迷宮素材の代表とも呼ばれるアラクネ繊維だ。


「天然の巣?」

「いえいえ、とんでもない。天然ものになると人間の手には負えませんよ」

「では、これは?」

「捕獲したアラクネを、数を調整しながら飼育しているんです。何、餌を与えてやって、我々が危険でないことを教えてやれば、滅多に襲ってきません」


 そこは「滅多に」ではなく「絶対に」であってほしかったとクラウディオは思ったが、あえて口にしたりはしない。

 それに、自分の知らなかった迷宮の新しい顔を知ることができて、クラウディオは上機嫌だった。


「で、急ぎの荷というのは……」

「こちらです」


 クライアントが指し示した先には、ロープでギチギチに巻かれた豚袋(迷宮で多用される布製の鞄)が吊るされている。

 重さは 20kg 程度はあるだろうか。

 確かにこれはなかなか大変な作業だ。


「『ジングワット』さんからの急な注文で、採取したての糸が必要なんですわ」

「はぁ、なるほど」


 ジングワットとは、迷宮潜行者にとっては馴染み深い、アラクネ布の古参のブランドである。

 今クラウディオが着ている肌着もジングワット製のアラクネ布だ。

 汗を素早く吸って蒸発させ、通気性も確保された潜行用の高機能肌着である。


「足場が工事中でなけりゃ、自分達でどうにかするんですが、ちょうど迷宮崩壊コラプスと重なっちまって」

「そりゃあ災難ですね」

「タイミングが悪かったですな」


 クラウディオとクライアントは、迷宮の壁に沿って作られた足場の上に立っている。

 しかしこの足場、地面に一切接触していない。岩壁に大量に打ち込まれたボルトを支えにしているだけだ。

 迷宮は時間経過と共に少しずつ形を変えるため、足場は永続的なものではなく、しょっちゅう点検と修繕を繰り返さなければならない。

 特に、形状変化の勢いが増すと――これを迷宮崩壊コラプスと呼ぶ――足場を落とさないようにするだけで人的コストが増大する。

 

 クラウディオは胸を張って言った。


「まぁ、こういう時こそ我々の出番なんで」

「そう言っていただけると。『ジングワット』さんは上得意なんで、くれぐれもよろしくお願いします」

「おまかせください」


 そう言ってクラウディオは豚袋に手を伸ばす。

 ズシッとした重みにクラウディオは目を見開く。


「……これ、何kgあるんです?」

「35kg ですな。……もしかして何か問題でも……」

「いえ、人間を運ぶよりは軽いですし。本日正午までにお届けしますよ」


 クラウディオの言葉に、クライアントはホッと息をついた。


 ▽


(しくったな……アラクネ繊維と聞いて舐めてたけど、想像より重い)


 肩にかかる重量に、クラウディオは苦戦しながら迷宮の壁を急ぐ。

 時間があるなら荷物はロープに吊るして引っ張ってやるのだが、それだと約束の正午に間に合うかどうか、微妙なラインだ。

 人間なら体重が 80kg 以上ある冒険者を背負うことも珍しくないが、形状が豚袋なのが厄介だ。人間と違って担ぎにくいし、しがみついてくれたりもしない。

 

 クラウディオはハァ、ハァと息を切らしながら、BCベースキャンプ を目指した。


 ▽


 BCベースキャンプ に到着したのは、クライアントの拠点である Lレイヤー9 の 700Dデプス を発ってから3時間以上過ぎてからだった。

 時刻は午前10時……ここまで来れば間に合うのは確実である。

 

 クラウディオは荷物を下ろし、痛む肩をぐるぐると回してほぐすと、通信機を取り出す。


「あ、もしもしハジ? こちらクラウディオ」

『こちらハジ。聞こえてるよ。どうしたのさ』

「荷物が思ったより重くて、予定よりちょっと遅くなる。LC1 で飯してる時間はなさそうだ。悪いんだけどに上がってお茶でもしといて。そうだな、1時には行けると思う」

『了解。じゃあ『マコーズ』で待ってる。一応聞くけど、手伝うことはある?』

「いや、ない。ああ、日焼けには気をつけて」

『わかった』

「じゃあまた後で。通信終了」

『通信終了』


 はぁ、とクラウディオは豚袋を見て、諦めたようにヨイショと担ぎ上げる。

 なにしろここから地階へはほとんど垂直の壁を真っ直ぐに登っていく必要がある。

 ロープを自分で張る必要がないのは楽で良いが、この持ちづらい荷物を地上に上げるには、間違いなく体力をかなり使うことだろう。

 

 クラウディオはアッセンダー――ロープに取り付け、一方向にだけ動かすことのできる迷宮潜行装備――をロープに通し、少しだけ覚悟を決めてから崖を登り始めた。


 考えてみればこのロープだってアラクネ繊維だ。

 

 アラクネ繊維は加工次第でさまざまな特徴を生み出すことができる。

 引っ張り強度が高く、摩擦にも強い。

 そのままでは熱に弱いという欠点があるが、難燃加工や防燃加工を施すこともできる。

 布に加工すれば丈夫で、防水加工や防塵加工、さらにはちょっとした防刃加工だって可能だ。

 体温をこもらせたり、汗によって冷えることを防ぐなど、アラクネ繊維は迷宮先行者にとってなくてはならない素材だ。

 昨今はアラクネ繊維以外の素材もいろいろ開発しているようだが、信頼性という点ではやはり迷宮素材に軍配が上がる。

 

 自分が身につけている衣服やロープ、ハーネス類もほとんどはアラクネ繊維でできている。

 こうして人力で運ぶことは珍しいが、それでもこれらは全て迷宮で採取され、誰かが地上に運んで加工されたものだ。


 そう考えるとクラウディオは重さのことが気にならなくなった。

 アッセンダーがしっかりとロープに噛みつき、グイグイとすごい勢いで登っていく。

 側から見て、これが35kgの荷物を背負った男であるとは、誰も想像しないだろう。

 

 ▽

 

「どうも! アラクネの生糸をお届けに参りました!」


 クラウディオはジングワットの工場裏に到着すると声を張り上げる。

 しばらくすると、機嫌の悪そうなやせぎすの老人がドアを開けてくれた。


「随分早いな。昼は過ぎると思ったが」

「クライアントさんが少しでも早くって言ってたもんで、頑張りました」

「ふん……本当に採取直後の生糸じゃろうな?」

「はい、間違いなく。Lレイヤー9 からの直送ですから」

「見せてもらおう」


 老人はクラウディオから豚袋を受け取ると、やせぎすの老人とは思えない力強さでヒョイと担ぎ、扉の奥へと向かう。


「よかったらお前さんも来なさい」

「え、いいんですか?」

「あんた、迷宮潜行者じゃろ? 面白いものを見せてやる」


 言われてクラウディオはワクワクと扉を潜る。

 しばらく老人について歩き、巨大な倉庫へと到着すると「おお」と声を上げた。


 そこには巨大な空間が広がっており、天井からは何十というロープが吊るされている。

 壁のスチール棚には巻かれたロープが所狭しと並んでいる。

 

 クラウディオは目を輝かせた。


「すごい、こんなにたくさんの種類のロープが」

「これでも、うちの製品の半数もないぞ。ここにあるもののうち三分の一は新製品で、まだ世には出ておらん」

「へぇっ!」


 老人はそう言いながら、どさりとテーブルの上に豚袋を置くと、するすると巻いたロープを外していく。

 中からは、糸というよりは粘液が固まったかのような物体が、紙の帯が巻かれた状態で綺麗に収められている。

 

 つつつ、と老人が指先でそれを触り、「うむ」と頷いた。


「良かろう。いい仕事だ」

「触ってわかるもんなんですか?」

「当たり前じゃ」


 老人は近くに置いてあった書類を取り出し、サラサラと何かをかき入れるとクラウディオに手渡した。

 ギルドへの依頼達成証明書だった。


「名乗りが遅れたな。わしの名前はカーチスじゃ。『ジングワット』のロープ部門の開発部長を努めとる」

「あ、これはどうもご丁寧に……えっ、カーチス? ってまさか」


 クラウディオにはカーチスという名前に聞き覚えがあった。

 アラクネ繊維のロープの老舗ブランド『ジングワット・カーチス』の名前は、迷宮潜行者なら誰でも知っている。


「そのカーチスじゃ」

「おお、光栄です。おれも『ジングワット・カーチス』のロープを愛用してますよ」

「何を使っとる?」

「対墜落回数が高めのツインロープですね。『ジングワット・カーチス』の U シリーズは軽い割に衝撃荷重値が小さいので重宝してます」

「貴様、相当やる方じゃな」

「あ、申し遅れました。おれの名前は……」

「クラウディオ、じゃろ」


 カーチスがニヤリと笑って、クラウディオの名前を言い当てた。

 クラウディオは目を丸くして驚いた。


「……ご存じでしたか」

「名前くらいはな。ギルド連中と付き合ってるといろんな噂を耳にする。U シリーズのツインロープを愛用する迷宮馬鹿で、歳は30代。Lレイヤー9からここまで3時間程度で到着できるような冒険者など他におらんじゃろ」


 思わぬところで名前を知られていたことで、クラウディオは頭をかく。

 妙な噂が立っていなければ良いのだが。

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