# 03

「はい、これでしょ」

「完璧」


 肩車状態で目の前に差し出された根付きの蕾を見て、クラウディオは頷いた。

 だが、できれば顔を踏むのはやめてほしかった。


 クラウディオは受け取った植物を丁寧にサンプルケースに入れると、ポシェットに仕舞い込む。


「クロ、ちょっと支えといて」

「はいよ」


 クラウディオから離れ、クラウディオとロープに繋がれた状態でブランとぶら下がったハジは、その状態のまま靴下とクライミング・シューズを履く。


 編み上げのクライミング・シューズは履くのに時間がかかる。

 その分クラウディオにはそれなりの重さがかかり、負担は小さくないが、クラウディオは気にせずポケットから携行食を取り出してもぐもぐ食べ始める。


「ちょっと、あとでご飯作るんだから、それ仕舞ってよ」

「小腹が空いたんだよ」

「……よくそんなマズいものを食べられるよね、クロは」


 はいオーケー、と言って、ハジはヨジヨジと自力でロープにたどり着く。


「これでミッションコンプリート?」

「うん。でも今日はついでにもうちょっと先にあるクライミング・スポットに行ってみたくて」

「うん? なんか特別なの?」

「相当難しそうなルーフ(水平に迫り出した岩)だけど、上から見た風景が良さそうでさ」

「ふうん?」

「そこで、ハジにお茶を入れてもらおうと思って」


 厚かましいなこいつ、とハジはクラウディオを睨むが、提案を拒む様子はない。


「なら、ルートはこのまま?」

「うん、小一時間で着くよ」

「……ポーターレッジ持ってきてないけど?」

「今日中に帰れるよ」


 それじゃ帰りが深夜になっちゃうじゃん、と思いながら、ハジはおとなしくクラウディオについていく。

 そもそも、ハジの体はクラウディオとロープで連結されている。クラウディオが前に進むならついていくしかない。

 正式にはハジはクラウディオの奴隷という立場でもあるし、衣食住の生活を保証してくれているクラウディオに文句を言える立場ではないが、クラウディオは必ずハジの意見を聞いてから行動を開始する。

 ハジが反対することはまずないのだが、そこはクラウディオなりのケジメみたいなものなのだろう。

 

 今日のルートは、先人たちが岩肌に残したポケットや、名前の着いたクラックも多い、比較的楽なルートだ。


 カムを駆使し、スイスイと進むクラウディオに、ハジは悠々とついていく。


 全力での進行についてこれるハジを、クラウディオは好ましく思っている。

 なにしろ、自分が本気を出すとほとんどの冒険者が根を上げてしまう。

 だからといってこちらが相手に合わせると、目的を果たすことは到底できないのだ。

 

 カムにロープをかけ、後ろを見るとハジが平然とした顔でこちらを見ている。

 頼もしいことだ、と思いながら、クラウディオは次のカムをクラックを差し込んだ。


 ▽

 

「……クロのせいで酷い目に遭った」

「そう? 楽しかったと思うけど」


 クラウディオが提案してきたスポットは、凶悪なルーフだった。

 ほとんど水平の天井を、タンデムで登るなどというのは正気の沙汰ではない。

 が、クラッククライミング(ひび割れを利用する迷宮潜行スタイル)はハジの得意とするところだ。

 ハジが文句を言っているのは、単にコミュニケーション……というよりクラウディオをいじめているに過ぎない。

 

 とはいえ、クラウディオはそんなことを微塵も気にすることはない。

 早くお茶を入れてよ、とニコニコとしている。

 

 憎たらしい――と思いながらも、ハジはバーナーとコッヘルでお湯を沸かし、お茶の準備を進める。

 

 いつものことだ。

 だが、風景だけがいつもと異なっている。


「いい場所じゃん」

「でしょ。先日、この先に救難活動レスキューで行ったんだけど、いい場所だなぁって」


 見れば、迷宮の奥に光が差している。

〈迷宮の夜明け〉と呼ばれる現象だ。

 どう言う仕組みで起きるのかはまだ解明されていないが、まるで地上にいる時のように、太陽が登るような姿を見せる現象だ。


 赤い光線がルーフの上の二人に届く。


 瘴気は薄い。

 クラウディオにとっては楽だが、ハジは瘴気がもう少し濃いほうが楽だったりする。


 はい、と手渡されたお茶を、クラウディオはありがと、と言って受け取り、それを啜る。

 熱を通しにくく、軽く丈夫な金属であるミスリル製のカップは、クラウディオの愛用の品だ。


「言ってた救難活動レスキューって、あの4日前にあったやつ?」

「そう」

「助かったの?」

「ダメだった。遺品は回収したけど、遺体は迷宮に食われてた」

「そう」


クラウディオは「これがその人の使ってたカム」と言って、腰に下げたプロテクションを見せる。

 クラウディオは新品のギアよりも、志半ばに死んでいった冒険者の遺したギアを好むきらいがある。

 

「ねぇハジ。前から聞きたかったんだけど」

「なに? クロ」

「両親を恨んでる?」


 クラウディオの言葉に、ハジは目を白黒させた。

 クラウディオが過去について語ることは珍しい。

 過去が嫌いだとか、後ろ暗いことがあるとか、そういうことではない。

 クラウディオは目の前にある岩壁と、そして未来しか見ていない。

 

 だから、きっとクラウディオなりにシチュエーションを選びたかったのかな、とハジは思った。


「ううん、まったく」

「そうなの?」

「うん。馬鹿な人たちだったんだなとは思うけど」

「ははっ」


 ハジの正直すぎる発言に、クラウディオは笑い声を漏らした。


「その馬鹿な人たちが迷宮で産んでくれたからこそ、僕はここにいるんだし。それに遺されてたノートを見て、ぼくのことを幸せにしたいって考えてくれてたことがわかったし」


 やり方は間違えてたけどね、とハジも笑う。


 ハジの両親が残したノートには、ハジの名前の由来だけでなく、いつか楽しいことをいっぱいしよう、などと両親の夢がたくさん書かれていたのだ。

 もはやそれは叶わない夢ではあるけれど、今この瞬間、ハジは自分を幸せだと感じている。

 

 それに、おかげでクラウディオに会えたんだしね、とは口に出さなかった。

 

「それにしても、今日はハジに助けられちゃったな」

「全くだよ。そんなでっかい手で、あんな狭いクラックの奥の植物採取をしようだなんて……」

「体が小さいと便利なこともあるね。筋力は足りないけど」

「いいんだよ、ぼくは救助隊員レスキューをするつもりはないんだし、体が軽いんだから筋力は大していらないよ」


 言い切るハジの言葉に、クラウディオは笑った。


「なら、あんまりでかくならないでくれよ? ハジが落ちた時に支えられなくなると困る」

「だったらあんなカロリーのお化けみたいな携行食をやめろ」


 ハジが唇を尖らせるのを見て、ますますクラウディオは笑った。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

「そだね。じゃあすぐ片付ける」

「朝までに帰れるかな」

「行けるんじゃない? それに休暇は今日までなんだから、早く帰らないと。きっとすぐにレスキューコールが鳴るに決まってるんだから」

「縁起でもない……」


 言い合いながら、二人は立ち上がると、ハーネスで自分達を連結した。

 

(了)

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