# 02

 数日後、オットーはクラウディオに一枚の書類を渡した。


 奴隷売買契約書。

 クラウディオの横で静かにグズる、火傷だらけの褐色の少年が、クラウディオの所有物になった瞬間だった。


 これで、この少年の生殺与奪はクラウディオの手に委ねられた。

 同時に、この少年に関するすべての責任をクラウディオが負うことになる。

 この時点で、クラウディオの財布の中はすっからかんだ。


「ありがとう、オットー」

「ふん……〈遥かなる地平〉に到達するのはお前が最初だと思っていたのに、残念だ」

「諦めたわけじゃないよ?」

「無理だ。俺たちの身体のピークはせいぜい30歳くらいが限界だ。その子が大人になる頃には、体力も判断力も下降線を辿ってる」

「それでもおれは行くよ。そのために生まれてきたんだから」


 だったら死にかけの子供を引き取ってる場合じゃないだろうに。

 しかしオットーはあえて口に出さなかった。

 そんなことはクラウディオ自身が一番よくわかっている。

 

 冒険者としては愚かかもしれないが、人としては尊敬できる。

 クラウディオは迷宮のことしか考えないバカだが、こうして人の命を大切に思う心が残っている。

 それがオットーには好ましかった。


「で、これからどうするつもりだ?」

「ギルドにフリー救難隊員レスキューとして登録するよ」

「……正気か? ますます深層が遠のくぞ?」

「そうでもないよ。抜き打ちテストみたいにいろんな階層へと向かうことになる。十分に訓練になるさ」

「そんなこと言って、高額なギャラが目当てだろ? なにせ、俺たちじゃそのガキに母乳を与えることすらできないからな」


 実際、この子供が生きていられるのは、クラウディオがなけなしの財産を叩いて雇った乳母のおかげだ。

 迷宮出産が下火な今、迷宮に来たがる女性は少ない。

 瘴気を浴びると、生殖能力が下がって健康な子供が産めなくなる――と考える女性が増え始めているのだ。


 これもまた似非科学の一つだ。

 そのような事実はない。

 

 故に、母乳ひとつ与えるにも、高額な費用がかかる。

 クラウディオはそれまで頑なに断ってきた救難作業レスキューを請け負うことに決めた。

 

 ギルドは諸手を挙げて歓迎するだろう――この小さな火傷だらけの子供が、優秀な救難隊員レスキューを連れてきてくれた、と。

 無理もない。

 クラウディオが救難作業レスキューに参加するだけで、冒険者たちの死亡率が確実に下がることは間違いないのだから。


「ところでオットー。この子の名前はガキじゃないよ」

「名前をつけたのか?」

「うん、と言ってもおれが付けたんじゃないけどね」

「ふぅん?」

「炎上した両親の傍にノートがあってさ。この子の名前も書いてあった」

「どんな名前だ?」

「『Haziiハジ』。シェルパ族の言葉で『小さい』とか『聖地に住まう者』って意味なんだって」


 ぴったりだよね、とクラウディオは笑う。

 オットーは呆れて思わず言った。


「迷宮は迷宮だ。聖地なんかじゃない」

「聖地さ。だって、俺たちの楽園は天空じゃなくて――地下にあるんだから」


 ▽

 

 ハジはスクスクと育った。

 迷宮で生まれた彼は、他の大人たちと違って瘴気をものともしない。

 手足が長く、ひょろりとしているが、しなやかで力強い肉体をしている。

 

 ハジを知る人間――クラウディオが協力を仰いだギルドの面々や冒険者たち、外からやってきた乳母たちも含めて、皆どこかモヤシを想起した。

 陽の光を浴びないからこんなにヒョロッとしているのかもしれない、と。

 

 周りに歳の近い子供がおらず、大人とばかり接していたせいで、ハジは随分と大人びた性格になってしまった。

 やや神経質なことを除けば、悪意が少なく善良で人懐こい性格をしているおかげで、冒険者たちにはやたらと可愛がられている。

 

 そもそも迷宮に頻繁に潜る冒険者たちは大抵傷だらけだ。

 指や耳を失った者も少なくない。

 だからハジの火傷など誰も気にしないし、本人も「これが自分」だと考えている。

 

 さらには、神経質なところのあるハジは、迷宮潜行以外のところではだらしないところのあるクラウディオの面倒をよく見るようになった。


 クラウディオが散らかす大量のギアの整理をし、潜行時には準備を手伝い、どこで覚えるのか食事まで用意するようになった。


 甲斐甲斐しく働くハジの姿を見て、荒くれ者の冒険者たちは「羨ましい」と指をくわえ、地上からやってきた乳母たちは「なんて愛らしいの」と胸をときめかせた。

 

 ただ、問題もあった。


 オットーが懸念していた通り、ハジにはある程度の瘴気が必要不可欠だったのだ。

 

 常にクラウディオと行動を共にするハジは、時には外界に出ることもある。

 外界に長く止まれば皮膚炎とひび割れで苦しむことになるらしいが、一日二日の滞在なら問題はない。

 直射日光は大敵だけれど、それも日傘を差していれば大きな問題はないからだ。

 ちょっと肌がピリピリするらしいが、その程度だ。

 日傘を刺して歩く褐色の少年はやたらと目を引くが、そんなことを気にするハジではない。

 

 ただ――浅層に長く止まることも難しくなってきた。

 瘴気が薄すぎるのだ。


 LC1――つまり、この迷宮の最初の階層レイヤーの最初の BCベースキャンプ 程度の深度では、外界と大して変わらない。


 そうなると、少しずつ深層へと居住区を移していく必要がある。

 

 深い階層の BCベースキャンプ で生活すれば問題はないとは言え、そもそも BCベースキャンプ は長期滞在するようにできていない。


 仕方なく、あまり有用でない安全地帯を探し、そこにテントを貼るなどして生活することが増えた。

 

 クラウディオにしてみれば、テント暮らしもまぁ悪くはない。

 瘴気の問題はともかくとして、不便だとすら考えていない。

 そもそもこの男は迷宮のことしか頭にない迷宮バカなのだ。

 

 しかし、当のハジにしてみればそれなりに負担が大きかった。

 育ち盛りの少年が、体を大きく動かすスペースもなく、人に会うのも一苦労とくれば、あまり生育に適しているとは言えないだろう。

 むしろ劣悪と言える。

 

 このままでは良くない。

 

 そこでクラウディオは考えた。

 いっそのこと、こちらに引き摺り込んでやればいい、と。

 

 ▽

 

 こうして、ハジはクラウディオと一緒に迷宮に潜るようになった。

 まだ若いからか、ハジは頭が柔らかく、クラウディオから教わるさまざま技術を乾いたスポンジのようにぐいぐいと吸い込んでいく。

 頭も良く、勘もいい。

 咄嗟の判断も的確だ。


 クラウディオと命綱で繋いでいるため、たまに滑落したとしてもクラウディオが食い止め、トラップを踏むようなこともない。


 なによりも、体が軽いことが幸いして、ハジの潜行速度はかなり速かった。

 

 これはいい、とクラウディオは思った。

 これはいい、とハジも思った。

 

 だが、もしも。

 もしも、ハジではなくクラウディオが滑落したら。

 

 その時はおそらく、繋がれたハジも同時に滑落し、二人して命を落とすだろう。


 ハジが落ちても、クラウディオはびくともしない。

 だが、クラウディオが死ぬ時には、ハジも死ぬ。

 

 クラウディオは思った。


 一蓮托生。

 だけど、それでいい。

 おれのソロ潜行についてこられる唯一の人材でもあるハジ。

 この少年を、おれのバディと認めよう、と。

 

 ハジも思った。

 

 一蓮托生。

 だけど、それでいい。

 このだらしのない迷宮屋は、ぼくが世話をしてやらないとすぐに死んでしまうだろう。

 この子供みたいな青年を、シェルパたるぼくが〈遥かなる地平〉まで連れて行ってやろう、と。

 

 こうして、クラウディオとハジという凸凹でこぼこパーティが生まれた。


 だが構いはしない。

 

 もしも凹凸おうとつが存在しなければ、迷宮では一歩だって奥へ進むことはできないのだから。

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