# 03

 ギルドで休憩を兼ねてエネルギーを補給し、体も温まったクラウディオは早速次の壁に取り付く準備を始める。

 

(うん)


 いざ、と分厚い氷壁にアイスアックスを突き立てた瞬間、後ろの方から「おーい」と声が聞こえてきた。

 見れば、ダン・ウィルソンが手を振りながら走ってくる。

 小太りで、腹が弾んでいる……あんな体型でよくこんなところまで潜ってこれたものだ。


「クラウディオー! ぜぇ、ぜぇ」

「……落ち着いて。どうした?」

「すまん。救難信号Dシグナルだ。さほど緊急じゃないんだが……」

「急ぎじゃないなら、ギルドのほうでやったほうが親切なんじゃないか? おれが行くと高くつく」

「わかってる。ただ、この吹雪だろう? LC1 からだとかなり時間がかかるし、せめて防寒着だけでも届けてやってくれないか。できれば格安で」

「そういうことなら構わない……なんならサービスで僕が背負おうか?」


 ギルドの救難隊員レスキューのフリをしてもいいよ、とクラウディオが言う。

 

「そんなこと言ったってお前、見るからにフリーだろ……」

「だからあくまで臨時。黙っときゃわかんないって」

「お前なぁ……」


 ダン・ウィルソンは呆れたように腰に手を当てるが、クラウディオにしてみれば防寒着だけ渡して「はいさようなら」というのも性に合わない。


「じゃあ、お茶のお礼ってことで」

「そうか……なら頼めるか?」

「うん。で、状況は?」

「怪我で立ち往生だ。症状を見るに肉離れみたいだな。安全は確保できてるみたいだし、特に緊急性はないが」

「本人にしてみたら、寒いし動けないしで大変だろ」

「まぁそうなんだが……」

「場所は?」

「北西ルート南壁、2900から2950Dデプスの間あたりらしいが、この吹雪だ。正確にはわからん」

「北西ルートか……」


 クラウディオは頭の中でルートを検索する。

 北端ルートだったら一石二鳥だったのに……と考えたところで、クラウディオはあることを思いついた。


 しばらく脳内マップで計算し、クラウディオは「うん」と頷いた。


「じゃあ、行ってくる」

「おぅ、気をつけて」


 クラウディオは先ほどのルートの隣の氷壁を見上げ、アイスアックスを振り下ろした。

 

 ▽


 瘴気が濃くなってくる。

 

 瘴気の正体が何なのかは長年熱心に研究されているが、現在のところ何もわかっていない。

 ただ、迷宮の深層の空気には目に見えない何かが混じっていることだけは間違いない。

 

 それは酸素の供給を妨げ、少しずつ肺や粘膜を焼き、特に濃くなると肌の色まで浅黒く焼いてしまう。

 地上の太陽による日焼けとは異なる、どこか浅黒く焼けた肌のことを、冒険者たちは迷宮焼け、あるいは深層焼けなどと称している。

 

 迷宮焼けは冒険者のほまれだ。

 だがあまり焼きすぎると皮膚がひび割れたりするし、瘴気は傷口も焼く。

 故に、クラウディオのように日常的に迷宮に潜る冒険者は、ミスリルを微粉末にしたものを軟膏と混ぜて肌に塗り、迷宮焼けを防いだりしている。


 そのミスリルも迷宮でしか手に入らないのだから、地上と迷宮がいかに違うことわりでできているかが解る。


 肺が焼けたように熱い。

 クラウディオは荷物の中から小さなボンベとマスクを取り出すと、口に当てた。

 これはオットーが咥えていたパイプを大きくしたようなものだ。

 ハーブから抽出した蒸気を圧縮して詰められており、それを少しずつ吸うことで肺へのダメージを軽減できる。

 

 それにしても、たった 3000Dデプスちょっとの階層だというのに、なかなかどうして厳しい潜行だ。

 やはり迷宮は階層レイヤー深度デプスだけでは語れない。

 

 だから難しい。

 そして面白い。


 クラウディオはボンベの中のガスを節約しながら、超人じみた速度で目的地へと急ぐ。

 

 ▽


「どうもお疲れさま、ギルドの救難隊員レスキューです」

「ああ、助かった……本当にどうしようかと思っていたよ」


 約半日の潜行の末、クラウディオは救難要請者の元へたどり着いた。


 見れば、今時珍しいオールドスタイルの冒険者だ――いや、これはもしかして学者だろうか?

 迷宮焼けもしていないし、装備にしてもずいぶんと年季が入っている……悪く言えば古臭い。


「とりあえず、ウェアをどうぞ。そんな格好じゃ寒いでしょう」

「肉離れを起こしてしまってね……歳には勝てないようだ……おっ! このウェアはずいぶんと暖かいね」

「今のウェアは性能がいいですから。失礼ですが、学者さんですか?」

「ギルドから聞いていないかい? 私はセントエクレール大の助教授でヒューズ・ロングランドという者だ。ここには厳冬期にしかみられない珍しい迷宮植物があって……おっと、これは?」

「ブランデー入りの暖かい薬茶です。先生、ボンベなしだと肺が焼けてるでしょ。この茶でかなり楽になると思いますよ」

「ブランデーは巡りを早くするために?」

「いや、単に美味いから」


 ははは、と笑って、ヒューズ・ロングランド助教授は渡されたお茶を啜った。


「確かに美味いね。味もそうだが、何よりも温度が美味い」

「温度が美味い、ですか。うまい表現ですね」

「こういった場所では、温度が一番のご馳走だよ」

「同感です。それで、先生の目的は果たしたんですか?」

「ああ。サンプルも採取したよ。もちろん自然のサイクルを壊さない程度にね」

「立派だなぁ……さて、そろそろ行けますか?」

「ああ、もう十分すぎるほど休んだよ。すまないが、よろしく頼む」


 クラウディオはシュルシュルとハーネスを引っ張り出すとヒューズ・ロングランド助教授に巻き付けていく。

 側から見ればロープだらけで訳がわからないが、クラウディオは慣れた手つきで怪我人を背中に背負うと、ロープにカシャンとカラビナを掛けた。

 ぶらーん、と幼子のようにぶら下がるヒューズ・ロングランド助教授に、クラウディオは苦笑しながら言った。


「先生、悪いんですがまだ動く手足を使って抱きついてください。重いんで」

「ああそうか、そりゃそうだ、悪かったね」

「首を絞めないようにだけ気をつけてくださいね。それじゃ、行きます」


 ヒューズ・ロングランド助教授の重さをまるで気にかけず、クラウディオはアイスアックスを氷壁に突き立てると、グイと体を持ち上げた。

 

 ▽


 氷壁を進みながら、クラウディオはなるべくヒューズ・ロングランド助教授と言葉を交わす。

 喋ると息切れが強くなってしまうが、背中で眠られてしまうと難易度が上がる。

 それに、クラウディオは無口な方だが、おしゃべりが嫌いなわけではないのだ。


「そうか、じゃあキミも深層植物を追ってここまで来たわけだ」

「ですね。ところで先生、アイスシュヴァンツってご存じですか? 実はおれ、まだ見たことがなくて」

「アイスシュヴァンツ……? ああ、東洋でよく見かけるあれか」

「そう、それが厳冬期の迷宮にも生息してるらしいんですよ」


 クラウディオの言葉にヒューズ・ロングランド助教授はわずかに首を傾げる。


「深層植物は瘴気の影響で地上とは全く異なる進化を遂げることもあるが、アイスシュヴァンツは夏草だぞ? 名前のせいで冬草と勘違いされがちだがね」

「そうなんですか?」

「まぁ、季節外れの例もなくはない」

「そうですか」


 クラウディオの潜行には一切の迷いがない。

 まるで自分の庭を歩くかのような、あるいは手を伸ばした先にどんな凹凸があるかを全て記憶しているかのような圧倒的速度だ。

 それはどこか魔法じみていて、ヒューズ・ロングランド助教授は「もしかして彼が手を伸ばした先に迷宮が気を利かせて凹凸を造っているのではないのか」とまで感じ始めている。


「ところでクラウディオ君」

「なんです?」

「……どうも、私が通った道とは違うようなのだが、本当に Cキャンプ3 に向かっているのかね?」

「いえ、向かっているのはCキャンプ3 じゃないですね」

「なんだと……?」

「実は自分、現在別の依頼を受けてまして。先生の遭難場所から直通できそうだったのでちょっと遠回りですが北端ルートと合流しました」

「……とんでもないことをする男だな、キミは」

「でも、先生も興味あるでしょ? 深層のアイスシュヴァンツ。それに遠回りしても Cキャンプ4 まで行けば距離は大して変わりませんよ」


 クラウディオは、自分が迷宮の隅から隅までを理解したがっているのと同じように、植物学者たるヒューズ・ロングランド助教授も未知の植物に興味があるに違いないと信じ、少しも疑っていない。


 ヒューズ・ロングランド助教授は苦笑する。


「確かにキミの言う通りだ。そこに未知の深層植物あるかもしれないのであれば、見ないわけにはいくまいよ」

「そうこなくちゃ」

「だが、せめて事前に言っておいてほしいものだがね」

「ごめん。ついワクワクしちゃって」

「責める気にはならないね。私も年甲斐もなくワクワクしている」

「でしょ」


 瘴気混じりの風が強く吹いているが、二人のばかたちには、もう深層のアイスシュヴァンツしか見えていない。

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