# 02

 地下にある迷宮は一見洞窟のようだが、間違いなく違う。

 それは地上とは別の次元にあるとも言われ、複雑にねじ曲がったルートも別の階層に干渉することは決してない。

 例えばある階層にどんなに高低差があろうと、上の階層とも下の階層とも一切交わらない――地図上は間違いなく重なっていても、階層が違うということは別世界なのである。

 

 さらには階層には天候がある。

 季節もあり、時には川や湖が現れたりもする。

 

 迷宮の天候は変わりやすい。

 深度デプスの深い階層レイヤーになると、スタート地点と最奥で大きく天候が変わることも珍しくない。

 

 風も激しく吹く。

 瘴気混じりの嵐や吹雪は、迷宮潜行者にとって最大の敵だ。

 

 それらの水や風がどこから来てどこへ行くのかは誰も知らない。

 迷宮内では、人間の常識などなんの役にも立たないのだ。

 

 ▽

 

(……しまったな、さっさと BCベースキャンプ まで進むべきだったか)


 予定よりかなり早い進行で余裕ぶっこいていたクラウディオは、突然の吹雪に吹き飛ばされそうになっている。

 今回は荷物を減らすためにポータレッジ――崖に設置するベッドのようなもの――は持ってきておらず、仕方なくクラウディオは強い風に煽られながら前進するしかなかった。

 何せ、いつ吹雪が止むかはわからないのだ。

 深層に順応しているクラウディオは嵐が止む前兆がある程度読めるが、今はまさに吹雪の真っ最中、なんの前兆もない。

 戻るか、留まるか、進むかの三択――クラウディオは前に進むことを選択した。

 

 まぁ、この程度の嵐ならどうということはない。

 もっとやばい階層はいくらでもある――と思ったところで、アイスレックスで叩いた氷が剥落する。

 クラウディオは一瞬ヒヤリとし、迷宮を甘く見たことを反省する。

 

 一歩一歩確実に。

 ベテランほど無茶なことはしないものだ。

 クラウディオは丁寧に氷を読み、露出した岩肌を掴み、アイスハーケンを打ち込んでは、ロープを掛けて安全を確保する。

 

 しばらく進むと、吹雪の合間から BCベースキャンプ が顔を覗かせる。


(目的地に着くまでが潜行、ってね)


 クラウディオは油断なく確実に進み、そして安全が確認された地面―― BCベースキャンプ に到着した。

 

(午前8時55分、Cキャンプ3 到着、と)


 ポケットにしまっておいた携帯バインダーに折り畳んだ状態で挟まれた潜行工程表に時刻を書き込む。

 あとはキャンプのギルド支部に提出すれば OK だ。

 

 クラウディオは「うん」と頷き、ザクザクと氷を踏みながらギルドのテントへと向かった。

 

 ▽


「えらく早いな、クラウディオ」


 潜行行程表を提出すると、それを見たギルド職員、ダン・ウィルソンが驚いた声を上げる。

 ダン・ウィルソンはこれまで何度かクラウディオと顔を合わせたことがある顔見知りだ。

 というよりは、古参の救護隊員レスキューでもあるクラウディオは、ギルド職員のほぼ全員と顔見知りである。


「初めから余裕のあるスケジュールだったから。むしろ予定通りかな」

「そうか。まぁ少し休め。茶はいるか?」

「うん、もらう」

「……そら」


 ストーブに置かれた薬缶から茶が注がれたカップを受け取り、クラウディオはそれを嬉しそうに啜る。


「あったまる」

「酒入れるか? いいブランデーがあるんだ」

「いや、やめとく。もうちょっとしたら進むつもりだから」

「え、この嵐だぞ? 少しは休んだらどうだ?」

「少しは休むよ。でも数時間したら出る」


 ダン・ウィルソンは呆れたようにクラウディオを見るが、そういえばこいつはそういう奴だったな、と思い直した。


「そういや、アイスシュヴァンツって植物は知ってる?」

「いや、記憶にないな。そんな迷宮植物があったか?」

「この階層で発見されたことがあるらしいんだけど」

「ちょっと待て、調べてやる」


 ダン・ウィルソンは戸棚を開けると分厚いファイルを取り出し、ペラペラとめくる。

 しばらくしてめくる手が止まった。


「あった、これか」

「おお……どこで見つかったかわかるか?」

「最奥らへんらしいな。北端ルートの 3112Dデプス だと」


 確かに L11 は 3191Dデプスが最奥なので、ほとんど最奥である。


「ふぅん、C3ここ がだいたい 2200Dデプス付近だから……あと 900Dデプスくらいか。今日中に往復は厳しいかな?」

「無理だろ。マラソンじゃねぇんだぞ」

「だよね、無理はしないでおく」

「そうしろ。なんか食うか?」


 ダン・ウィルソンは少しホッとしたように顔を緩ませる。


「いや。携行食持ってきてるからいい。熱い茶だけおかわりもらえるかな」

「いいぞ、ほら」

「……とと。サンキュー」


 マグカップになみなみ注がれたお茶をクラウディオは慌てて啜ると、ポケットから自作の携行食を取り出して齧った。


「……なんだそれ」

「小麦粉と粉ミルクと砂糖、あと大量の干し葡萄をラードで練って焼いて作った携行食」

「うまいのか……?」

「あんまり。でも不味くはないし、携行性やエネルギー吸収率は抜群」

「……それ、寒いところで食ったら心折れないか?」


 紫がかった浅黒いクッキーを不気味そうに遠巻きに眺めるダン・ウィルソンだが、クラウディオはまったく気にする様子はない。

 というか、クラウディオは放っておくと拠点でも同じものを食べる。

 食べ物の味に全くこだわりがないせいで、同居人ハジを怒らせたことも少なくない。

 しかし、どんなに寒くても硬くならず、強い甘味と酸味のおかげで唾液が大量に分泌され、飲み込みやすいこの携行食は、クラウディオのお気に入りだ。

 もちろん味ではなく、携行性とエネルギー吸収率という点で。

 

 クラウディオはもう30歳にもなるが、心は少年のままだ。

 心の中の1から100まで、全て迷宮で埋め尽くされている。

 同居人ハジは9歳だが、そんなクラウディオの面倒を見るうちに精神年齢が上がってしまい、ずいぶんと大人びた少年になってしまった。

 もはや、クラウディオのほうがよほど子供かもしれない。

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