ヒューズ・ロングランド助教授

# 01

「アイスシュヴァンツ……? 聞かない名だな」


 LC1 で依頼書を受け取ったクラウディオは首を傾げる。

 依頼内容はよくある植物採取――だがこんな名前の深層植物があっただろうか?


「東洋じゃよく見かける草だよ。道端によく生えてる」

「道端に? まるで雑草だな。迷宮で見つけるのは無理があるんじゃ?」

「それがそうでもないらしい――というか、目撃例がある」


 やりとりしているのはネゴシエイターのロブ・アンカー。

 かつては自身も迷宮に潜り、 Lレイヤー20 の 7150Dデプスまで到達するという偉業を果たした冒険者だ。


 高濃度の瘴気による呼吸障害で引退したが、それでもこうして迷宮絡みの仕事を続けている筋金入りの迷宮潜行者である。


「目撃例ねぇ……おれは見たことがないけど」

「俺もない。だが、 Lレイヤー11 の深層で少量だがサンプルが採取されたことがある」

「……そんなの見つからんだろ」

「見つからなくても、潜行証明書を提出すれば経費だけは落ちる。やってくれるか?」


 クラウディオは腕組みをして考える。

 

 今はほとんどの階層レイヤーが厳冬期に入る。

 ほとんどの冒険者が迷宮から離れ、地上で仕事をする時期だ。

 

 救難信号Dシグナルの数も減り、この頃は週に1度か2度、通信機器がベルを鳴らす程度だ。

 

 こうした閑散期になると、クラウディオは本来の姿――つまり、ただの一人の迷宮潜行者に戻る。

 高難易度の階層レイヤーにはアタックするには時間がかかる。

 できればこの時期を狙って、前人未到のルートにアタックしたい。


「……お前はあまり金に興味ないだろうが、ギャラはかなりいいぞ」

「そもそも目的は?」

「新しい試薬のためだそうだ」

「あれ、クライアントは製薬会社?」

「正確にはその下請けだな。詳しくは企業秘密らしいが、小児喘息の特効薬になるかもしれないそうだ」

「小児喘息……よく知らないけど、瘴気肺炎にも効くかな」

「さぁ……まだ試薬すら完成してないからわからんな」


 クラウディオは少し考えて「うん」と頷く。


「わかった。まぁ Lレイヤー11 なら3日もあればなんとかなるし、引き受けるよ」

「助かる。……ボーナスは必要か?」

「いつも世話になってるし、あんまり気を使う必要は……あ、そうだ。原麦粉と干し葡萄、あとラードを10キロずつ、安く卸してよ」

「……またあの携行食か」

「便利なんだよ」


 クラウディオはロブ・アンカーに渡されたペンで契約書にサラサラとサインする。

 分厚いグローブをはめた手で書いた割に美しいサインである。


「それじゃ、行ってくる」

「気をつけてな」

「うん」


 頭に嵌めたゴーグルを下ろし、クラウディオは立ち上がった。

 

 ▽

 

  Lレイヤー16 の拠点に戻ったクラウディオは、ハジが淹れたカフェイン入りの熱いお茶を啜りながら荷物のチェックを行う。

 潜行日程は2日を予定している。

 荷物も2日分、ただし潜行工程表には余裕を見て4日とした。

 

  Lレイヤー11 は 3000Dデプス級、中深度の階層となる。

 では余裕かと言うとそうではない。L11 は深度デプスに似合わない厳しいルートが多く、かなり難易度が高い階層とされている。

 8000Dデプスを超える大階層は別として、中深度の階層としては最難関、実際実力ある冒険者を数多く飲み込んできた凶悪な階層だ。

 

 さらには厳冬期の今、ほとんどの階層は凍りつき、専用の潜行用具を用意する必要がある。

 アイゼンやアイスアックスといった氷壁に取り付くための道具はもちろん、防寒着にも気を使わなければならない。

 さらには湯を沸かすための冬季用バーナーなども入れれば、荷物は必然、重くなってしまう。

 

 ずらりと並べられた先行道具を見たハジは、その内容に首を傾げる。

 ずいぶんな大荷物だ。


「今度はどこに潜るのさ」

Lレイヤー11。ハジも来る?」

「ん-、いいや。寒いし」

「そ。じゃあサクッと行ってくる」


 ハジは「死なないでね」と言ってヒラヒラと手を振る。

 クラウディオは「はは」と笑って、いつも通りの気易さで大荷物を担いで拠点を後にした。


 ▽

 

  Lレイヤー11 へはショートカットが見つかっていない。

 クラウディオは仕方なく Lレイヤー10 へのショートカットの後、順当に Lレイヤー11 の Cキャンプ1 へと移動し、本格的な潜行に備える。

 

 準備、完璧。

 体力、残り99.5%。

 体温、熱々のお湯を飲んで準備万端。

 気力、120%。


(うん)


 クラウディオは頷くと、氷壁にアイスアックスを突き立てた。

 

 ▽

 

(思ったより順調だな……このまま Cキャンプ3 に入っちゃうか)


 嵐が凪ぎ、瘴気も安定している。

 もともと一日かけて潜る予定が、半日でここまで来れてしまった。

 

 クラウディオは少し休憩しようと、氷壁にアイスハーケンを打ち込んでロープをかけ、体重を預ける。


 後ろに吊るした荷物を引き寄せ、中から冬季用バーナーを取り出す。

 冬季用バーナーはロープに吊るしたままお湯を沸かすことができる優れものだ。

 しばらくしてしゅんしゅんと蒸気が吹き出し始めると、クラウディオを火を止めて、お湯をゆっくりと啜った。

 

 寒い。

 そして暖かい。

 このコントラストは厳冬期にしか味わえない迷宮潜行者の特権だ。

 

 たった15メートルほど下には地面があるが、大量のトラップが設置されているだろう。


 もうかなり長い間、トラップを事前に察知する方法が模索されているが、今のところはなんの成果も得られていない。


 滑落した時、そこが安全な地面なのか、即死性のトラップなのかは完全な運だ。


 今、ハンモックがわりに体重を預けているロープは、文字通りクラウディオの命綱なのである。


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