# 03
テントから出るとパイプを咥えたオットーが待っていた。
パイプと言ってもタバコではなく瘴気避けの小型ボンベだ。
いくつかのハーブを組み合わせた蒸気を吸うと、肺に溜まった瘴気を無害化できると信じられている。
オットーはつまらなそうにフンと鼻を鳴らし、どこか責めるような口調でクラウディオに文句を言った。
「また勝手なことを……ギルド長に叱られるぞ」
「うん。まぁね」
クラウディオは軽く肩をすくめる。
クラウディオが勝手に費用を月賦にするのはこれが初めてではない。
「迷宮で稼いだ金しか受け取らない」という条件付きとはいえ、本来ならクラウディオの権限では勝手な分割や値引きは認められない。
それが特例として黙認されているのは、クラウディオがギルドにとって非常に貴重な人材だからだ。
フリーの
中でもクラウディオはどんなに難しい依頼でも二つ返事で引き受け、断るということをしない。
それがギルドがクラウディオを重用する理由であり、高額な費用が約束されている所以でもある。
「どうせ月賦を払い終えずに死ぬぞ?」
「わからないよ? レベルが10そこそこで
「……もう二十年近くも前の話だろ、忘れろよ」
オットーが嫌そうに眉根を寄せた。
もうかなりの昔だが、クラウディオに助けられたのがオットーだからだ。
「そんなだから新品のプロテクションを買う金もないんだよ」
「金ならあるよ、これは死んだ冒険者の遺留品」
「おい、それは犯罪……いや、許可をもらってたんだっけかお前。……悪趣味な」
通常、死んだ冒険者から装備を剥ぎ取るのは重罪だ。
でなければ、迷宮内に装備狙いの犯罪が多発するからだ。
故に冒険者は自分の装備にナンバーを刻印し、ギルドに登録している。
他人の刻印が入った装備を使っているところを目撃されれば、即座に潜行資格を剥奪されるだけでなく、すぐに逮捕され、殺人の嫌疑がかけられる。
迷宮では殺人の証拠隠滅が非常に簡単だからだ。
迷宮は「疑わしきは罰せよ」の原則で管理されているのだ。
しかしクラウディオはギルドから特例として、死んだ冒険者の装備を使うことを正式に許可されている。
決して金がないわけではないクラウディオだが、見ればほとんどの装備が中古品だ。
クラウディオは嘯く。
「死んでいった冒険者の魂を引き継いでるんだよ。命を預けるプロテクションなんだ、新品よりも魂がこもってるやつの方がいい」
「いつか落ちて死ぬぞ?」
「落ちないし死なないよ、ちゃんとメンテしてるから」
さて、とクラウディオは一つ伸びをして「そろそろ行く」と言って歩き出す。
「じゃあまたね、オットー」
「ああ。ハジによろしく」
「伝えておくよ」
そう言ってクラウディオはウェアの前を閉め、腰のハーネスとロープを連結すると
▽
特徴としては「瘴気が薄いため、凪のタイミングならレベルの高くない冒険者でも潜れる穏やかな階層」といったところか。
しかしそれはあくまで低深度での話だ。
迷宮には
基本的には下の
6000
さらに 8000
こうした大階層にもなると、かなり小刻みに安全地帯――
それでも
だがそこに居住するとなると話は別だ。
比較的穏やかとはいえ、それでも深層は瘴気が濃い。
瘴気は呼吸を妨げ、皮膚や肺を焼く。
ある程度迷宮順応が進んで耐性を手に入れた冒険者でも、ずっと深層に居続けるというのは明らかに異常なのである。
クラウディオは
「うん、今
がちゃん、と通信機器を戻し、クラウディオは迷宮の奥を眺める。
複数あるルートが口を開けているが、目標はメインルートだ。
「うん」
クラウディオは一つ頷くと、事前に自身が設置したロープと腰のハーネスを接続し、壁に取り付くと、慣れた足取りで壁を移動し始める。
もし今ここに迷宮探索に訪れた冒険者がいたとすれば、きっとその速さに舌を巻くだろう。
「まるで壁を走っているようだ」――と、一度でもクラウディオの潜行を見たことのある冒険者は口を揃えて言う。
それほどまでにクラウディオの潜行は速く、正確だ。
その姿はすでに
ロープも回収された今、もはや本当にそこに人がいたのかさえ信じることは難しく思われた。
▽
その拠点は
煉瓦を積み上げただけの粗末で小さな建物だが、この辺りに建築物があるというだけで奇跡的なことだ。
なにせ、ここまで資材を運ぶこと自体が並大抵のことではないのだ。
クラウディオはノックもせずに扉を開けると、瘴気の嵐が吹き込む前に扉を閉め、ドサドサと荷物を下ろす。
重さは 20kg 近くはあるだろうか。腰のベルトに大量にぶら下がるプロテクション類を含めれば、それ以上にあるかもしれない。
クラウディオがキッチンに向かって調理中の人物に声をかける。
「ただいま、ハジ」
「おかえり、
返事をしたのは9歳の少年、ハジだ。
シェルパ族の血が混じっているらしく、肌は浅黒い。
特徴的なのは、顔の左側と左半身の広い範囲に白い火傷の痕がある――かなり大きな傷跡だ。
青白い瞳だが、左側はほとんど白――視力はほとんど残っていない。
手足が長く、かなりの細身――こんな場所で生活しているからだろうか、あまり健康的な見た目ではない。
肌の色と近い薄茶の髪は短めに刈られているが、シェルパ族の慣習に倣い、もみあげあたりだけ長く伸ばしている。
ハジは
「今日は
「あったよ。1件」
「助かったの?」
「うん」
言いながらクラウディオは裸になり、濡れタオルで体を拭き始める。
この水は深層では珍しい湧水から採取した貴重なものだ。
この湧水があるからこそ、こんな辺鄙なところに拠点を作ったと言ってもいい。
「オットーがハジによろしくってさ」
「ふぅん」
体を拭き終わり、新しい服に着替えると、クラウディオはベッドに横になって「はー」と息を吐いた。
「ちょっとクロ、まだ食事食べてないだろ。寝ないでよ」
「ごめん、ちょっと仮眠」
「もー……なんなのさ」
ハジは少し機嫌を悪くし、それでも文句は言わずに一人分の食事を盛り付け始める。
どうせクラウディオはこのまま爆睡するのだ。食事を皿に盛ったところでカピカピに乾くまで口にしないのだから、鍋の中に置いておくのが正解だ。
ハジは少しだけ膨れ面で、いびきを掻き始めたクラウディオを横目に眺めつつ独りの食事を開始した。
▽
ジリリリリリ。
クラウディオの枕元近くに置かれた通信機器がベルの音を響かせると、今まさに夢の中で美女とキスをすることろだったクラウディオは飛び起きた。
「……ふぁい、こちらクラウディオ……」
『クラウディオ。こちらギルド。
緊急性の高いメッセージだが、クラウディオはあくびで忙しい。
そのことがわかっているのか、ギルド側は黙って待っている。
数十秒たち、異様に長いあくびを終えたクラウディオは、気負う様子もなくいつも通りの口調でようやく返答する。
「……状況は?」
『道迷いだ。規定ルートから離れてしまい、現在位置がわからなくなった。
「ビーコンは?」
『持っている。ただ、もう二日も何も食べてないらしい』
「それじゃ腹ぺこだな」
クラウディオは、自分もまだ飯食べていないことを思い出す。
猛烈に腹が減っていた。
「了解。何も起こらなければ約2時間後に到着する」
『感謝する。通信終了』
「通信終了」
喋りながらも、この時点でクラウディオはすでに潜行道具の準備と着替えを済ませていた。
迷宮に住まう者に無駄な時間などないのだ。
「ハジ、聞いてた? 遭難だってさ。携行食と水を2人分お願い」
「2人分じゃなく、3人分でよければ」
ハジの返答に「はは」とクラウディオは笑って、
「じゃあ、3人分」
「わかった」
どうせこうなることがわかっていたハジは、すでに用意していた3人分の携行食と水をポーチに詰め込み、クラウディオに放り投げる。
受け取ったクラウディオはそれを腰にサッと巻きつけ、
「行ってくる」
と言って拠点を飛び出していった。
残されたハジは少し肩をすくめ、聞こえるはずもないが「いってらっしゃい」とつぶやき、さっさと自分のベッドに潜り込んだ。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます