# 02

「お疲れ、クラウディオ」

「ああ」


 クラウディオ、と呼ばれた青年が、白衣を着た男の投げた小瓶を受け取った。

  

 ここは LC1 と呼ばれる迷宮の入り口付近に設置されたベースキャンプだ。

 主に救難信号Dシグナルを受けて救助された冒険者の応急措置を行う、言わば前線基地といえる場所だ。

 

 救護テントの中では、今まさにクラウディオが救助したベテラン冒険者、コランドル・オーカーの治療が懸命に行われている。


「オットー。あのおっさんは治りそうか?」

「問題ない。救助が早かったし、傷口の瘴気焼けも微々たるものだ」

「そうか。じゃあまだ潜れそうだな」


 瓶の口を開けて中身を呷るクラウディオ。

 しかしオットーと呼ばれた白衣の青年は肩をすくめる。


「こんな目に遭ってまだ潜ろうってやつは正気じゃない」

「正気なら冒険者なんかやらんだろ」


 そう言うクラウディオは静かな笑みを浮かべている。

 そんなクラウディオを、オットーはどこか呆れた顔で眺めている。

 

 ▽

 

 クラウディオは迷宮潜行を専門とするフリーの冒険者だ。


 歳は30程で、どこか達観した落ち着いた雰囲気の青年である。

 遠くを見るような瞳の色ははしばみ色、毛はかなり濃い茶色。

 全体的に穏やかな雰囲気の青年だが、体はかなりがっしりとしており、非常に安定感がある。

 優秀な冒険者にありがちなことだが、背はあまり高くない。

 いかにも迷宮潜行者らしい装いで、腰には大量の迷宮潜行器具ギアと短剣がぶら下がっている。


 今はパーカを脱いで、逞しい首と肩が風に晒されている。

 

「今日も Lレイヤー16 まで戻るのか?」

「そりゃね」


 対するオットーは細身の青年だ。


 迷宮医師を示す黒い十字マークの入ったコートのような白衣に身を包み、狐のように鋭い目に度付きの防護眼鏡をかけている。

 酷薄そうな顔をしているが、地顔である。

 本人は「ゴーグルを被っちまえば顔なんぞ見えん」と言って気にもかけないが、見るものを不安にさせるこの顔は、地上の医師なら致命的な欠点となるだろう。


 ▽


 オットーの言う L16 とは Layer 16 の略、つまり迷宮の第16階層のことだ。

 L16 の難易度は中の上といったあたりか。

 

 迷宮に長く留まると、体がどんどん瘴気に蝕まれて弱っていく。

 故に、一般的な潜行なら長くとも20日程度、できれば10日以内にすませ、迷宮から立ち去るのがセオリーだ。

 

 しかし、長く冒険者を続けていると、少しずつ体が瘴気に順応していく。

 そうなれば、浅い階層レイヤーならば長期間滞在しても問題はなくなる。

 極端な話、世界には迷宮内で生活するような民族まで存在する。

 

 ただし、そうした生き方を選んだ者は一生涯、迷宮から離れては生きていけない。

 深層に順応するほど長く瘴気に晒され続けた人間は、もはや太陽の恵みを得ることができないのだ。

 

 そんな中、クラウディオは Lレイヤー16 の Cキャンプ4 付近――6つある BCベースキャンプのうち、人間が生存し続けられるほとんどギリギリの領域に生活拠点を置いている。

 

 言うまでもなく、正気の沙汰ではない。

 

 だが、深層とも言える領域に救助隊員レスキューが常駐しているというのは、ギルドにとっては非常にありがたい話だ。

 なにしろ、深層へ向かうのは優れた冒険者ばかりだ。

 ギルドにしてみれば、優れた冒険者が命を落とす事態はできるだけ避けたい。

 しかし、救難信号を受け取ってから拠点から急行しても、間に合わないことが多いのだ。

 

 対して、クラウディオに依頼した場合の生存率は実に七割を超える。

 低層からの救護レスキューの三倍近い数値だ。

 

 ただし、フリーの救助隊員レスキューの費用は非常に高価たかい。

 原因はクラウディオでななく、ギルドの規則にある。

 法外とも言える高額な設定は、気軽に深層に潜る馬鹿を少しでも減らすためのものだ。

 

 それでも自らの実力を過信し、無理に潜行を強行して命を落とす冒険者は後を立たない。

 将来有望な冒険者ほど、自らの実力を過信して無茶をし、そしてあっさりと死んでいく。

 ギルドにとっては頭痛の種である。

 

 そんな中、今回助けられたコランドル・オーカーはかなりマシな部類だ。

 フィジカルもテクニックもメンタルも、鍛えられるだけ鍛えてある。

 経験も豊富で、準備も入念だった。

 Lレイヤー16は難関だが、決して不可能ではない――しかし、レベルは14ということなので、本来ならばシェルパ案内人を雇うべきだった。


 そしてそんな優秀な冒険者コランドル・オーカーが死にかけるような領域、Lレイヤー16を生活拠点に選んだクラウディオ。


 繰り返しになるが、正気の沙汰ではない。

 

 ▽

 

 コランドル・オーカーは一命を取り留めた。

 そればかりか、高額な救助レスキュー費用に含まれる高度な迷宮医療を受けたことで、欠損された左足までほとんど元通りだ。

 少なくとも、フィジカル面では冒険者として再スタートすることに支障はない。

 

 だが、体がいくら無事でも、冒険者を続けるためには、ほかに二つの障壁をクリアしなければならない。

 

 一つは精神面。

 もう一つは金銭面だ。

 

 精神面については言うまでもない。


 一度でも滑落し、命を危険に晒した者が心を負ってしまうのは珍しいことではない。

 迷宮のトラップはどんな手段を講じようと、事前に感知することはできない。

 どんなに屈強な冒険者でも、極限状態にあると簡単に命を落とす。

 故に、一度滑落を経験した冒険者が迷宮に戻るというのは、並大抵のことではないのだ。

 

 金銭面もまた無視できない問題だ。


 なにしろ、どの階層でも深く潜ろうとすれば、装備代だけでもかなりの費用がかかる。

 装備費をケチれば死に直結する。

 伊達や酔狂で続けられるようなものではないのだ。

 本来なら、しっかりしたスポンサーをつけてアタックするのが当たり前であるし、個人で潜る場合なら普通はシェルパを雇う。


 それだけ単独行は危険な行為なのだ。

 

 ▽

 

「二千万ハリム?!」


 治療が終わったコランドル・オーカーは請求書を見て真っ青になる。

 二千万ハリム――この世界の平均年収がせいぜい五百万ハリムであることを考えると、明らかに法外な金額に思えた。


「す、救われたことには感謝しているッ! だが、少し……いやかなり法外なのではないかッ!?」


 コランドル・オーカーの絞り出すような声に、近くに居たギルド職員は少しも動じることなく、冷静な声でいつも通りの返答をする。


「ギルドの救助隊レスキューLレイヤー16 に向かう場合、おそらくは4人体制フォー・マンセルになります。それだと半額ほどで済みましたね」

「なら、なぜッツ!」

「ただしその場合、出動が Lレイヤー10 Cキャンプ1 からになるため、どんなに早くても三〜四倍の時間がかかります。その場合あなたは間違いなく死んでいた」

「それは……そうだが……ッ!」

「あなたの遭難した Lレイヤー16にほかの冒険者がいたのは、ほとんど奇跡みたいなものです」


「命の値段として二千万は法外ですか?」というギルド職員の言葉に、コランドル・オーカーは脂汗を流す。


「支払いは救助隊員レスキュー本人に行ってください。ああ、ちなみにきちんと支払われなかった場合は潜行資格が剥奪され、ギルドが直接徴収することになりますのでご注意を」

「ぐっ……!!」


 迷宮は、コランドル・オーカーにとって人生の全てだ。

 これまでいくつもの階層の最深域まで潜行し、数多くの記録を残してきた。

 今更迷宮から離れて生きるなどできるわけがない……。


「はい、ごめんよ」


 そこにクラウディオが救護テントを潜って入ってきた。

 そのままキョトンとするコランドル・オーカーの肩や背中をパシパシと叩き、うん、と頷いた。


「うん。問題はないみたいだね」

「あなたは?」

「あなたを救助した救助隊員レスキュー


 クラウディオは「あなたを」のところでコランドル・オーカーを指差し、「救助隊員レスキュー」のところで自分を指差した。


「あなたが……いや、おかげで命拾いした。感謝する」

「うん。いいよ、無事でよかった」

「私はコランドル・オーカーという。良かったら名前を聞かせてもらっていいだろうか」

「よろしく、コランドル・オーカー。おれはクラウディオ。姓はない」

「よろしく……それで、その……不躾な質問で悪いんだが……救護費用が二千万ハリムというのは本当なのだろうか」


 コランドル・オーカーにしてみれば、目の前の青年が自分と比較してそれほど腕の良い潜行者には見えない。

 ミスをしたのは自業自得とはいえ、流石に年収の4倍というのは高価たか過ぎるとしか思えなかった。

 しかしクラウディオは特に反応も示さず「うん、そうらしいね」と答える。


「らしい、というのは……」

「金額、おれが決めてるわけじゃないから」

「そうなのか?!」

「そういうのはギルドが決めてるんだよ。でないと勝手な金額でやり始める奴が出てきて、死亡率が上がったりするし」

「そ、そうなのか……」


 コランドル・オーカーはガバッと頭を下げた。

 額には脂汗が浮いている――そして喉から搾り出すような声で言った。


「ギルドから、費用はあなたに直接支払うように言われた……支払いが滞ると潜行資格を失うとも……!」

「うん。そうらしいね」

「だが、私にはそんな大金はとてもすぐには用意できないっ! どうか、どうか支払いを負けてもらえないだろうか!」


 頭を下げるコランドル・オーカーを、近くにいたギルド職員たちがやや冷たい目で眺める。

 

 金がなければ借りればいいだけだ。

 中層あたりで死ぬ気で活動すれば、返済が滞ることもないだろう。

 つまり、この男の言っていることはただの我儘に過ぎない。

 

 クラウディオは平素な声で答える。


「負けるのは無理だ。ギルドに叱られる」

「そ、そうか……」

「でも、月賦ならどうかな。利子なし、期限なし、催促なしのある時払いでいい」


 どうかな? というクラウディオの提案に、コランドル・オーカーは喜色満面の笑顔で叫んだ。


「それは本当か?!」

「うん。ただし条件がある」

「条件? 何だ! 言ってくれ!」

。もし別の仕事で稼ぐつもりなら……」

「願ってもないッ!!」


 コランドル・オーカーは歓喜の雄叫びを上げた。


「俺の目的はただ一つ! 迷宮深層の最奥を目指すことだッ! それ以外のことはどうだっていい! 貴殿の出した条件は、私にとって何の障害でもない!」

「うん。そうか。そりゃよかった」


 クラウディオはニッと笑って立ち上がる。


「じゃ、その条件で。ギルドの方にはおれから伝えとくよ」

「ありがとうッ! 心から感謝する! 俺にできることがあれば何でも言ってくれ、無条件で手伝わせてもらおう!」

「うん、何かあったら頼むよ」


 そう言って、クラウディオは振り向きもせずにテントを出ていく。

 どうやら本当に救助した男の無事を確かめたかっただけらしい。

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