第34話 夢でもいいから逢いたい
神事の翌日、松里さんは少し出かけてくると言って、どこかへ行ってしまった。
高天原を探ってくるとかなんとか言い残していったので、その言葉を手掛かりに少し検索して調べてみる。
高天原というのは神様の国みたいなことのようだった。
ということは、出雲に調べに行ったのかな。
私には出雲のことはよく分からないのだけど。
ただ私に汐の行方について、出来ることは何もない事だけは確かだった。
それは松里さんたち、神様にお任せするしかない。
そして今の私にできる事は、いつものように過ごすこと。
いつも以上に仕事を頑張って、汐が帰ってきたときに備えるんだ。
仕事も、お正月の準備も、丁寧に念入りに。
十二月に入り年の瀬が迫ってくると、神社のバイトは加速度的に忙しくなっていく。
大掃除には村の人たちも来てくれたおかげで助かったけれど、蓮川さんと私だけだったら大変なことになっただろうな。
そしてとうとう事態に何の進展もないまま、十二月の最後の日曜日になった。
松里さんは、あれきり戻ってきていない。
スマホを持っているから連絡してみようかと思ったりもするのだけど、うるさく催促しているみたいで、それも憚られた。
何か分かれば知らせてくれるだろうし。
連絡がないということは、進展していないということなのだろう。
その最後の休日、私は自宅の大掃除をして過ごしていた。
一年のホコリを払っていると色々なことが思い出されて、つい手が止まる。
そういう自分が、ちょっと可笑しい。
去年の今頃は、ここでこんな風に暮らしている自分を想像もできなかった。
就職できなくて焦って焦って、ひどく追い詰められていて。
お正月どころの騒ぎじゃなかった。
今年は今年で大変だけど、今は傍に居てくれる人がたくさんいる。
……そして、汐。
汐さえいてくれれば、後はもう何もいらないのに。
土地神様のいないまま、年を越すのだろうかと考えると憂鬱になる。
こぼれた溜息に、いかんいかんと自分を叱咤する。
身体を動かしている間は少しは気がまぎれるけど、気づくと手が止まって汐のことを考えていた。
だめだなあ、と自分に呆れる。
「里ちゃん、少し休憩して御茶にせんかね?」
そう言って三重子さんが、顔を出してくれた。
時計を見ると、ちょうど午後の三時だ。
「でもまだ、片付いてないから……」
「うちに来て、何かつまむとええんじゃよ。里ちゃん、このところ忙しくしすぎじゃないかね」
「……じゃあ、少しお邪魔します」
「栗きんとんが出来たんじゃよ、味見しておくれ」
「もうすっかり準備終わったんですか」
きんとん。三重子さんのことだから、きっと美味しくできたんだろうな。
「後は大晦日にそばを食べる準備くらいかね」
「さすが」
三重子さんのお家までを一緒に歩きながら、私は少しホッとしていた。
三重子さんは変わらない。
変わらず、それでいてこんな風に気遣ってくれる。
とてもありがたくて、穏やかな気持ちになれる。
汐がいなくて、松里さんがいなくて、そんな不安な気持ちを抱えていても、こうして何とか立っていられるのは三重子さんの御蔭だ。
「里ちゃん、きちんと寝てるかい?なんだか、顔色も良くないけど」
「食欲はあるんですけどね……どんな時も。でも、寝不足はそうかも」
「大晦日は、徹夜じゃろ?」
「年が明けたらすぐ、初詣の人とか来られますからね。ちょっと無理してでも頑張らないと」
「無理はいかんよ」
三重子さんはひどく真剣な顔で、そう言う。
夏に自分が倒れたことで、すごく敏感になっているのだと言っていた。
誰でも病気にはなる。
だから無理しちゃだめだと。
「御茶のんだら、少しだけ横にならんかね」
「ええー、牛にならない?」
「里ちゃんなら、可愛い牛になるよ」
「そこは、牛にならないくらいスマートって言ってくれないの」
言うと、さて、と笑ってごまかされてしまった。
うう、どんな時も食欲だけは衰えない自分が恨めしい。
だけど現金なもので、三重子さんのお家で御茶を飲んだら、本当にうつらうつらしてしまった。
寝不足なのは自覚があったけど、よその家で寝落ちてしまいたくなるほどだったろうか。
ものすごく強烈な眠気。
今にも、夢の世界に引きずり込まれそうな。
いいよいいよと言って、背中をさすってくれる三重子さんに甘えて、私は炬燵で横にならせてもらう。
少し。本当に少しだけ。
そう念じながら瞼を閉じた。
──そして、奇妙な夢を見たのだ。
◇
夢の中で、私は白い闇の中を歩いていた。
足元さえまともに見えない程、濃くて白い靄。
なのに私は、まるで迷うことなく歩いていく。
この先に何があるのか、知っているから。
やがて白い闇の向こうに、ぽつりと黒い染みみたいなものが見える。
私はそれを目指して、足を急がせる。
はやく、はやく──。
急がないと、いなくなってしまう。
ここから?
ううん、この世から。
だから急いで。もつれるような足で、それでも私は走る。
はやく、はやく、はやく……助けなくちゃ。
黒い染みは近づくと、小さな黒い子猫なのだと分かった。
黒い子猫……。
尻尾は一本だし、そもそも子猫はうまれたてくらい小さかった。
だけど、私は苦しいほどに切ない気持ちで、駆け寄る。
だってなぜだか分かるんだ。
……ああ、汐だ。これは、汐だ。
やっと、会えた。
こんなところにいたんだね。
おかえり。おかえりなさい……。
泣き出したいような思いで、私は子猫を抱き上げた。
子猫の小さな手足は冷たい。
ぴくりとも、動かない。
どうしよう。どうしてあげたらいいの。
だけど抱きしめたら、温かくなった。
それが嬉しくて、私は泣きながら笑う。
汐──もう、大丈夫。
◇
夢からの覚醒は、突然だった。
強く肩を揺さぶられて、私はハッと瞳を見開く。
すぐ近くに、松里さんと三重子さんの顔があって私は瞬きをした。
え、なに、どういうこと。
寝すぎて起こされた?
訳が分からなくて、ぼんやりとしていると松里さんが怖い顔をして私の肩を揺さぶった。
「里ちゃん、しっかりして。起きてる?汐が……」
汐が。
その名前に、私は確信を持って言った。
「……汐が、帰ってきたんでしょう?」
私が言うと、松里さんは大きく目を見開いてから、ゆっくりと首を横に振った。
あれ、そういえば松里さんはいつ帰ってきたのだろう。
私、寝ぼけてるんだろうか。
「ちがうの、里ちゃん。汐が帰って来たんじゃ……」
「でも、私、呼ばれました」
松里さんの言葉を遮って、言い張る。
あの夢。ひどくはっきりと確信している自分が不思議だった。
汐に呼ばれたんだ、私。
あの夢の、あの場所に。
松里さんは、まだ怖い顔をしている。
三重子さんはわけがわからないみたいで、ただきょとんとしていた。
「呼ばれたって……汐に?ありえない……」
「あ、でも……いつもの汐じゃなかったです。黒猫なのは同じだけど、子猫で……尻尾も一本しかなかった」
「子猫……普通の尻尾の……」
私が夢のおぼろな記憶を口にすると、松里さんは大きく息を吸ってから、限界まで吐きだした。
そうして、がっくり項垂れる。
「ど、どうしたんですか、松里さん……」
「うん、間違ってない。高天原で聞いた通りだわ」
松里さんはそう言うと、もう一度大きくため息をつく。
それから三重子さんを振り返った。
「ごめえん、三重子さん。お茶淹れてくれない?ここまで走りっぱなしで喉がカラカラなのよ、アタシ」
松里さんがいつものように遠慮なく言うと、三重子さんは私たちに何も訊かず、はいはいと笑った。
訳が分かんなかっただろうに何も聞かないの、すごいと思う。
私なら余計なことまで問い詰めちゃうなあ。
もしかしたら三重子さんは、何もかもお見通しなのかもしれないって時々思うけど。
三重子さんがお茶を淹れに行った隙に、松里さんが小声でささやく。
「もしかして、その夢の中で交感した?」
「あ……はい。そうかも。だけど、月齢がどうとか言ってなかったですか。交感するのに必要なことだって」
「その夢、たぶん神域だから出来たんだと思うわ。前に、お祭りやったでしょ。ああいうとこ」
ああ、あの時の。
氏康さんに初めてあった時の夢。
あれが神域っていうのか。
「あっちはこちらの世界と違って、私たちの力にあんまり制限がかからないから。にしても……」
松里さんが、じろりと私を見る。
なんだかすごく恨みがましい目つきで、私はちょっとたじろいだ。
なんだなんだ。何か恨まれるようなことしたっけ。
「あんたたちは、ほんっと人騒がせよね」
えええ、たちってことは汐と私?
汐だけじゃなくて?
騒がせた心当たりがなくて、私は首をひねる。
すると松里さんに、ぴんとおでこを弾かれた。
……痛い。ちょっと涙目になる。
「ま、いいわ。──なら、あいつ、帰って来るのね」
笑ってそう言う松里さんは、もう怖い顔はしていなかった。
晴れ晴れとした表情に、私も頷く。
汐──なぜだか今、私は汐と繋がっている気がしてる。
だから、手に取るように、わかるんだ。
あの小さな猫が、私のいるところへ駆けてくるのが。
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