第32話 神様たちのいなかった十月



 やってきた十月に、神様たちは皆それぞれに出雲へと旅立っていった。

一緒に行くものかと思っていたのだけど、松里さんには修学旅行じゃあるまいしと笑われた。

人間なら行先が同じなら一緒に行こうかってなるものだと思うんだけどな。

神様たちは群れないものらしい。

出雲へ行くのも仕事のようなものだからということだった。

ばらばらに、だけど一斉に彼らは行ってしまった。


 汐は少しだけ何か言いたそうにしていたけれど、結局は行ってきますとだけ言い置いて、行ってしまった。

もっと話しておきたかったけれど、慌ただしい旅立ちに何か特別なことができたわけではない。

お弁当を作って渡せたのが、せめてもの見送りだった。

三人分作って、それぞれに渡したのだけど。

気付いたら汐の好物ばかり作っていて、自分に呆れてしまった。


 そうして神様たちは、出かけていった。

それで何か私たち人の生活に変わりがあるわけではない。

日常は切れ目なく続く。

私は毎日、巫女のバイトにいそしんで、三重子さんは冬の支度に忙しい。

東京にいた頃にはハロウィンやクリスマス商戦がはじまって、街にはジングルベルが鳴り響いていたけど。

この里だとやっぱりメインは、もひとつ先のお正月だ。


 豪雪地帯というわけでもない村だけど、やっぱり近くのお店は年末年始に長くお休みするらしい。

となると、御籠りする準備が必要になるわけである。


 実家からは帰ってこないのかと訊かれたけど、お正月の神社って掻き入れ時というやつだと思う。

バイトの巫女がいないのは困るだろうなと思うと、とてもじゃないけど帰る予定は立てられなかった。


 ……いや、白状してしまおう。

私は帰りたくなかった。ここに居たかった。

お正月、家族で過ごすのはもちろん楽しいだろうと思う。

天使のような甥っ子にも、会いたい。

だけど三重子さんや汐や松里さん、氏康さん、村の皆と過ごすお正月も、きっと楽しい。

この土地を離れがたいと、私自身が思っていた。


「里ちゃん、おせちはどうするの」


 三重子さんに訊かれて、まだ十月なのに随分と気が早いなと思って私は笑う。

いつものように、バイトに行く前に立ち寄った時のことだった。


「レトルトとか冷凍のものでもたせようかなって思ってるけど、足りないかな?」


「なんなら、一緒に作るかい?少しずつ用意して、作り方を覚えるといいんじゃよ」


「え、三重子さんが教えてくれるの?」


 作ったら、汐は喜んでくれるだろうか。

今は遠い彼のことを考えて、私は少し胸苦しくなる。

当たり前だけど、何の連絡もないし今はどの辺りにいるのかとか全く分からない。

帰ってくるのは十一月になってからのことだろう。

そしたら、忙しい師走になるだろう。


「……教えてもらえるなら、作ってみようかな」


「お餅つきもするじゃろう?集会所で、皆の家の分もしてくれるから。あんこの炊き方も覚えないとね」


「あんこ餅!」


 うわあ、美味しそう。

出来立てとか、絶対に美味しい。


「草餅もね、塩味がいい塩梅で美味しいんじゃよ。よもぎを余分に摘んでおいたから、分けてあげる」


 いいなあ、村での年末年始。楽しみが多い。


 ねえ、汐。


 そう呼びかけようとして、私は彼が今はいないことを思い出して立ち竦んだ。

たった今、居ないんだと考えたばかりなのに。

つい油断してしまう。

寂しい……と、思い出したら感じてしまうから、できるだけ不在であることを考えないようにしているのに。


「……里ちゃん?」


「あ、うん。ありがとう。私、自分の家でお餅つきなんてしたことないから、楽しみ」


 私がぼんやりしているのを見て、三重子さんが不思議そうに顔を覗き込んでくる。

慌てて、なんでもないと首を振ったけれど、色んなことがお見通しだったようだ。


「……そういえば、最近、汐ちゃんを見かけんね」


「……!」


 不意に汐の名前を出されて、私はうろたえた。

まるで考えていたことを、読まれたみたい。


「見かけないと、寂しいもんじゃね。里ちゃんも、寂しいじゃろう」


 そう宥めるようにやさしく言われて、私は苦笑しながら頷いた。


「うん……寂しいね」


 寂しい。すごくすごく、寂しい。

自分でもびっくりするくらい、そう思っている。

そんな自分に泣いてしまいそうになる。

胸の奥が痛くて、ぎゅっと掴まれたみたいに苦しい。

汐……あなたの居ないこの場所は、どんどん寒くなるみたい。

冬に向かっているんだから、当たり前なんだけど。


 早く帰ってきて。

今はそればかり考えてしまう。





「はぁい、里ちゃん、これお土産ねー」


 待ち焦がれた十一月が、やっとやって来た。

松里さんの気の抜けそうな挨拶と共に。

いやあ、まさか、神様に出雲帰りのお土産をいただくとは思わなかったのだけど。

松里さんの場合は、仕事の出張ということになっているらしいので、御近所に留守の間の挨拶も兼ねてお土産を買うのが習慣なのだそうだ。

なんだかシュールだなあ。


 私はありがたくお土産をいただいて、それから訊ねた。


「松里さん、汐は?」


 そわそわと訊いてしまったので、松里さんは笑っていた。


「んもう、少しくらいはアタシの心配もして。……まだ帰ってないの?アタシより先に帰ってるかと思ったんだけど」


「え……」


 帰ってきたら、すぐに顔を見せてくれるものだと思っていたのだが、汐はどうやらまだ戻っていないらしかった。

毎年のことだけれど、松里さんより遅く戻ったことなどなかったそうだ。


「珍しいわね。どうしたんだろ。いつもなら土地神が自分の土地をあけるなんて、とか言ってたのに」


「……」


 いつものように、うちの縁側から顔を見せた松里さんは、そのまま中に上がり込む。

もうすっかり寒くなって、とてもじゃないけど縁側で御茶なんて言える季節ではなくなっていた。


 寒い寒いと言いながら、用意してあった炬燵に滑り込む。

……汐が、きっと好きだろうと思って出してあったのにな、炬燵。

喜ぶ顔を早く見たくて、楽しみにしていたのにまだ帰ってきてないなんて。

私がひどくしょげて見えたのか、松里さんは、やあね、と眉を寄せた。


「そんなあからさまに、がっかりした顔をされると傷つくわあ。汐なんて、ほっといてもすぐに帰って来るわよ」


 冗談めかして言われて、私は慌ててしゃきと背筋を伸ばす。


「そんながっかりなんて」


「汐と比べてはがっかりしてるじゃない?」


「……ごめんなさい」


 仰る通りです面目ない。

私が申し訳なさに小さくなっていると、松里さんは、いつものように明るく笑い飛ばしてくれた。


「ちょっとからかっただけだから、そんな本気であやまんないでよお。……えーなになに、離れてみて恋しいのが募っちゃったわけ?」


「……」


 目をキラキラさせながら、そういうことを言うあたりお変わりないですね、松里さん。

私がそう言うと松里さんは、炬燵でモコモコしながら、きゃっとシナを作った。


「他人の色恋沙汰ほど楽しいものってないじゃなあい」


「べ……別に色恋とかでは……」


 僅かながらに抵抗したくてそう口籠ると、松里さんは真面目な顔になって私の目を覗き込んだ。


「今さら。まさか隠せてるつもりなの?汐も里ちゃんも、分かりやすすぎんのよ」


「……」


 ぐうの音も出ない。

私が分かりやすいのもだけど、汐が分かりやすいのも納得できてしまうので。


「別にさ、悪いことしてるわけじゃないじゃない。堂々としてなさいよ。そりゃ、神と人って、簡単に認められるものじゃないかもしれないけど。……少なくとも、アタシは応援してる」


「……!そ……そんな正面切って言われると……」


 恥ずかしいのを通り越して、居た堪れない……。

思わずキョロキョロと視線を泳がせていると、松里さんが呆れたように溜息をついた。


「本当に寂しくて仕方なくて、そんな挙動不審になるまでになっちゃったのね」


「……しみじみと言わんでください」


 自分でもこんな風になるなんて、驚いてるんだから。

私は出したばかりのこたつに懐きながら、恨みがましく松里さんを見た。

松里さんはまた笑って、私の視線を躱す。


「ま、心配いらないわよ。すぐに帰って来るわ。もしかして、里ちゃんにお土産を買おうとか、しょうもないこと思いついて遅くなってるのかもよ」


「……だといいんですけど」


 いや、良くはないか。

お土産なんていらないから、早く顔が見たい。

けれどそんな風に考えて悠長に構えていられたのは、初めのうちだけだった。

十一月になって何日も過ぎても戻らない汐に、山の神様たちが困惑してざわつき始めるのはすぐのことだったのである。

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