第27話 ずっとずっと傍にいたいという願い事
◇
「里ちゃん、後はゴミだけ纏めといてくれればいいからの」
境内の掃除を終えて、今日は少し早めにバイトを終えたいと言うと、蓮川さんはピンときたようで、いいよいいよと頷いてくれた。
夏休みが終わって参拝に来る人は少し減った。
もう少し秋が深くなれば栗や芋掘りの観光を兼ねてくる人も多くなるのだそうだけど、今くらいの時期はぽっかりと季節の隙間のような閑散期だ。
「三重子さんのお見舞いに行くんじゃろ」
そうほっこりするような笑顔で言われて、私は頷いた。
神社の宮司である蓮川さんは、見るからに穏やかな好々爺といった風情の人だ。
村の人たちからの信頼も厚い。
「はい。届け物とかしたいだけなので、面会時間にさえ間に合えば大丈夫です」
「三重子さん、大変じゃったね」
「ええ。でも大事にならなくてよかったです」
「年寄りはなあ。いつ、お迎えが来るか、わからんもんじゃからなあ。わしも、気をつけんとなあ」
「や、やめてください、縁起でもないです」
私が慌てて遮ると、蓮川さんはカカと大笑いした。
箒を持った私の隣で、猫の汐がコクコクと頷いている。
蓮川さんは、腰を曲げて汐を覗き込んだ。
「汐も、わしがいなくなったら寂しいか、そうかそうか。わしがこの神社の御神体のようなもんじゃからなあ」
「……」
うん。今、蓮川さんが話しかけているのが本物の御神体です。
汐はとぼけて、にゃーなどと鳴いてみせているけれども。
私はちょっと苦笑いしてしまった。
蓮川さんは汐の様子に目を細め、それからしみじみと周囲を見回した。
静かな境内には、他に人の気配もない。
「実際、わしに何かあったら、ここの管理をする人間もいなくなるでな。……その時は、汐、頼むぞ」
「そこ、汐を頼るんですか」
つい笑ってしまいながら言ったけれど、思い至れば確かに蓮川さんに何かあったら大変なことなのだ。
私は箒を動かす手を止めて、汐と蓮川さんを見比べた。
「神社って、宮司さんがいなくなってしまったらどうなっちゃうんですか」
「そうじゃなあ。近隣の神社に助力してもらったり、合祀してもらったり。過疎はどこも深刻じゃから、ここも考えておかねばなるまいなあ」
「……そうなんですか」
なんだかのんびり言われたけど、この神社の存続が危うくなるかもしれないってことなのでは。
蓮川さんは、ふと私の顔を見た。
そうしてから、ちょっと首を傾げるようにする。
「里ちゃん、よかったら跡を継いでくれんかね」
そう突然、言い出されて私はポカンと立ち竦んだ。
汐が足元で同じように、きょとんと蓮川さんを見上げている。
「え……わた、私がですか……、ええっ!?」
「ああ、いやいや……」
蓮川さんは、ぱたぱたと立てた手を振ってちがうよと否定するみたいに苦笑した。
「興味があるなら、と。つい思ってしまってな。里ちゃんは、バイトとはいえ敬虔にお仕えしてくれるしの。神様も満足してくださってるじゃろう。……それでちょっと、そんな夢を見てしもうた」
「蓮川さん……」
「日本中……わかいもんのいなくなってしまった村では、みいんな同じ悩みを抱えておる。じゃけど、若い娘さんに言うことじゃなかったの」
すまんすまん、と何でもないことのように蓮川さんは言ったけれど。
私みたいな何の取り柄もない小娘にすら、そんなすがるような言葉が出てくるくらい、過疎の村って困っているんだなあ。
期せずして、今現在の私の悩みの一端と関わるような話題に少し、しんみりしてしまう。
「いえ、ただのバイトにそんな風に言ってくださるの、嬉しいです。……でも、女性も宮司さんになれるんですか?」
私に跡継ぎに、と言うということは男女の別ってないものなんだろうか。
そう疑問に思ったので訊いてみる。
普通は神主さんだけなのかなと思っていたけど。
「性別は関係ないんじゃが。資格は必要になるのう。普通は専門の大学に行って、資格を取る」
「そんな専門職みたいなことなんだ」
知らなかった……。
神職さんのお家に生まれた人が、血筋とかで継ぐものなのかと思ってた。
「資格を取る方法は色々あるようなんじゃけど。通信教育なんてのも」
「神様、幅広いですね教えが……」
まさかの通信教育。
「それはまあ、先代の宮司が急逝したりで資格をすぐに取らんといけなくなったとか理由がある場合のようじゃけどの」
蓮川さんは、穏やかに笑って言う。
「それだけ田舎は人手が足りなくなったりということが多いから。対処しようと人間も神様も頑張っとるんじゃよ」
蓮川さんは、掃除が終わったら帰っていいからと言い置いて社務所に戻っていった。
残された私は掃除を再開しながら、さっきの話について色々と考えてしまう。
神社って当たり前にあるものだと思っていたけれど、経営とか働く人手とか難しいことがたくさんあるんだな。
とくに過疎の田舎では、成り手がないという神社の管理者である神職の方々。
蓮川さん一人を見ても、高齢化が進んでいることは理解できるし。
つらつらと物思いにふけっていると、傍らで人の姿になった汐が懐手をしながら言った。
そういえばここらは少し肌寒くなってきたよね。
「……お前、さっきの話を聞いて宮司になろうなんて思っていまいな」
「……」
訊かれて私は少し黙り込む。
そういう言い方をするってことは、汐は私が神職になるのは反対なのかな。
「私がなったら、何か都合の悪いことでもある……?」
贄が神職だと不味いとか、そういうことでもあるのかと首を傾げて問うてみる。
汐は私の方を見ないまま、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「将来の職というものは、もっと……希望をもって選ぶものだろう。一生かけて、やり遂げたいとか。一生を捧げて構わないと思うほど、その仕事が好きだとか」
「……」
汐の言わんとするところは、分かった。
わかったけれど……。
「いや……そこまでものすごい決意で職をきめる人って、少ないんじゃないかな」
たしかにそういう人もいるだろうし、そうなれれば素敵だけど。
そこまで重い気持ちで決める人って、わりと一握りだと思うけどな。
「昨夜見た、熱情大陸の影響受けすぎじゃない?」
思わず訊くと、汐は驚いたように私の顔を見た。
あ、図星なんだね。
すごい感動したよね。あの職人さんの御話。
この仕事に誇りをもってます、みたいなお話もカッコよかったし。
「……ちがうのか。人間は、皆ああいうものかと」
「いや、もちろん、ああいうすごい人もいるけど。……親の家業を継ぐ、とか。少し興味を持ったので、とかいうのも立派に選ぶ理由にならないかな」
「……」
私はそういう人の意志も、きちんと尊重したいと思う。
だけど汐は、私の言葉に驚いたように黙り込んでしまった。
それから何か考えるような顔つきになり、眉根を寄せた。
「それで里は……興味を持ったのか?宮司という職に」
訊き返されて私は、少し口を噤んだ。
なんだろう、訊かれてすごくもやもやとする。
汐は真剣な表情で私にそう訊いたけれど、私自身は訊かれたこと自体に何か言い知れない感情を覚えてしまった。
──面白くない。
端的に感情だけを取り出すと、そんな感じ。
なぜだろう。私は今、汐に腹を立てている。
子供が地団太ふんで言い返してやりたいって思うような、そんな幼くてわがままな気持ちで。
「……私は」
そう言って汐を見上げた。
黒い綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「一生、汐の傍に居たいと思ってるから。そのための方法に宮司になるって考えるの、おかしくないでしょ」
一息の早口言葉みたいに言ってやると、汐は飛び出してきた自転車の前で固まった猫みたいな顔をしていた。
やめてよ、轢いちゃいそうになるじゃない。
だけど、取り消したりしてやらない。
赤くなったりもしてやらない。
「里……それは……」
おろおろと何か言おうとする汐を無視して、私は掃除を再開した。
「……」
「里、それは、その……」
知らない。私は怒ってる。
色々と考えて一生懸命、あなたの傍に居られる方法を考えていた私に、頭ごなしに否定するようなことしか言わない汐なんか、知らない。
視線を合わせないでいると、汐は猫に戻って私の足元をウロウロとした。
猫の時と人間の時と変わらない、なんて言っておきながら。
その姿だと私が許すと思ってるんでしょう。
……その通りだよッ!
そぉっと半分しゃがみ込むようにして、ちょっとだけ頭を撫でてやる。
耳を下げてふんふんと鼻先を押し付けてこようとするのへ、それは許さない。
半分許すけど、半分はまだ許さない。
残った掃除を片づけながら、私は半分ずつの複雑な感情に悩み続けた。
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