第26話 人間にもできる事ってあるの?



 家に戻った私は台風の後片付けに追われた。

雨戸に打ち付けてあった板を外したり、納屋にしまったものを出したり。

一応、庭や畑を見回って土砂が流れ込んでいたりしないかを調べる。

さいわい雨も風もさほど酷くなかったから、それで片づけなくてはならないものはなかった。


 汐は、村の見回りをすると言って出かけていった。

少し私との間が息苦しかったのかもしれない。

お互いに、何を言えばいいのか微妙な空気だった。


 たぶん私が自覚してしまったからだ。

……私が汐を好きだってこと。

失いたくないと思っていること。

それは私が死ぬまでとかじゃなくて、私の寿命が尽きるずっと未来にも、やっぱり汐には神様でいてほしいということなのだ。


 洗濯や掃除をしながらぼんやりと考える。

そのために私にできる事って何かないのだろうか。

考えながら手を動かして家事をこなしていると、縁側からひょっこりと松里さんが顔をのぞかせた。


「里ちゃん、三重子さんのお見舞いは行かなかったの?」


 訊ねられて、私は困って俯いてしまった。

さっき氏康さんと話して二人の事を色々と聞いたものだから、三重子さんとはなんとなく顔を合わせづらい。

それで何と答えたものかを迷っていたら、松里さんはポイポイと靴を脱いで縁側から上がってきた。


「どしたのーお。なんか気になることでもあるう?」


 相変わらずパーソナルスペースを気にしない人だ。

いや、人じゃなくて神様か。

松里さんは私の顔を覗き込んで、にんまり笑う。

私は視線だけを横に逃がして、高速で洗濯物をたたんだ。

だってなんて話せばいいのかわからないんだもの。


「必要なものは午前中に持って行ってもらったはずですし。私はお見舞いは明日以降にしようかなって……」


「あら、そう。汐もなんだか腑抜けた顔して村をフラフラしてたし。何かあったのかと思って期待したのに」


「期待……」


「スキャンダル大好きー」


 きゃっと笑う松里さんは、屈託はないけれどドス黒いなと思う。

もうちょっと爽やかなものに興味を持とうよ。

私が苦笑いしていると、松里さんは意を察してふんと鼻先で笑って流し目をよこした。


「別に私と汐の間でスキャンダルはないでしょう……」


「そおかしら。アタシはあんたたちって結構面白いと思ってるんだけど」


「そもそも人間と神様ですし」


「あら、色恋はおかしなところで始まるからこそ、楽しいのよ。氏康と三重子さんもそうでしょ」


「松里さん自身はないんですか、そういうの」


 人の事ばかりを言うので混ぜっ返してみたら、松里さんは神妙な顔つきになった。

あれ……あったのかな。そういうのが。


「そういうのは尻尾と一緒にぽいっと捨てちゃったわ。というか、御茶淹れてくれる?喉が渇いちゃった」


 遠慮なく言いながら、松里さんは居間にどっかり座り込む。

松里さんのこういうところは、変に気を使わなくていいから私は好きだ。

私は麦茶をついだグラスを松里さんの前に置く。


「どうぞ。……そういえば、松里さんも神様なんですよね」


「そおよ。なあに、今更。しかも若干失礼な言い方ねえ」


 面白そうに笑いながら咎められて、私は首をすくめた。

つい気安く接してしまうけれど、松里さんも神様なのだ。

忘れてしまいがちだけど。


「でも、土地神ではないんですよね?」


 訊くと松里さんは、そうなるわね、と首を傾げた。


「アタシはちょっと特殊だけど。ようは汐の眷属ってことになるわね。汐から霊力を分けてもらってるし」


「けんぞく」


「子分みたいなモンよ。まあアタシなんかは、気が向いたら出ていっちゃう気でいるけど。今のところは、ここの生活が気に入ってるから定住するのに従ってやってるってトコね」


「え……出て、いっちゃうんですか」


「ここに飽きたら、そうするかも」


 軽く言われて私は目を剥く。

そんな、そんなの、嫌だ。

あんまりちゃんと神様として敬ったりしてないかもしれないけど、松里さんがいなくなっちゃうのは嫌だ。

友達がいなくなる、という感覚に近いかもしれないけど。


「……なあに、なんて顔してんのよ。ばっかねー、この子は」


 私が、よほどひどい顔をしていたのだろう。

松里さんは馬鹿ねと笑い飛ばす。


「今はそんな気ないから、安心なさい。出ていくったって、きっと何十年、何百年後のことよ。アタシたちには寿命なんて有って無いようなもんなんだから、今すぐどうにかするなんて話じゃないわ」


「……それはそうでしょうけど……」


 私は俯いてしまいながら口ごもった。

松里さんはその私の頭の上にポンと掌を置いて、くしゃりと髪を掻きまわす。


「……汐と、なにかあった?」


 やんわりと訊ねられて、私は言葉に詰まってしまう。……耳元が熱い。


「何かあったというか……」


 私が一方的に何か思ったというか。

言葉に詰まっていると、松里さんは小さく笑って私の顔を覗き込んだ。


「お姉さんに相談してくれていいのよ」


 お姉さんだったの。

そんな感じもなきにしもあらずなので納得もしてしまうのだけど。

私はもう顔が熱い。

恐る恐る視線を上げて、ちらりと松里さんを窺う。

すごくいい顔をして笑っているので、私はその視線を横へとずらした。


「それは置いといて……。相談したいことは別なんですけど」


「いやあん、もう里ちゃんと汐って、ほんとつまんなあい。真面目過ぎるのよ二人とも。もっと、はっちゃけない?」


 本当に心底つまらなさそうに、松里さんはぼやいた。

私は思わず半眼になる。

からかう気が満々ならしい松里さんに対する抗議だ。


「……はっちゃけると、困るでしょ。神様は」


 ぼそりと呟くと松里さんは、あら、と瞬きをして私を見た。

それから、ほんのすこしだけ居住まいを正してふざけた態度をあらためる。


「そこは」


 そう言って軽く笑った。


「困るけど困らないのよ。神様だって」


「……ほんとに?」


 訊くと松里さんは深く頷いた。


「アタシたちにだって感情はあるもの。好きな子に好きって言われたら……困るけど、それ以上に嬉しいもんよ」


 そう言った言葉が、あんまり自然だったから私は少し驚いた。

神様って、そんな人間と同じようなものなの?

同時に松里さんにも心当たりがあるのだろうかと思って、じっと見つめてしまう。


「松里さんの、尻尾と一緒に捨てた話?」


「そおねえ……。あと、氏康と三重子さんの話とか」


「……」


 私はその言葉に口を噤んだ。

庭に落ちる陽射しは、まだ夏の匂いを十分に残しているけれど。

もう蝉の声は聞こえない。

りり、と鳴き損ねた下手くそな虫の音が、時々響くだけだ。


「松里さん……私……」


 言うと松里さんは、なあに、と笑った。


「汐に……ずっとずっと、ここの神様でいてほしい」


 口にするのは何もかもをすっ飛ばして一番に願うことだった。

私の中の甘いような痛いような感情をまとめて、そして思っただけでつんと瞼の奥が痛くなるような願い事。


 ずっとずっと、神様でいてほしい。

私がいない未来までも。

松里さんは宥めるように、私の俯いてしまった頭の上に手を置いてくれた。

ここの神様たちは、みんな、優しい。


「それは……里ちゃん一人の力でかなえるには、難しそうな願い事だわね。……もしかしなくても氏康のこと聞いたの?」


「……」


 私は黙ったまま、頷いた。


「それで、怖くなっちゃったのね」


「……うん」


 私はもう一度頷いて、それから俯いたまま呟いた。


「汐が神様じゃなくなって……一人で何処かにいって……いなくなってしまったら、どうしよう……」


「どんだけ先の心配してんのよ、ホント」


 ばっかねー、と言われて私は苦笑いする。

馬鹿なのは自覚してるんだけど、思わずにいられないんだ。


「ま、里ちゃん一人の力でできる事なんて、限りがありまくりだけどさ。本当に何もできる事がない訳じゃないと思うのよネ」


「……」


 松里さんがそう穏やかに言うものだから、私はのろのろと視線を上げた。

その私の顔を見て松里さんは、やっと顔上げた、と揶揄うように笑った。


「三人寄ればなんとやらって言うじゃないの。アレたぶん、神様にも有効だから。考えましょ、色々」


「……松里さん」


「そおね、とりあえずは明日は三重子さんのお見舞いにもちゃんと行って。それで近いうちに皆で作戦会議でもしましょうか。参加者がほぼ神の会議よ、すごくなあい?」


 さらりと言って、松里さんはカッコよくウインクをきめる。

ウインクなんて古臭い、昭和、というなかれ。

こういう時の松里さんは、本当にかっこいいって思う私なのだ。

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