第24話 嵐の通り過ぎた夜に告げられたのは

 汐は、しばらく無言だった。

ちりり、と虫の声だけが辺りを支配する。

だけど私は朝までなんて甘えたことを言ってしまったのに、後悔はしても取り消しはしなかった。

だって、本当にもう精神的な頑張れる何かがまるで残っていないのだ。

そしてそんなに疲れ切っているのに、眠れる気がしなかった。


「……だめかな?」


 少し諦め交じりに訊いてみる。

汐や松里さんや色々な神様たちとこうしてお付き合いをするようになって、ひとつ気づいたことがあった。

彼らは私たち人間に対して、公平なのだ。

あんまり差のある贔屓をしないというか、少なくとも公平に扱おうとしてくれていると感じる。


 私は贄だから、ちょっとだけ普通の人間より近い位置にいさせてもらっているけれど。

それでも汐は氏子である村の皆と、なるだけ公平に扱っているのだと思う。

だから、一緒にいてなんていう特別扱いを望んでいるような御願いは聞いてもらえるものじゃないと思っていた。


 思っていたけれど、口に出してしまった。


「こんな時に一人でいると、ろくでもないことばかり考えてしまいそうで……」


「三重子は、無事だったんだろう?」


「うん……だけど……。この村に来るまでの私って、とにかく何やっても上手くいかなくて。だけど、ここに来てからは楽しくていい事ばかりが続いてて。


 ──その運が切れちゃったのかなって。それが三重子さんにまで降りかかったんじゃないかって、ちょっと不安になったの」


「……ああ。里には、背中に色々とついていたからな」


「え……」


 私が驚いて見上げると、汐は言ってなかったか、と呟いた。

どういうことだろう。

背中に色々って、なにが?


「霊力の強い人間は色々と引き寄せるから。里には少しずつ悪いものが溜まってくっついていた。だが……」


 汐は言いながら、私の手を引いた。

引かれるままについていく。

私たちは庭に回り、縁側に並んで腰を下ろした。


「俺がはらってやっただろう」


「……!」


「こうやって」


 ぽんぽん、と肩甲骨のあたりをごく軽く叩かれる。

思い出した、その所作に私は呆然としてしまった。

初めて汐に遭った時のことだ。

そういえばあの時、身体が軽くなった。

今更にその行為の意味を理解して、私は感心してしまう。

神様って、すごい……。


「あれから俺の氏子になったんだから、里にはもう悪いものは憑かない。だから安心していい」


「……そうだったんだ。──ありがとう、汐」


 今も、不安がどこかにいってしまった。

神様の加護ってすごいな。

だけど……。


「でも……三重子さんを病気から守ることって、できないんだね……?」


 なんとなくだけど、それは分かっていることだった。

それでも訊いてしまう。

汐は穏やかなままに頷いて、静かに言った。


「人の寿命はどうしようもない」


「うん……」


 神様は万能じゃない。

それは分かってた。

ただ、私にしてくれたように目に見えない悪いものを追い払ってくれたり、ほんの少し元気を分けてくれたり。


「すこし、不思議だったんだけど……」


「うん?」


「神様は、どうして私たち人間のことを、そんな風に思っていてくれるのか」


 私の問いかけに、汐は少し瞳を瞠ってから、やんわりと細める。

それは慈しむような穏やかな色をしていて、私は少しどきりとした。


「信仰でつながっているということもあるが……。人はみな、愛おしい」


「……!!」


 いとおしい。

それは私個人に向けられた言葉じゃないけど、十分に温かくて、ちょっとだけ鼓動が早くなった。


「や……えっと、私が勝手に人間を代表して言っちゃうけど。……ありがと。神様」


 わかっていても少し気恥しい言葉に、そうお礼を言う。

うん、おかげで落ち着いて眠れそうだわ。

そして汐の言葉一つで、こんなに気持ちが揺れる自分がなんとも面映ゆい。

考えて、さらに羞恥を覚えた。

だから誤魔化すように口にするのは、他の神様の事だ。


「氏康さんも、そんな感じなのかな。送ってくれてたよね、さっき。早く知らせてあげたいな、三重子さん無事だったよって」


 私は少し熱くなった自分の耳元を両手で押さえて、そう言った。

はしゃいでもいたかもしれない。

だけど私がそう言うと、汐はどこかに表情を置き忘れてきたみたいな顔つきになった。


「……汐?」


 どうしたのかと、戸惑う私にしばらく黙り込んでから、里、とあらたまったように名を呼ぶ。


「……里。氏康は、そう遠くないうちに、神格を失って土地神ではなくなる」


 聞き間違いかと思って、私は汐をきょとんと見つめ返した。

汐は、笑わない。冗談だったとも言わない。

私の中の理解が追いつくまで、待っていてくれる。

私は大きく息を吸い込んで、喉の奥で止める。

そうしていないと、何かおかしなことを口走ってしまいそうだったからだ。


「……ど……ういう、こと……?」


 長い沈黙の後きれぎれに訊いて、私は口を閉じた。

氏康さんが土地神でなくなるってどういうことなのだろう。

土地神でなくなる理由も、なくなったらどうなるのかもまるで分からないから、何にショックを受けたらいいのかも分からない。

ただ、神様じゃなくなるなんていう話が衝撃だった。


 汐は神妙な顔つきで夜の庭を眺めていた。

月明りだけが辺りを照らしている、静かな宵。


「明日……夜が明けたら、氏康のところに行くか。三重子の事を伝えに」


「……」


 汐の答えに私はつい不服そうな顔をしていたと思う。

だって、そんなの答えになっていない。

訊きたいことを躱されてしまったようで納得いかなかった。

汐は私のそんな反応が分かっているようだった。

かすかに笑う。


「見た方が分かりやすいと思った。……少しおやすみ。かなり歩くことになるから寝不足は良くない」


 諭すように言われて、私は眉根を寄せた。

その肩をゆるく引き寄せられる。

驚いてされるままになってしまった私は、汐の膝の上に頭を乗せる形で倒れこんだ。

……膝枕。


「こ……子供じゃないんだけど」


「離すと虫が寄って来る。咬まれるのは嫌だろう」


 それは確かに嫌だ。

汐の言う通り、庭先の縁側など虫に咬まれ放題のはずだけど、神様を狙ってくる虫はいないみたい。


 しぶしぶ目を閉じると、汐の指先が前髪のあたりを梳いてくれる。

穏やかなリズムのそれに、眠れそうもないと思っていた意識は、ほとんど一瞬で溶けてしまった。





 目を覚ましたのは布団の中だった。

枕元に届いた朝日が眩しくて、目を開ける。

どうやら雨戸も何も開け放したまま眠ってしまったみたいだ。

……防犯とは。


 身体を起こしながら周りを見ると、枕元に丸くなった黒猫が見える。

添い寝していたら、うっかり自分まで寝てしまいましたといった有様の汐はすやすやと寝息を立てていた。


 起こすのがちょっと可哀想だったので、私はそのまま布団を抜け出す。

顔を洗って朝食の準備にかかる。

ついでに思いついて、お弁当を作った。

氏康さんのところに行く、と言っていたなと思い出したからだ。

おむすびには、三重子さんのお手製梅干とお漬物を入れる。


 そうしてすっかり用意ができてから、汐を起こした。

神主姿になった汐と朝ごはんを食べる。

陽の上り始めた頃合いに、御茶とおむすびをつめたお弁当を持って出発した。


「隣村ってきいてたけど、遠いの?」


 訊くと、猫の姿に戻った汐はちょこちょこと私の後をついてきながら、にゃあと見上げてくる。


「昼前には、つく」


「道は知ってるんだ?」


「土地神といっても、別に自分の土地から絶対に出ないわけじゃない。……十月に神無月というのがあるだろう」


「あ、なんか聞いたことはあるよ。日本中の神様が出雲に集まるから神様がい無い月って書くんだっけ」


「そうだ。俺もここを留守にする」


「……ふうん……」


 想像して、一か月もいないのかって思って寂しくなる。

私にとって、汐はもう生活の中に溶け込んでいる存在なんだとあらためて思った。

いなくなることなんて、考えられない。


 隣村までの道は、上り下りの繰り返す山道つづきだった。

慣れない私には、けっこうきつい。

山越えまではしないけれど、距離もそれなりにある道程は見える景色も代り映えがしないから少し退屈だった。


 そうして何度目かの登りを制して、坂の上までたどり着くと、目の前に湖が開けた。

水面近くから吹いてくる風が、心地よい。


「湖なんて近くにあったんだ。知らなかった」


 私が言うと、前を歩いていた汐が私を振り返った。


「ああ、ダム湖だ。……この水の底に、氏康の村の大半──三重子の故郷の村が沈んでいる」


 低い声が淡々と告げる。

私は思いもかけなかった返事に、大きく瞳を見開いた。

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