第23話 不安と焦燥を乗せて夜の道を走る
山道は初心者運転手にとっては、とんでもなく難易度が高い。
なにより夜間というのがネックだった。
自分で運転したことがないから分からなかったけど、主な道ならともかく街灯がないんだ。
頼りになる明かりは、車のライトだけ。
カーブの先には道があるのかどうかも分からない、暗闇が続いている。
だからライトが照らす以上の先を判断もできないうちにスピードを出して走らせられない。
どうしたって、のろのろとした走りになって焦る。焦る。
こんなに時間がかかってて大丈夫なんだろうか、三重子さん。
やっぱりタクシーを呼んで待っていた方がよかったんじゃないか。
そんな雑念がよぎって、そのたびに私は強く念じて考えを振り払う。
「里ちゃん……!!」
「……!!」
突然、強く名前を呼ばれて思わずブレーキを踏む。
車は、前ばかりを気にしていた私の運転のせいで、ガードレールのない谷沿いの道を、半分タイヤが崖側に落ちかかっていた。
ぞっと、鳥肌が立つ。
そろそろとバックして安全な位置まで車を戻す。
冷や汗と脂汗が同時に出た。
運動をしたわけでもないのに、息が荒い。
「大丈夫、落ち着いて。アタシたちが乗ってるんだから。不運な事故なんて起きない。……だから、落ち着いて」
「は、はい……」
道を全く知らないせいもある。
どのくらいの道幅かとか、まるで覚えてないから思わぬところでこんなミスをするんだ。
車ほしいなあなんて、軽く考えていた少し前の自分を叱ってやりたい。
道くらいは、もっときちんと知っておくべきだったんだ。
道は山を一つ越えて、緩やかなくだりに差し掛かる。
山道はつづらに折れて、麓へと降りていく。
街の明かりが見えて、私は気持ちを引き締めた。
道路に街灯がともりはじめ、先が見やすくなる。
だけどここで気を抜いたりしちゃだめだ。
「び……病院までの道って……」
「アタシが案内するから。道幅も広くなってきたし、安心していいわ」
私は、あらためてハンドルを握りなおす。
信号──さっきまで見かけなかったから、うっかり見落としそうになる。
都市部に入れば入ったで、気をつけなくちゃならないことがたくさんあった。
それでも松里さんの案内は丁寧で、分かりやすい。
おかげで、幹線道路を入ってすぐの病院はすぐに分かった。
救急外来のある病院は、駐車場にも何台か車は止まっていたけれど、なんとか夢中で駐車をこなす。
ブレーキをかけてエンジンを切ったころには、私は真っ白になってしまっていた。
「オッケー、里ちゃん、落ち着いたら来て。アタシは先に三重子さん連れて行くから」
「は、はい……」
松里さんはひょいと三重子さんを御姫様抱っこして、外来受付に向かう。
私はまだ、震えの止まらない身体を持て余して呆然としていた。
よかった……よかった、無事についた。
でも、まだ診察は終わってない。
三重子さんの無事を確かめなくちゃ。
初めて扱った車だったものだから、鍵をどうすればいいのかもわからなくてモタモタとする。
これ誰の車だろう。
かろうじてオートマだったから私にも運転できたけど、カーナビも何もついてない。
やっぱり、こうして何かあった時のために、私も運転できるように車が欲しいな、と考える。
なんとか鍵を引き抜いて、猫の姿に戻った汐に声をかけた。
「行ってくるね。……ついてきてくれて、ありがとう、汐」
「留守番している。行ってこい」
ぱたりぱたりと尻尾を左右に揺らして、汐は小首を傾げた。
その仕草が可愛くて、私は泣き笑いみたいな表情になった。
いってきます、と言い置いて受付に向かう。
そろそろ日付が変わるくらいの遅い時間なのに、救急の受付はかなり人がたくさんいた。
ぐったりしている小さな子供や、長椅子に横になっているお年寄り、不安そうな付き添いの人たち。
医療関係者の人たちって、本当に大変だ。
病気も怪我も、いつ罹るかわからないものだもんね。
見回すと、松里さんがこっちと手を振ってくれる。
三重子さんは、ちょうど今、診察の最中のようだった。
私たちは廊下に設置された椅子に座って、じっと待った。
なんとなく話すこともなくて、私も松里さんも無言だ。
それは周りの人たちも同じのようで、子供がぐずると外に連れていく親がいるくらいで、待合場所になっている廊下は静かだ。
三重子さん……大丈夫だろうか。
押し寄せるような不安で、私は俯く。
それを察したように、松里さんが肩を柔らかく叩いてくれる。
大丈夫。
その三拍子。
私は笑みを返そうとして、どうしても失敗していた。
診察室から顔をのぞかせた看護師さんが、私たちを呼ぶ。
私が立ち上がると、ご家族の方ですかと訊ねられた。
いえ、と言うと処置の結果だけお伝えしておきますね、と言われる。
看護師さんはこちらをリラックスさせようとしての事だろう、笑みを浮かべていた。
「少し疲れがたまっていたみたいですね。重大な異常は見つかりませんでした。今、点滴を打ってます。念のため、検査の入院をしていただきますので、手続きなどのために御家族の承認が必要になるかもしれないんですが」
てきぱきと説明されて、私はそれをやや呆然と聞いていた。
耳に残った言葉は、異常はなかったという言葉だけで、それが何度も頭の中で繰り返される。
──異常はなかった。
よかった。三重子さん、大丈夫なんだ。よかった……。
そう思うと、どっと何か色々なものが込み上げて私は喉の奥がきゅっと痛くなるのを感じた。
その私の様子を見て、看護師さんが眉をハの字にする。
「……大丈夫ですよ。安心してね」
「ありがとうございます……」
今夜だけで、何度、大丈夫と言われたことだろう。
汐に、松里さんに、この看護師さんに。
その全部に感謝しきれない。
私は歯を食いしばるようにして、込み上げた嗚咽を堪えた。
堪えたそれの代わりみたいに、涙がこぼれる。
よかった、三重子さん、良かった……。
それから後は、眠って点滴を受けている三重子さんの様子を見てから、私たちは病院の受付に向かった。
今夜はこのまま三重子さんは病院に一泊して、様子を見るのだそうだ。
私はもたもたとしつつ、松里さんの助けを借りて色々な手続きを済ませる。
全部が終わったころには、時刻は二時近くになっていた。
それでも、病院に勤めている人たちはきびきびとしている。
なんて大変なお仕事なんだろう。
そして私にも大変な仕事が残っている。
また車を運転して村に帰らなくてはならないのだ。
来た時よりは落ち着いていたけれど、それでもまたがっちり緊張してハンドルを握る。
松里さんが、少しは慣れなさいよ、と言って苦笑いしていた。
そうは言われても、無理なものは無理だよ。
登りなこともあって、車はのろのろと山道を行く。
なんとか村に辿りつき、もとの集会所の駐車スペースに停車させた時には、私はもはや全ての精神力を使い果たしていた。
何人かが集会所に残ってくれていて、車のエンジン音に気づいて外に出てくる。
そして三重子さんの様子を聞かれた。
診察の結果を伝えると、皆、ほっとしたように空気が和んだ。
よくやった、と言われて肩を叩かれる。
私はそれへ曖昧な笑みを返した。
もう、何かを慮る余裕なんて全くなかったからだ。
そして松里さんに家まで送ってもらう。
当然のようについてきた汐は、ぱたりと尻尾を振って私と二人、帰っていく松里さんを玄関で見送った。
雨風の過ぎ去った夜は、気の早い虫の音がどこか遠くから聞こえる。
それがひどく物寂しい気がして、私は傍らの汐を見下ろした。
「……ねえ」
そう声をかけると、金色の瞳が私を見上げて瞬いた。
「……朝まで一緒にいてって言ったら、駄目……?」
言うと、汐の瞳はもう一度大きく瞬きをしてから、次には神主姿に変わっていた。
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