第13話 夢の中の祭は神様たちの世界



 あたりは明るくて白い靄のようなものに包まれていた。

私はふわふわとした足元の感触に、おっかなびっくり歩いていく。

それはやがてピントが合っていくみたいに、草を踏む感触と、桜の花のピンク色に変わっていった。


 瞬きに閉じた瞼の、開いた瞬間、景色が一瞬で変わる。

春の温かさを含んだ風が、頬をなでていった。

広々とした緑の丘。

そこに枝垂桜の古木。

緋毛氈が敷かれて、野点傘があちらこちらに立てられていた。


 けれど用意されているのは御茶ではなくて酒器のようで、ふわりとお酒のいいにおいがする。

風は、はらはらと舞い落ちる桜の花びらをどこまでも運んでいく。

それを胸一杯に吸い込むと、春の香りがした。

あたりには、思い思いに宴を楽しむ山の神たちの姿がある。


「里ちゃん。こっちこっち」


 呼ばれて振り向くと、松里さんと人型になった汐とがいた。

私は、どこか夢見心地でそちらに向かう。

普通にパジャマで寝たはずなんだけど、私はいつのまにか巫女装束をまとっていた。


「こんばんは。……あれ、こんにちは、なのかな」


 あたりは昼間のようだけど、時刻はどうなっているのだろう。

今は真夜中の筈だけど。


「どっちだって、いいじゃなあい。お酒があれば、それはいい時間よお」


 松里さん、もう酔ってるのだろうか。

さあさあ、と杯を持たされて片口からとろりとした透明なお酒を注がれる。


 すこし甘い、いい匂い。

一口含むと、きりっと冷えていて、それでいて柔らかい口当たりの美味しいお酒だった。

日本酒って、こんなに美味しいんだ。

ちょっと、シャンパンみたいに気泡がある。


「美味しい……」


「でしょお。さ、じゃんじゃんいっちゃって」


 片口からは、いくらでもお酒があふれてくるみたいだった。

松里さんは、すごい上機嫌である。

汐は酔った様子はないけど、それでもクイと杯を干す。

私は飲むほどに気持ちよくなっていくみたいだった。

このお酒だと、悪酔いとかしなさそう。


 おつまみは木の実などの簡素なものだけど、塩加減がちょうどよくって、ついお酒が進む。


「山の神の春の祭はねえ、秋の豊穣を願うのよ。だから田植えの前あたりね」


「ちゃんと意味があるお祭りなんですね」


「メインは、猫神の奉納舞ね」


「奉納……てことは、もっと上の神様がいるんですか」


「そうそう。神様の間にも格があるのよね」


 アタシはほとんど無視してるんだけど、と松里さんは笑う。

そういえば、汐にも横柄だったりするよね。

遠慮がない間柄といえば、そんな感じではあるけれど。


 汐は杯を置いて、すらりと立ち上がった。

私を見て、少し笑うと手を伸ばしてポンと頭をひと撫でされる。

あ、笑ったところをはっきり見たのって初めてかもしれない。

端正な面差しは、笑うと途端に華やかだ。


「……見ておれ」


 言うと、汐はしずしずと桜の下へと足を運ぶ。

能舞台とかを見ているみたい。

所作がしなやかな優雅さで、私はお酒のせいもあってうっとりと見惚れていた。


 ……一陣の、風。

それが通り過ぎると、汐の衣裳がいつもの白衣から、平安時代の貴族みたいな装束に変わっていた。

どこから響くのか、楽の音があたりを満たす。


 汐はゆっくりとした動作で、装束をさばく。

す、と扇を持つ手があがる。

私がよく知るような、激しいリズムのダンスとはまるで違う動き。

猫特有のしなやかで、ゆるやかな動きで腕が弧を描く。


 くるりと巡った袖が、装束の裾が、散る花びらにも似た様子で宙を舞う。

その一幅の絵のような光景を、私は息をすることすら忘れて見入った。


 重力を振り切ったように、汐は舞う。舞う。

くるりくるりと、ふわりふわりと。

やがてすべての舞の終わりに、桜の下に端座する姿まで。

所作の何もかもが美しかった。


「これが……神様の舞」


 ほう、とため息交じりに呟くと、松里さんが綺麗でしょう、と自慢げに言う。


「踊りの苦手な神なんてのもいるけれど。猫はとにかく、動きが優雅だもの」


「うん、すごく綺麗だった……」


 舞を終えて、汐が私たちのいるところに戻ってくる。

綺麗だったよ、と声をかけた。


 ちょうど、その時だった。

ずず、という地鳴りが響いた。

次に、ずしん、と重い地響きが辺りを揺るがす。


「……!!」


「……ッ!?」


 小さな動物の姿の神様たちなどは、その揺れで飛び上がった。


 え、なにごと!?

夢の中だっていうのに、地震!?


 宴を台無しにする、その響きが何なのか。

確かめようとして見回した視線の先に、人の姿があった。


 大昔の甲冑みたいなものを身に着けた、背の高い人。

時代劇なんかで見る、侍のように見えた。

誰?なにもの??

私が戸惑っていると、汐が低く呟いた。


「……氏康」


 汐の呟きに私は瞳をパチパチと瞬かせた。

初めて聞く名前だ。

うじやす?

響きからして、戦国武将の名前みたい。

それとも、パッと見た姿が昔の侍のように見えたからそう思ったのかな。


「氏康……。近くの別の土地の神よ。本性が犬だからか、汐とは仲が良くないの」


 私がキョロキョロとしていたのを見たからだろう、松里さんがそっと耳打ちしてくれた。

別の土地の神様か。

それであんなに偉そうなのね。

だけど、そんな神様がどうしてこの土地の祭に来たんだろう。


 侍姿の神様は、どん、と汐の前に片足をつく。

桜の下、舞のための装束のままな汐と対峙する姿は、祭事の続きのようにも見えた。


「やい、猫の」


 惚れ惚れするような低音が、朗々と響き渡る。

神様って、みんな声は低音なのかな。

汐とタイプは違うけれど、いい声だなあ。


「贄を得たそうだな。それでいい気になってるんじゃねえぞ」


 脅しにしか聞こえない物騒なセリフに、私はハラハラする。

だってこの神様、やたらと長い刀を背負っていたりするし。

喧嘩になったらどうしよう。


 対する汐は、ちらりと視線を上げて侍を見た。

けれど、ついと鼻先を背けるように横を向く。

見事にスルーされて、侍は鼻白んだ。

猫と犬の喧嘩ってこんな感じがする。

上から見下ろして涼しい顔の猫と、吠え掛かる犬。


「うじやす……って、何か戦国武将みたいな名前だけど。何か関係があるんですか?」


 ひそひそと松里さんに訊くと、彼は珍しく神妙な顔つきで頷いた。

他の神様たちはみんな、固唾をのんで汐と犬の神様とを見つめている。


「北条氏康……あの顔の傷、見えるでしょ。あれは向こう傷っていって敵に背中を見せないって意味の傷なの。本物の北条氏康も、顔にふたつの傷があったと言われてるわ」


「むこう傷……」


 すごく武闘派っぽい御話に、私は緊張した。

そんな、汐なんていかにも猫っぽくて勇猛とかいう言葉からは遠いのに。

そんな乱暴そうな神様を相手にしたら、きっと大変なことが……。

そんな心配に重ねるかのように、松里さんが重々しく言った。


「おもに、汐の猫パンチでついた傷よ……」


「……」


 汐……手加減してあげて。

よくよく見ると、氏康さんは古いものから新しいものまで傷だらけだった。

あれを全部、汐が……。


「で……でも、犬なんだったらやっぱり本気を出せば強いんでしょう?」


 軍用犬とか警察犬とか、人間より強いって聞くし。

私が言うと、松里さんは沈痛な面持ちで俯いた。


「そうね。氏康は野犬の群れのボスから成りあがった妖怪よ。強さは計り知れないわ」


「野犬……」


 今の時代、街中で野犬を見かけるなんてことはほとんどない。

それでも、それが危険な存在なのだろうということくらいは、私にもわかった。

ぞっと足元から恐怖が這い登ってくる。

大丈夫なの、汐……。


 見守る先、猫の神様と犬の神様の間には、ただならぬ緊張の糸が張りつめていた。

どちらも、一歩も譲る様子はなくにらみ合う。


「祭事の邪魔をしにくるとは。覚悟はできていような」


 低く、汐が威嚇する。

けれど氏康さんは、臆せず肩をそびやかす。


「お前こそ。俺と戦う覚悟はできているのだろうな」


 氏康さんが言うやいなや、汐の姿が溶け、黒い猫に変化する。

ぐる、と不穏な喉の音が大型の肉食獣のようにあたりに響いた。

それに呼応するように、氏康さんの姿も溶ける。

四つ足の獣に変わった姿が、汐の前にあった。


「……!!」


 ざわ、と。どよめきにあたりの空気が揺れる。

そこに居たのは、汐と同じ黒い獣。

けれど見た目は全然ちがう。


「……とうとう本性をあらわしたわね、氏康」


「……」


 そこに居たのは、黒い獣。

どう見ても、小型愛玩犬。黒いポメラニアンだった。


「……えっ……ちょっ……え、あ……?」


 ギャップのひどさに、私の言語中枢が不安定になる。

野犬の群れのボス……ポメラニアン?

たしかに威圧感はあるけど。

オーラは十分にあるけど。

見た目がギリギリでアウトじゃないかな……。

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