第12話 妖怪と幽霊と神様の違いを述べよ
◇
里山の季節はゆっくりと巡る。
毎日は同じことの繰り返しで、それなのに少しずつ少しずつ景色が変わっていく。
ほころび始めた桜が、色づいてその薄紅色を散らし始めた。
神社の境内は相変わらず、静かで穏やかな神気が満ちている。
当の神様である汐は、さっきから落ちてくる花びらを真剣に追いかけまわしていた。
今は黒猫の姿なのだけど、猫の姿をしているときは本性がそちらになるのだそうだ。
というか、もう普通に猫だと思う。
私は社務所で、その桜吹雪を眺めながらお守りや破魔矢の手内職に精を出していた。
勤め始めて、そろそろひと月。
最近は作業に慣れてきて、なかなかに匠の技に近づいてきた。
師匠の宮司、蓮川さんの手早さにはまだまだ遠く及ばないけれど。
「で、山の神っていうのは、つまりは妖怪の一種なのよ」
「……妖怪」
妖怪ときくと、悪いもの、みたいなイメージしかない私はつい訊き返していた。
目の前の受付窓にもたれかかるようにしていた松里さんが、頷く。
というか、松里さんっていつ働いているのだろう。
わりとよく、ここに遊びに来ている気がしすぎる。
「神社って、成り立ちが色々あるのよね。神様っていっても色々だし。ほら、学業の神様の菅原道真とか。怨霊になったのを鎮めるために祀られて神様になったって話」
「……すると、汐や松里さんも、何かはじめは怖いものだったってことですか?」
「……そう見える?」
言って松里さんが指さす先では、汐が桜の花びらと戯れている。
ただし、真剣すぎて顔が怖いことになっていた。
獲物を狙う肉食的な何かになっている。
「……ちょっとだけ」
「ごめん、たとえが悪かったわ」
松里さんが遠い目をして、首を横に振る。
今の無し、と肩をすくめた。
「ま、昔はね。人間が信心深かったってこともあって。どちらかといえば、山の神の方の力が強かったんだけど。今じゃ、信仰が途絶えそうだから。霊力もずいぶん弱くなったナ」
「そうなんですか……」
「妖怪っていっても、別に何か悪さするわけじゃないのよ。霊力も弱まってるから、もうほぼ無害」
「汐は、何の妖怪なんですか?」
気になったので訊ねてみると、松里さんは軽く笑った。
「猫又。尻尾がふたつに割れてるでしょう?」
ねこまた……。
すごく昔に、そんな絵本を読んだことがある気がする。
猫の妖怪、かあ。
……てっきり虐待されたのだと思っていたことは、黒い歴史として胸の奥に葬っておこう。
「松里さんは?」
狐、とは聞いたけれど。妖怪としては、何なのだろう。
松里さんは、にんまり笑って目を細めた。
「九尾の狐」
「そ……それって、すごい有名な奴なのでは」
「アタシは尻尾切られちゃって、数が数えられないから本当のところはアタシにも謎」
明るくさらりと言われたけど、大変なことなんじゃないの。
そう思って、まじまじと松里さんを見上げる。
すでに作業を終えて、私の手は止まっていた。
「そんな顔しないでよお。ま、尻尾がないのは不便だけど。別に今、楽しく生きていられたらアタシは満足。尻尾があると悪いことも色々としちゃうしね」
「……悪い事……ですか。幽霊みたいに祟ったり……?」
今の松里さんからは想像もつかなかったのだけど、そう訊いてみる。
松里さんは、ちがうわよーと手をぱたぱたと振った。
「強い力を持ちすぎると、自制が効かなくなっちゃったりね。出来ないことがあるーくやしいーってくらいが、丁度いいのよ」
「……なるほど」
それは少しわかる気がする。
何でもできてしまう力があったら、私はたぶん怠けてしまうだろうし。
そうなったらきっと、苦労した分楽しい、なんていう気持ちも知らないままなんじゃないだろうか。
それはなんだか、もったいないと思った。
出来上がった、お守りの出来を確かめながら思う。
綺麗に出来た。嬉しい。
そう思って、にやにやしてしまう。
「里ちゃんも、もしかしてさ。幽霊と妖怪の区別がわかんない人?」
松里さんに訊ねられて、私は少し驚いてしまう。
え、同じようなものなんじゃないの?
そう考えていたら、膝の上に黒猫の前足がぺたんと置かれた。
花びらと遊ぶのに疲れて、汐が戻ってきたのだ。
先日の祭事で一度、関わってから汐は前ほど私を無視しなくなった。
むしろ、やや懐いてくれているみたいで嬉しい。
「……どうした」
猫とは思えない低音で、しかも人語で訊ねられてどきりとする。
ギャップが半端ない。
「あ、うん……。幽霊と妖怪はちがうっていう話をしてて」
「それは違うだろう」
「……どう違うのかが、よくわからないんだけど」
私がそう言うと、汐と松里さんは顔を見合わせた。
そして、ふいに汐の輪郭がぼやけたかと思うと、白衣の神主姿になった汐が現れる。
「……ッ!!」
ぎょっとして身を引く。
変化するときは、できれば予告してほしい。
急に変わられると心の準備ができていなくて、びっくりする。
「……幽霊は死んだ者だが。妖怪は生きている。俺も、そこの尾なしもな」
尾なしって呼び方は、ちょっとどうかと思います。
たとえ神様だとしても。
そんな非難を少し目に込めてみたのだけど、汐は空気は読んでくれないようだった。
松里さんは気にした様子もなく笑っていたけど。
「妖怪ってレアな高次生物の総称みたいなもんだから。わりとそれぞれに違うのよねえ」
「もともと、こいつはこの土地の神ではない。稀人神だな。今は俺から生気を受け取ってはいるが、本来はまつろわぬ神でもある」
「自由大好きー」
「……」
私が微妙な顔をしていると、松里さんが気づいて苦笑した。
「あ、もう話が分かんなくなってるでしょ」
「……難しくて」
正直に言って頭を下げる。
松里さんと汐は、ちょっと呆れたみたいにしていた。
だって分からないものは分からないんだ。
仕方ないでしょ……。
「……里は、別に。わからないままでいていい」
すると汐が助け舟みたいに言ってくれて、私は少し驚く。
つん、てされるかと思っていたのに。
「そおね。こうやって、アタシたちの事、あっさり受け入れてくれてることの方が、重要」
「そういうものですか……」
でも、この間の神事の夜みたいに、ああいうものを目の前で見てしまったら、信じて受け入れるしかないと思うな。
汐は神様だった。松里さんもそうだ。
それをこの土地全てから、すごく感じた。
「そうそう。今夜はね、山の神の春の祭なのよ。里ちゃんも招待するわ」
「ヤマ〇゛キの?」
「パン祭じゃねえよ。白いお皿もくばらねえよ」
「……」
……松里さんて、咄嗟のツッコミ入れるときは男口調に戻るよね。
だって春の祭っていえば、それだと思うじゃない。
「どこでするんですか、そのお祭り」
訊くと、松里さんと汐は顔を見合わせてしばらく悩んでいた。
場所に悩むのだろうか。
「……夢の中、かな」
答えに私はきょとんとする。
夢の中……。現実じゃないってこと?
訊いてみたけれど、二人とも笑って答えてくれなかった。
楽しみにしてて、と言われて私はその夜はどきどきしながら布団に入る。
眠れるだろうかと思うくらいだったのに、布団に入って瞬きを二度したら、もう私は眠りに落ちていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます