第11話 疲れた体には梅干しがいい



 翌朝はとてもいい天気だと思われた。

雨戸の隙間から差し込む朝日は、きらきらとしていて小さくとも頭をすっきりとさせてくれる。


 目覚めは、爽やかだった。

よく眠った後の爽快感で、意識ははっきりとしている。


 枕元では、目覚ましが鳴っていた。

止めなければ。

そう思うのだけど、私は布団の中で動けずにいる。


 目覚ましは鳴り続けている。

止めなければ。

でも私は布団の中で一ミリも動けずにいる。


「……うそでしょ」


 地獄のような筋肉痛で、目覚ましを止めるどころか起き上がることもできなかった。

生気をわけた、ということだったから倦怠感のようなものを感じるのかと思っていたのに。

予想外なところに出た支障に、私は混乱していた。


 なぜ、筋肉痛。

たしかに、普段からさほど鍛えているとはいいがたいけども。

呆然としていると、ふと目覚ましの音が止まった。


 視線を巡らせると、黒猫が私の顔を覗き込んでいる。


「……汐」


「やはり、体調を崩したか。どこが、どうなった」


「……筋肉痛」


 苦労しながら答えると、突然、あらぬ場所から笑い声が聞こえた。


「あはははははははは、筋肉痛……!!そんなことになった贄、聞いたことない……!筋肉痛……!!」


 視線だけ動かして見ると、松里さんが笑い転げていた。


 ……ひどい。

そんなに笑うことないじゃない。


「もう少し心配してくれてもいいと思う……」


 私がむくれて言うと、松里さんはごめんごめんと言いながら涙を拭いていた。

泣くほど面白いですか……。


「心配できてみたのよ、一応。でも、これじゃ今日はバイトに出るのは無理みたいね。蓮川さんに連絡しといてあげる」


 それは助かります。けど、松里さんはどうしてここにいるのだろう。

私は昨夜、ちゃんと戸締りをして寝たはずなんだけど。

気になったので訊いてみると、松里さんは背後を指さしてにこりと笑った。


「裏の雨戸外して、押し入ったの」


「……」


 戸締りとは。防犯とは、いったい……。

田舎の家って、オープンなんだな。

呆れるのを通り越して私が感心していると、松里さんは庭に面した表側の雨戸をあけ始める。


「お天気いいし、雨戸開けちゃうわね。食べられそうなら、朝ごはん、何か作るわ」


 かさねがさね、ありがたいなあ。

そう思っていたら、開いた雨戸の向こうに三重子さんがひょっこり顔をのぞかせた。


「……おはようさん。里ちゃん、具合が悪いのんじゃ?」


 三重子さあああん!

私は病気になった時の、意味もなく不安になる心地がしていたものだから、つい起き上がろうとしてしまった。


 びきびき、と全身から電流のような痛みが走って私はのけ反った。


「おおう……ッ!」


 おおよそ女子らしからぬ呻き声をあげてしまう。

……恥ずかしい。


「はいはい、安静にね」


 松里さんが布団をかけなおしてくれる。

ありがたい……。


「慣れない仕事して、筋肉痛で動けないらしいわ。三重子さん、朝ごはん一緒に作っちゃいましょ」


 松里さんにそう声をかけられて、三重子さんは台所に向かう。

汐は私の枕元にちょんと座って、それを見送っていた。


 なんだか、一気ににぎやかになったなあ。

それにしても、これが東京での一人暮らしだったらどうなっていたことだろうと思う。

ここだと、暮らしているのは一人なのに、こうして助けに来てくれる人たちがいる。


 布団に横になったまま、台所から聞こえる食器の音や話し声に耳を傾けていると、とても安らぐ気がした。

ああ、いいな。こういうの。

また少しうとうとしながら、私はすごく幸せでふわふわした気分になっていた。


「里ちゃん。起きられるかいね?」


 そう声をかけられて、浅いまどろみから現実に引き戻される。

いつの間にか、二度寝してしまっていたみたいだ。


「あ……はい」


 目をこすりながら、起き上がろうとする。

まだ体中が軋んでいるみたいに痛んだけど、なんとか起き上がることは出来た。


「朝ごはん出来たんじゃけど。食べられそう?」


 訊かれて、私は頷いた。

ああ、たきたてのご飯の香り。それにお味噌汁の匂い。

お腹がぐうぐう鳴った。


 身体が楽なようにジャージに着替えて居間に向かうと、松里さんがお茶を淹れてくれていた。

はからずも、皆でご飯ということになって嬉しい。

弱っているときって、一人で食べるより美味しいものね、ご飯。


 出汁巻き卵に、残り物野菜の御味噌汁、白菜のお漬物。

ほかほかと湯気の立つそれらに、すごく食欲をそそられる。

お座布団をしいてもらうビップ待遇で、席についた。


 いただきます、と三人で手を合わせる。

汐は、ぴたりと私の隣に寄り添っていてくれた。


「たきたてご飯、最高……。この出汁巻きも、いいお味……」


 幸せすぎて、涙が出そうに美味しい。


「三重子さんの味付け、いいわよねえ。アタシ、ちょっと濃いめが好きなんだけど」


「塩分には気を付けとるんじゃよ」


「出汁の味なのかな」


 私は言いながら、三重子さんの方を見た。


「三重子さんて、手からお出汁が出てるんじゃないかと思っちゃうのよね」


 わりと真剣にそう言ったのだが、二人は大笑いしていた。

それか鰹節でできているのかも。


「出とったら便利でいいね。そうそう、ご飯のこったのは、おむすびにしといたから。梅干しで」


「助かります……!三重子さんの梅干しも美味しいよね」


「わかる。ちゃんとしょっぱくて、でも後引くのよね」


 想像したら、またよだれが出てきそう。

そんなことを考えていたら、三重子さんはにこにこしながら言った


「じゃあ、今年は一緒に梅干しつくらんかね」


「え……」


 作るの?私が?

きょとんと三重子さんを見ると、そうだよというように頷かれた。


「あ、それ、アタシも。アタシも混ぜてほしい。作り方教えてほしい」


 三重子さんは、いいよと笑った。


「ついでに梅酒も、一緒につくろうかね」


「梅酒……!」


 大好きです、梅酒……!

うわあ、すごく楽しみ。

私が食いついたのを見て、三重子さんは笑みを深くする。


「たつ子さんも、大好きでなあ。以前はたくさんつくったもんじゃった」


「……おばあちゃんも」


 そっか。じゃあ、おばあちゃんの味なんだ。

そう思うと、なおのこと楽しみに思える。

汐が隣でそわそわしている。

もしかして、神様も梅酒好きなのかな。

それならたくさん作らないとね。

まさか猫の姿のまま飲んだりはしないだろうけど。


「梅酒もいいわよねえ。来年の春には、その梅酒でお花見したいわね」


「そ、それは楽しみすぎる……」


 桜に梅。

それはそれは、なんて優雅なんだろう。

私はうっとりしながら、御茶をのむ。

ほんのりと香るお茶の匂いに、桜の薄紅色を思った。


 ここに来るまで、私の人生ってせかせかしていて良くないことばかりが起こったけれど。

この村に来て、汐に出会ってからは運気は右肩上がりだと思う。


 そこまで考えて、はたと思い当たった。


 ──偉い神様の加護をいただく。


 それって、もしかして汐のことだったのだろうか。

……まさかね。

私はただの生贄だし。

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