第10話 とおりゃんせは神様のお通りの合図

「やまのかみ……?」


 聞き慣れない言葉に私は繰り返して、周りにいる獣たちを見回した。

神様……この動物たちが?

たしかに、普通の動物とは違うのはわかった。

だって普通なら、こんな狭い場所でいろんな動物同士がいて、おとなしくしているなんてできないだろう。

天敵同士だっているかもしれない。


 よくよく見れば、部屋の外にも鹿やクマがいるのが見えた。

おそらくは、大きすぎて室内に入りきらなかったのだろう。


 ……というか、クマ!?

クマはちょっと別の意味でパニックになりそう。

そう思ったのだけど、山の神さまたちは、一様にどこかすまなさそうに俯いている。


 暗闇の中では、怖かったけど。

明かりのもとで見ると、彼らに害意がないことは感じ取れた。

よかった、敵意はないんだ……。


 そう思うと、一気に気が抜けてしまう。

私はその場に、くったりと倒れ伏した。

そうして込み上げたものに、ぐっと唇を噛む。


「さ……里ちゃん!?どうしたの」


「ご、ごめんなさい……安心したら、一気に何か色々……」


 ──怖かった。

本当に怖かったのだけど、もう大丈夫なんだ。


 私の様子を見て、松里さんがひどくしょげたように言う。


「ごめんなさいね……ちょっと、怖がらせすぎたわ」


「ううん、もう平気です。……人型になれるってことは、松里さんも本当は何かの動物で、山の神様なんですか」


「そうよ。アタシは狐」


 松里さんはそう言うと、汐の方を見る。

汐はつんと顔を背けたまま、私たちの方を見ようともしていなかった。

そのままするりと、私の背後の闇の中に隠れてしまう。


 撫でてください、と言わされたことがかなりこたえているようだった。

完全に拗ねている。


 ただし存在アピールとして私の背中に鼻先をちょんとつけている様子が、なんだか可愛い。

うん、ちゃんとそこにいるんだね。


「もう、感じ悪いわねえ。生気の交感はアタシたちには必要なものなのに。いつまでもグズグズして言わない方が悪いんでしょ」


 松里さんは汐の態度におかんむりだ。

だが、汐は完全無視の態度を貫く。

松里さんは呆れたようにため息をついて、肩をすくめた。


「ま、今日のところは帰るわ。説明は今度にしましょ。里ちゃん、家まで送るから……」


「俺が送る」


 そこではじめて汐が松里さんに口を開いた。

松里さんは驚いたように瞬きしてから、ふうん、と呟く。

それからにんまりと笑う様子は、いかにも狐っぽい。


「そ。じゃあ任せるわね。送りオオカミにならないように……あ、猫だっけ」


 余計なことを言うもんだから、背後で汐が毛を逆立てる。

な、仲良くしようよ……、二人とも。


 私はちょっと苦笑いして出ていく山の神様たちを見送った。

ハムスターの神様が、ちょろりと駆け寄ってきて、ちっちゃな手で私の膝の上を叩く。

おやすみなさいの挨拶らしい。

可愛いなあ。


 それらを見送って、部屋に残ったのは私と汐だけになった。

シンとしてしまった空気に、少しだけ戸惑う。

何を話せばいいんだろう。


「あ……あの……。懐中電灯は持ってるから。一人で帰れます」


 言って振り返ろうとすると、背後の黒い影がゆらりと揺れた。

蠟燭の炎に、ほのかに輪郭をあいまいにする闇色。


「祭事の夜は、神気がざわつく。おとなしく、ついてこい」


 落ち着いた低音。

そして私の背後には、いつのまにか黒猫ではない人の姿があった。

思わず、これ以上にないくらい瞳を見開く。

白衣に浅黄の袴。

つやつやの黒髪。

端正な面差し。


「……」


 私はポカンと口を開けて、その人に見入っていた。

……謎の、神主さん?

え……汐は?

私が声も出せずにいると、彼は不審そうに私を見つめ返してくる。


「……汐……」


 名前を呟くと、ああ、と頷きが返った。

それが当然であるかのように、どうした?と。


「汐……?」


 もう一度繰り返すと、瞬きをしてから彼は、自分自身を指さした。


「うん」


 汐は自分。そう示したのだ。

私は驚きがせりあがってくるような感覚で、息を呑んだ。

大きく見開いた双眸を、震えるようにさせてしまってから。


 うそ、と呼気だけで小さく漏らす。

走馬灯のように、汐と彼と出会った経緯が脳裏を駆け巡る。

彼がいなくなると、現れる汐。

昨日もそうだった。

じゃあ本当に、謎の神主さんの正体は黒猫の汐なのだ。


「えええええええええ」


「!?」


 ものすごく遅れてやってきた驚きに、私は声をあげる。

汐こと神主さんは、ぎょっとしたように硬直した。

あ、こういう反応、猫っぽい。

猫って驚いた時とか、一瞬だけど動かなくなるよね。


 神主さんは、驚いた表情のままでいたけれど、次には少しムッとしたように眉を寄せた。


「……にぶい」


 そう言って、立ち上がる。

それから私に真っ直ぐに手を差し伸べてくれた。


「神事の後は、身体に負荷がかかりやすい。……帰るぞ」


 上からな物言いは、汐のつんと澄ました様子を思い起こさせられる。

それで私は、やっと納得できたのだった。

この人は、汐なんだと。


 私がおずおずと手を重ねると、汐はひょいとその手を引っ張り上げるようにする。

びっくりするくらい軽く、私は立ち上がっていた。

そのまま手を引かれて、出入り口に向かう。


「ま、待って、後始末を……」


 私が言うのと、すぅ、と蠟燭の明かりが消えるのとは同時だった。

これって神様の力?

すごい。なんて便利なの。


 私は祭殿の出入り口で草履をはき、先で待っていてくれる汐の後を追う。

月明りだけがあたりを照らす、静かな社。


 いつの間にどこから取り出したのか、汐は提灯をひとつ手にしていた。

それを慣れた仕草で伸ばして開く。

と、火をともしたかのように提灯は月光のような少し黄色みがかかった色の光を宿した。


 それは蛍のようなほのかな光なのに、十分に足元を照らしてくれる明るさがあった。

とても綺麗で、私は見惚れてしまう。


「来い」


 そう言うと、汐は私に向かって掌を上にして差し出した。

私が手を伸ばすと、ゆるく握られる。


「離すな……」


 低く囁くように言われて、私はただ夢中で頷いた。

導くように進む先は、いつもの帰り道と方向が違う。


「そっちじゃ……」


「こちらでいいんだ」


 汐がそう言って進む先には、固く閉じた森があった。

けれど掲げられた提灯の明かりが、その先を照らすと森は身じろぎするように枝葉を開いていく。


「……!!」


 驚く私の目の前で、まるで道が出来上がっていくみたいに視界が開けていった。

木々は、ひれ伏すように汐の前に道を作る。


 ──神様が通るからだ。


 いつもなら、山を避けてぐるりと遠回りする道を、直線で進む。

出来上がったばかりの道は、踏むとほんの少しだけやわらかい。

私たちが通り過ぎると、背後で道が閉じていった。


 すごい、すごい……。

神様の通り道。

とおりゃんせ、というわらべ歌を思い出した。

ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ。そっと通してくだしゃんせ……。

でも、今は神様がお通りするのだから、内緒じゃなくていいんだね。


 気付くと、私は祖母の家にほど近いあぜ道に立っていた。

思わず後ろを振り返る。

感覚でいうと三歩ほどだった気がした。

距離もかかった時間も。


「神様って、すごいんだね……」


 私がため息交じりに言うと、汐は不思議そうに私を振り返った。


「……神様だからな」


 答えになってないけど、らしい気がして少し笑ってしまう。

月明りのような提灯をかかげて、私たちは家路を急いだ。


「明日は、少し体調が乱れるかもしれないから。気をつけろ」


「体調?今はなんともないけど……」


「贄によって、症状がちがうから分からんが。初めての儀式の後は特にひどいらしい。少しとはいえ、生気をもらったからな」


「そっか。わかりました」


 そう言ったものの、色んなことがありすぎていまはまだ夢見心地だ。

注意されたことには、少しだけ上の空だった。

とにかくも、無事に勤めを終えられたようで浮かれてもいた。


 私は猫の神様の生贄になったのだ。

仕事は、ただ撫でてあげること。

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