第7話 業務内容は生贄になることっていうバイト
付け足された仕事の内容に、私は大きく瞳を瞠った。
生贄……って、あの、生贄?
「ええと……。おとっつぁん、それは言わない約束でしょって言って、連れていかれる……」
「それは借金のカタにヤクザに連れていかれるやつでしょ。どっから出てきたのよ、その発想」
すかさず突っ込まれて、私の混乱は少し修正される。
じゃあ生贄って……生贄って……。
「だーいじょうぶよお。生贄っていったって、ただの真似事だから」
「真似事……」
言うと、三重子さんがこっくり頷いた。
松里さんは、笑ってちがうちがうと手をぶらぶら振る。
「毎月ね、そういう祭事があんの。祀られてる山の神に生贄をお供えする、ていう神事。本当に食べられちゃうわけじゃないから安心してよ」
「あ、なんだ……生贄とか言うから、びっくりしました」
「昔々は、本当にやってたらしいけどね。言い伝えでそういうのがあって。でも、その故事も実際に生贄を食べたって話じゃなくて、生贄に娘を差し出されて神様困ったっていう話」
「へえ……なんだか、面白そうな話ですね」
「猫の神様は、いい神様じゃから。悪いことはせんはずよ」
三重子さんが、のんびりとした口調で言う。
こういう田舎には、土地ごとにいろんな昔話があるんだなあ。
「猫の神様って、なんですか?」
私が訊くと、ああ、と松里さんが頷いた。
「この辺りの山神を統べるって言われてる神様。神社に祀られてて、猫の神様って呼ばれてるわ。神様が踏んだ岩とかあってね。猫の肉球みたいな足跡ついてるの。面白いでしょ」
「か、かっわいい……」
猫の足跡ついてる岩。見てみたい。
「じゃあ、バイトしてくれる人が見つかったって連絡しちゃうわね」
「はい、よろしくお願いします」
私はできるだけ丁寧に頭を下げた。
本当にありがたくて、少し胸に込み上げるものがある。
私……バイトという期限付きだけど、仕事が見つかったんだ。
働けるんだ。
「里ちゃん、着物は着方わかる?」
「き、着物は……成人式で着たくらいで」
「じゃ、三重子さんに教えてもらうといいわよ」
「はいはい。簡単じゃから、すぐ覚えられるよお」
「なんだか、色々とお世話になります……」
やや恐縮しながら、私はまた頭を下げた。
三重子さんは、ずっとにこにこしている。
その顔を見ていると、私はだんだんと身体に活力がみなぎってくる気がした。
笑顔ってすごい。
どん底って気分だった私がこうして引っ張りあげられてしまった。
「じゃ、とりあえず後はお布団干して。少し片づけしましょうかね」
お茶会は、実り多く終わった。
私たちはおしゃべりしながら茶器を片付け、家の掃除に取り掛かった。
母屋はかなり広かったけど、松里さんと三重子さんが手伝ってくれたおかげで、ほとんど時間はかからなかった。
生活に必要なものは、祖母が残しておいてくれている。
あらためて、色んな人に助けてもらっていると感じた。
ちなみにお布団を取り込んだら、汐がふかふかになった布団の上に丸くなっていた。
あんまり気持ちよさそうで、動かせなかったりして。
私たちは半眼の怖い顔して眠る黒猫を置いて、お昼ご飯を一緒する。
それでこの日の集まりは、お開きとなったのだった。
◇
二人と一匹が帰ってしまうと、途端に家は静かになってしまった。
チクタクと、古い壁掛けの時計が時を刻む音だけが響く。
飴色に古く変色して落ち着いた色合いの家具。
その戸棚の前に置かれているスマホケースに気づいて、私は瞬きをする。
手に取ると、白いそれには狐の可愛らしいシルエットがちいさく刻印されている。
三重子さんのじゃないよね。
とすると、松里さんのだろうか。
今から追いかけたら、追いつけるかな。
そう思って、私はスマホを手に玄関を出た。
下りのあぜ道を行くと、斜面の陰に茶色の柔らかい髪が見える。
良かった追いつけた、と思って安堵する。
声をかけようとしたのだけれど、ふいに松里さんのものではない声が聞こえて、私は足を止めた。
「勝手なことをしおって」
やや怒気を孕んでいる低い声音に、私は立ち竦んでしまった。
別に自分が叱られたわけではないのに、少しどきどきしてしまう。
咄嗟に、棚田になった畔と田を分ける段差の陰に身を隠してしまった。
そこからは松里さんと一緒にいる人の姿は見えない。
「いいじゃねえか。無意識で、いきなり結界やぶって入ってきたんだろ?あれだけの霊力、ほっとくのはもったいないだろうが」
聞こえてきた声は、たしかに松里さんのものだったと思う。
だけど、口調が全然ちがっていて私は戸惑った。
どうしちゃったの、オネエさん……。
「だからといって、勝手に話をまとめるなと言っている」
「なんで?お前さんだって、気に入ったから、わざわざついてきたんだろ」
答えた低い声には、聞き覚えがあった。
これは……この声は……。
「それとも、俺がぱくっといっちゃって良かったのかよ」
「……黙れ、尾なし」
「ぶふっ……!」
ついさっき私たちと話していた時とは、まるで違う口調だった松里さんの声が、噴き出した。
私は訳が分からなくて、隠れた姿勢のままでいる。
「思い出しちまったじゃねえか、尻尾のこと!……いやあ、あれは傑作だったな。尻尾をきれいに真っ二つって、何の職人だよ。神業すぎ。妄想しすぎ」
「……」
「普通はさ、ああいうの見たら、気味が悪い……とか言うもんだと思ってたよ。今まで」
「……そうだな」
これって、私、立ち聞きしてる。
どうしよう。焦るけれども、今更出ていけない。
仕方なく、息をひそめて私は必死に気配を殺した。
誰と話してるんだろう。
聞いたことのある声。
言葉の内容よりそちらが気になって、私は耳をそばだてる。
「実際、気味が悪いものだろう。人間にとっては」
落ち着いた低音は、それだけ言うと黙ってしまった。
そのまま途切れた会話は続くことなく、静かになる。
やがて気配が離れていくのを感じて、私はやっと詰めていた息を吐きだした。
「……」
なんの話をしていたのかは、断片的すぎてわからなかった。
ただ、あの声には聞き覚えがある。
「……神主さん?」
小さく小さく呟いて、疑問符をつけた。
消えた神社にいた、あの人だ。
だけど──。
「こんなところで、何してるの、里ちゃん」
「ひ……ッ!!」
不意に声をかけられて、私は飛び上がった。
実際に、飛び上がったので上から覗き込むようにしていた松里さんに、ぶつかりそうになる。
うおっ、とかなんとか悲鳴を上げて避けた松里さんの身のこなしは素早い。
よかった、ぶつからなくて。
一度、十分に距離を取ってから、私は少しきまり悪く松里さんを見た。
「あ、あの、私……スマホを届けに……」
本来の用事として、持っていたスマホをそっと差し出す。
松里さんはきょとんと瞬きをしてから、ありがとうとにっこり笑った。
スマホを受け取ると、矯めつ眇めつする。
「なあんか足りないなと思ってたのよね。そっか、スマホ忘れてたのね。アタシのうっかりさん」
そうおどけられて、私は愛想笑いをする。
松里さんはそれ以上は何も言わなかった。
ここにいる私を見つけたってことは、立ち聞きされてたことにも気づいてるはずなのに。
まったく咎められないことに、私はかえって何も言えなくなってしまう。
……今いた人、誰ですか?
立ち聞きの代償は、そう訊くことができなくなってしまった、ということだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます