第5話 黒猫の尻尾は二本ある

「どうしたの……!!何があったの……ッ!!」


 母屋の方へと駆け戻ると、悲鳴が聞こえたのだろう血相を変えた松里さんが飛び出してくるところだった。

鉢合わせする形になった私は、松里さんに向かって抱えていた汐を差し出す。

だらん、と猫特有の伸びる肢体。


「松里さん、汐が……汐が……ッ!!」


「汐がどうか……」


「尻尾が、二股に割れてるんです……!!」


「あっ……」


 松里さんは、ハッとしたように瞳を見開いた。

そして心底、困惑したというように眉を寄せる。

小さく息をつき項垂れた松里さんの様子に、私は彼がこのことを知っていたのだと理解した。


「……そっか。気づいちゃったのね」


「松里さん……」


 私は声が震えるのを押さえられなかった。

くらりと、眩暈がしそうになる。


「ばれちゃったなら、仕方ないわね。こんなこと、言いたくはなかったんだけど……」


「……いいえ」


 私はかぶりを振って、汐をもう一度抱きしめた。

にぁ……という、猫にしてはありえない低音が応える。


「虐待……ですね……?」


「えっ……」


 私が静かに訊ねると、松里さんは驚きでだろう表情を凍りつかせた。

その様子に、残酷な事実に気づいてしまった私は申し訳ない気持ちになる。


 さっきの言葉はたぶん、こんなこと言いたくなかった、ということなのだろう。


「わかりますよ。だって、こんな見事に尻尾を二股にするなんて……。虐待以外に考えられません」


「器用すぎでしょ。どんな包丁技術よ、それ。板前か」


「え……?」


 何かツッコミが来た気がする。

私の反応を見て松里さんは、ぱっと自分で自分の口のあたりを押さえた。

そしてくるりと、こちらに背を向ける。

小刻みに肩を震わせる松里さんは、か細い声で言った。


「……ごめんなさい。ちょっと笑っ……いえ、驚いちゃって」


「松里さん……」


 松里さんにとっても、ショックな事実だったということかな。

それにしても、こんなことをした犯人はゆるせない。


「……ひどいことをする人がいるんですね。でも、そんな目に遭っても、こんなに人懐っこくて」


「……ッ!」


 ゴッ、と何か物音がした。

顔を上げると、自身のみぞおちを拳で殴りつけている松里さんの姿があった。


「……!?」


 どうしたっていうのだろう。

まさか、こんな犯行が行われたことを防げなかった自分を責めてそんな真似を?

だったらもうやめて……!

そんなにしたら、松里さんの腹筋が割れちゃう!


「ご……ごめんなさい、里ちゃんの想像の翼があらぬ方に飛んでいきすぎて、アタシ……」


 松里さんは息も絶え絶えになりながら、そう言った。

なんだか言い訳まで支離滅裂になっている。

これ以上、傷口に触れるような真似はしない方がいいのかもしれない。

そう思った私は、出来るだけ笑顔を作った。


「あの……とにかく、御茶にしませんか。もう、お湯も沸いた頃でしょうし」


 私たちは母屋に戻ると、御茶を淹れる準備を始めた。

玄関を入って、ちょうど家の中心にある部屋。

そこにはテレビや映画でしか見たことのないものがあった。


「私、囲炉裏って実物は初めて見ます」


 私がそう言うと、松里さんはそうでしょうねと笑う。


「扱いは面倒なところもあるけど。煮物なんか作るのには、かえって便利よ。弱火でコトコト。味がしみ込んで美味しくなるのよね」


 わあ、想像するだけで美味しそう。

まだ寒いし、温かいものが欲しくなりそうだものね。


 松里さんが持ってきてくれていた御茶葉で、緑茶を淹れる。

日本茶って、今までそんなに飲む機会がなかったんだけど、こうしてのんびり淹れるとホッとするな。

日本人だから?

遺伝子に日本茶の味が組み込まれてるのかも。


 私たちは囲炉裏端に座って、御茶を飲んだ。

私の膝横に丸くなった汐は、撫でている間に眠くなったのか動かなくなった。

そっと覗き込むと、目を閉じて眠っているみたい。

しかし、切れ長のわりに目が大きすぎるのか、瞼が閉じ切らずに半眼だ。


「……」


 寝顔、こわ……い、いやいやいやいや。

可愛い。可愛いよ、うん。


 そんなことを自分に言い聞かせていると、開け放した障子の向こう、縁側にひょっこり人の姿が現れた。


「こんにちは。たつ子さんのお孫さんがいらさるて聞いとったんじゃけど」


 そう言ってくしゃりと笑顔になったのは、少し腰の曲がりかけたおばあさんだ。

年のころは、おそらく祖母と同じくらいだろうか。


「あら、三重子さん。里ちゃん、こちら、お隣……といっても、ちょっと離れてるけど。お隣に住んでる、三重子さん」


「雨戸があいてるのが見えたもんで。はあ、なんぞ手伝えることはあるじゃろかて」


「あ、は……はじめまして。塚森里と申します」


 私が頭を下げると、三重子さんはやっぱり顔をくしゃくしゃにして笑った。

優しそうな人だなあ。


「里ちゃん、いうんね。たつ子さんが、よう自慢してなさったよ。犬やら拾ってくる、やさしか子じゃて」


「あ……あはは……」


 その犬を拾ってきたせいで、受験を失敗した考えなしです、とは言われてなかったことに安心する。

おばあちゃんたら、御近所さんにそんなこと言ってたんだ。

嬉しいやら照れくさいやら。


「今、ちょうど御茶淹れたところなのよ。三重子さんも、どうぞ」


「ああ、ほじゃら、だいどこ、お借りしようかね。足りんもんがぎょうさんあるかと思うて。色々もってきたんじゃ」


「あ、お茶請け?いいわね、ティーパーティー」


 松里さんがいそいそと立ち上がる。

私も物珍しさも手伝って、御台所に向かった。

三重子さんの指示で、おつけものを切ったり。お皿に盛ったり。

即席のティーパーティーメニューが完成。


 あらためてお茶を淹れなおし、私たちはありがたく三重子さんからの差し入れをいただくことにした。

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