第4話 おばあちゃんの家はなぜか懐かしい

 そんなに遠くない、という言葉の通りに祖母の家に到着する。

見た目は古い日本家屋だ。

母屋と離れがあるけど、どちらもそんなに大きな建物ではない。


「はい、これが鍵」


 そう言って渡されたのは、キーリングにふたつついた鍵だった。


「電気もガスも水道も、通してもらってあるから。他にも何か必要になったら言ってね」


「ありがとうございます」


 鍵穴にキーを差し込んで回す。

二年ものあいだ使っていない筈だけど、鍵はするりと回った。

まるでつい昨日まで、使ってたみたい。

横開きの扉は、からりと軽い音を立てて開いた。

途端に肩に乗っていた汐が飛び降り、室内へと駆け出す。


「あ、待って、汐……!!」


 黒猫は締め切られた室内の闇に、溶けて見えなくなる。

私は慌ててカートを玄関にたてかけて、靴を脱いだ。

汐を追って土間から中へとあがる。


「雨戸開けて、空気の入れ替えしましょ。そっち側からお願い。開け方、わかるぅ?」


 後ろから入ってきた松里さんが、室内灯のスイッチを探り、つけてくれる。

パチパチと軽い音の後に、部屋が明るくなった。

汐の黒い後ろ足が、奥の部屋へと駆け込むのがちらりと見える。

私はその後を追いかけた。


「はい、大丈夫だと思います」


 家は、古い家に特有の匂いがした。

少しホコリ臭くて、畳の匂いや木の匂いや、色々なものが混じった匂いがする。

なぜだか、ひどく懐かしい感じがする匂い。

雨戸をあけていくと、それは少しずつうすらいで消えていく。

でも完全には消えない。


 吹き込んだ柔らかい風は、お日様の匂いがする。

それが混じる空気を吸い込むと、私は唐突に思い出した。

家の匂いと、外の空気と、陽の光が混じった匂い。

これ、おばあちゃんの匂いだ。


 雨戸を開いて障子を開け放つと、家の中にまで陽射しがとどく。

ホコリがきらきらと舞うのを見ながら、松里さんが言った。


「掃除はしてたんだけどな。後でちゃんとホコリはらわないとダメかしらネ」


「そんな、十分綺麗です。こんなにきちんと管理してもらってると思いませんでした」


 汐が、ふんふんとあちこちの匂いを嗅ぎながら戻ってくる。

まるで警備員だね。

見回り、おつかれさま。


「ま、掃除は後回しにするとして。ちょっと、さきに御茶でもいれましょうか。使い方教えるものもあるし」


 松里さんに手招きされて、私は台所に向かう。

古い板敷になったそこは、少しぎしぎしいうけれど気になるほどでもない。

ワンルームのマンション住まいだった私には、ものすごく広く感じた。


「土間にかまどとか残してあってちゃんと使えるみたいなんだけど。さすがに、カマドは動かしたことないわよね?」


「見るのも初めてです……」


「あはは、そうよね。……たつ子さん、綺麗に使ってたから。あんまり掃除の手間もないくらいだったんだけど」


 松里さんは、てきぱきとお湯を沸かす準備をしている。

しばらく水を流して、古い水を抜く。


「そういえば、荷物、ずいぶん少なかったけど。滞在は短いの?」


 問われて私は、いえ、と首を振った。


「私、住んでいたアパートが火事になって。荷物はほとんど焼けちゃったんです」


「あら、大変」


「それもあって、しばらくはこちらに御厄介になると思います」


「御厄介だなんて。たつ子さんの家なんだから、里ちゃんの家でしょ。でもお仕事とかどうしてるの?」


 こんな田舎からでは通いは無理だろうと思ったのだろう。

訊ねられて、私は少し答えに困った。

言わなくちゃ。

就職活動に失敗しちゃって、無職なんです。

軽く言ってしまえば、なんてことない筈。

なのに、喉の奥で引っかかったみたいに、言えなかった。

黙っていると、松里さんは急に話題を変える。


「あ、やだ。茶器の置いてある場所わかる?戸棚にあったかしら」


「あ、たぶん……」


 何か察してくれたのかもしれない。

少しホッとしながら答えると、松里さんは笑いながら手を振った。


「じゃあ、出しておいてネ。一応、洗わなくっちゃ。勝手が分かっててくれるの、助かるわ」


「でも、私、この家に来るの初めてなんですよ」


「そうなの?あ、それじゃあ離れも見たことないのかしら」


「離れ……?」


 訊き返すと、松里さんは意味ありげに含み笑いをした。

そして玄関の方を指さす。


「お湯を沸かしている間に、見てらっしゃいな。鍵はもうひとつの方だから」


「あ、はい……」


 なんだろう。

でも含み笑いの意味が気になったので、私はちょっと見に行ってみることにする。


 玄関に戻って、そこから母屋の裏手に回った。

すると簡素な竹でできた柵の間に、細い道が続いている。

祖母が亡くなって二年経つというのに、庭は荒れていない。

本当にすごくきちんと管理していてくれたんだなと感じた。


 いつのまにかついてきていた汐が、先導するみたいに前を歩く。

すっかり警備員だ。いや、ボディガードかな。

離れらしい建物の前にちょこんと座って、私を待っている。


 私は離れのドアに鍵を差し入れた。

やはり、待っていたようにドアが開く。

少し小さめのドアの向こう側は、小さく区切られた玄関、その向こうは広々としたフローリングの床だ。


 窓も広い。天井が高い。

外見は普通の民家だったけど、中は妙に小洒落たログハウスのような仕様。

家具は置かれていなかったけれど、あちこちに置かれたクッションが、これまたカラフルで可愛らしい。


 一目見て、わかった。

この部屋は子供が来るのを待っている部屋だ。

幼い子が遊びにきてくれるのを、待っている部屋だ。


 私は部屋の真ん中に座って、なんだか呆然と天井を見上げた。


「……おばあちゃん」


 呼ぶと、きゅっと心臓が痛くなる気がした。

祖母はもしかして、ここに私たち孫が遊びに来るのを、待っていたのだろうか。

私たちは祖母から訪ねてきてくれる気安さに、甘えてしまっていたのではないか。


 なんだか居た堪れないような気持ちになる。

重ねておいてあったクッションのひとつを手に取り、ぎゅっと抱きしめた。

そして、私はごろごろと床の上を転げまわった。


 なんだ、この気持ち。

もうもうもうもうもう、すごい駄目だ。

切ない、なつかしい、色々な感情が一度に込み上げた。

ずっとほったらかしにしていたくせに。

なんて身勝手なんだろうと思いながら、勝手な自分を恥ずかしいと思いながら、溢れてきたものが止められなかった。


 今、おばあちゃんに会いたい。

そして、この場所を残していてくれて、ありがとうと言いたい。


 亡くなったのなんて二年も前で、生きている間にもっともっと会いに来たりできたはずなのに。

今まで何してたの、私。

こんな自分が弱ってるときだけ、甘えさせてもらってたことに気づくなんて。


「……」


 気付くと、汐が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

ごめん、何こいつって思ったよね、たぶん。

起きなきゃって思ったんだけど、まだ気力が戻ってこない。


 私、意外とダメージ大きかったんだな、このところの不運つづき。

平気なつもりでいたんだけど。

思いながら瞬きをしたら、ふいに汐が私の頬を舐めた。


「……!!」


 そうやって、涙をぬぐってくれる。

それに気づいたら、また涙が止まらなくなってしまった。


 けれど猫に慰められているんだと思ったら、だんだんと笑えて来て涙は乾いていく。

思わず、両手を伸ばして黒猫を胸の中に抱きしめる。

「……ありがとうね」


腕の中で汐は少しだけ逃げようとしたけど、私がそう言うとおとなしくなった。

まるで言葉を理解しているみたいだ。

そう思いながら、ふにゃんとして温かい身体を抱きしめる。


 ……抱きしめる。


 抱きしめ……る……?


「……えっ!?」


 そして、違和感に私は大きく瞳を見開いた。


「……ッ、いやああぁぁぁぁぁッッ!!」


 大きく悲鳴を上げて、私は靴を履くのももどかしく汐を抱いたまま外へと駆け出す。


 だって、驚いたのだ。

ちゃんと見ていなかったから、今まで気づかなかったけれど。

汐のお尻からは、ありえないものが見えていた。


 うそ、うそ、うそ、ありえない。

長くクルンと巻いた尻尾は、二股に分かれていたのである。

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