オラニエ公の最期 ~近世を夢見た公爵、凶弾に散る~
玄納守
第1話 ジョアン・ジョルギュレー事件
オラニエ公ウィレムは、別名「沈黙公」と呼ばれている。
が、その名とは裏腹に、やたらとお喋りな公爵だった。
いや、既に爵位もはく奪されている。なので「公」をつけること自体、おかしな話だ。爵位もないのだから、領地も当然持ってない。
持っているものは……そうだな。子宝には恵まれている。そして、兄弟。最後に人望。ただそれだけで、このネーデルラント紛争を生き残っている。
これだけで生き残れるほど、生易しい時代ではないが、オラニエ公は「偶然にも」生き残り、今も精力的に多くの人々と会談を望んでいる。話し合いこそが、解決の糸口につながると信じて疑わない。
スペインの属州を統一した新国家の樹立。
それが彼の夢だった。
だから、私は雇われた。ネーデルラントの戦いに古くから関わるロジャー・ウィリアムズ老隊長に、直々に請われ、オラニエ公の護衛を引き受けることになったのだ。
何故ならば、オラニエ公には、二万五千エキュ(当時のフランスの通貨単位。1エキュが現在価値で三千円)の賞金がかけられている。それだけ高額になると、訪問客の中に、暗殺者が混じることもあり得る。
「いざという時の為に『盾』になってくれ」
それが老隊長の依頼だった。
ところがだ。オラニエ公は、朝から晩まで、人にお会いすぎなのだ。
起きるとともに陳情者の数を聞き、朝食を街の有力者と一緒に食べ、その後は陳情者の話を聞き、昼には家族と軍部の者と食事をとり、また昼下がりには陳情者とお茶をし、夕方には諸外国との使節と話をし情報を仕入れ、また夜まで陳情者の話を聞く。
それもこれも「ドアの全てを開け放つ」という彼の姿勢が、そのような事態を招いている。
「さすがに、一日に三十人以上の方に遭うとなると、安全を保障できません」
ついに侍従武官を代表して、苦情を言わせてもらった。
オラニエ公は笑った。
「ローデヴェイク。そうじゃないんだ。私は安全な場所に身をおいたとしても、目的を達成できなければ、私は誹りを受けるだけなのだ。ただ生きているから皆に敬意を払われるわけではないんだ。危険を顧みないからなのだよ。だから、君にも迷惑をかけると思うが、それは仕方がないことなのだ」
ローデヴェイクとは、私の名だ。そして亡くなった彼の弟の名でもある。オレニア公は、自分の弟のように私を可愛がってくれたが、私の意見を聞くことはなかった。
なるほど。ただ生きているだけの公爵であれば、誰もこのように会おうともしないだろう。彼はこのネーデルラントの希望の光だった。
あのハールレム陥落後、オラニエ公は常に身を危険に起きたがっている。隠れて後ろで政治工作をするよりも、街々を回って支援を呼びかけることに積極的になった。それがゆえに、ネーデルラントは、辛うじて勝ちを拾い続けている。
ハールレムのように単独でスペイン軍に対抗するよりも、街々が協力し合って、強力な軍を維持して戦わなくてはならないというのが、オラニエ公の信条の基礎でもあった。それは「分裂すれば我々は倒れる」と言う言葉で示された。
以来、オラニエ公に賛同するネーデルラントの街は……いや、スペイン軍を嫌う街は、オラニエ公の旗の元に集結し、新たな国家となろうとしていた。一つの強力な国家として成立させ、内乱ではなく戦争に仕立て上げようとしていた。
そうすることで、諸外国の援助を受けやすくする狙いもあったらしいが、そういう政治的な話は、侍従武官のするところではない。
「ですが、それでは、また、ジョアン・ジョルギュレーのような男が現れても、阻止できませんよ?」
私にとっては、オラニエ公の命が、この戦争の勝敗を分けることだったからだ。
さすがにそういうと、オラニエ公は、まだ癒えかけの頬を撫でた。暗殺犯ジョアン・ジョルギュレーにつけられた傷だ。
「だが、君は既に五名の暗殺者を事前に捕まえてくれたではないか」
「五名もですよ? 今もなお、この屋敷は誰かに狙われ続けていると思っていただきたいのです」
賞金首としての自覚がないのだろう。
最初の暗殺者ジョアン・ジョルジュレーは、訪問客を装って、至近距離からオラニエ公を狙った。まだその頃は、私は侍従武官ではなく、屋敷の外で銃声に気付いて駆け付けた一人だった。
あの時、銃声は二つした。一つは室内。もう一つは屋敷の見張り塔からだった。
ジョアン・ジョルジュレーの右手に握られた短銃から、その凶弾が放たれ、オラニエ公を撃ち抜いた。
そしてもう一つの弾は、そのジョアン・ジョルジュレーの右手を撃ち抜いた。
窓の僅かな隙間から狙撃されたのだ。最初は、ジョアンの銃の暴発と思われたが、後に、見張り塔の兵士が、ジョアン・ジョルジュレーが短銃を出したのと同時に撃ったと言い出した。
その兵士は、少し長めの銃を使う初老の元猟師で、各地の戦場を渡り歩いていた腕の良い銃士だった。名をロンバウトと言った。
「申し訳ねぇ。気付いたのが遅れた」
と、その狙撃手は心底悔しそうに謝ったが、お蔭で、ジョアン・ジョルジュレーを生きて捕まえることが出来た。驚くべき射撃術だった。
このジョアン・ジョルジュレーの供述によって初めてオレニア公に莫大な賞金がかけられていたことをネーデルラント陣営は知った。
そのジョアン・ジョルジュレーの放った弾丸は、オラニエ公の口から頬に抜け、オラニエ公に瀕死の重傷を負わせたが、奇跡的に一命をとりとめた。ただし、約半年もの間、彼をベッドの住人としてしまったのだ。
それだけではない。
その看病にあたった、オラニエ公夫人、三番目の奥方で、ネーデルラントの紛争以来、ずっとオラニエ公を支え続けたシャルロットを、看病疲れで亡くならせた。
その衝撃は、一時的に、彼を「沈黙公」の名に相応しい程の寡黙さを与えた。
これがロジャー・ウェイリアムス隊長から、私に「盾となれ」と願われた経緯でもある。
★★★ 作者より ★★★
急にネーデルラントやら、オラニエ公やらの固有名詞満載で申し訳ないです。
この短編は『古文書屋文玲堂日記 ~その侍は欧州最弱の城で、いかにして世界最強の陸軍を迎え撃つのか~』の末尾にちょろっと書いた、「オラニエ公最後の日」を急に着想を得たので、書くことにしたものです。
なんのこっちゃとなる方もいらっしゃると思いますので、『古文書屋文玲堂日記 ~その侍は欧州最弱の城で、いかにして世界最強の陸軍を迎え撃つのか~』のURLを貼ることをお許しください。
https://kakuyomu.jp/works/16817330649344730701
なお、こちらの短編小説はコンテストに出ていませんので、遠慮なく、ご意見くださいませ!
全部で三回で終了になります。(申し訳なく。この投稿の時点で三回の予定でしたが、第三回だけが異常に長めになっていたため、全四回にしました。)
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