第11話 離散 その1



 さつきの病状は、その後も悪化の一途をたどっている。


 薬師の源安は、さつきの病は父親の平太が姿を消した不安からくる心の病で、特効薬はない、という。


「平太が戻ればさつきは良くなる、と源安は言うが。しかし二階堂山城判官の屋敷を襲って平太を奪い返すわけにもまいらぬし……。かといってこのままではさつきは死んでしまう」


 義盛は一計を案じた。


 義盛の孫に三郎朝盛とももりという男がいる。平太より十歳ほど年下だが、顔は平太と非常によく似ていて、ぱっと目には親族でも間違えることがある。


 その三郎に平太の装束を着させて、さつきの看病をさせることにした。


「……さつき」


 天留はさつきの頬に手を当て、耳元でそっと囁いた。


「……ててさまじゃ。そなたの父さまが戻られたぞよ」


「……父さま……? 父さまかえ……?」


 さつきは薄目を開け、寝具の中の手を動かそうとした。


 それを見て、天留は三郎に目配せしながら頷いた。


「父さまはここじゃ」


 三郎は上掛けの中に手を入れて、さつきの手を取った。


「……父さま」


 さつきはうわごとのように呟き、三郎の方に目をやった。が、その時。


「父さまじゃない! 父さまじゃない!」


 さつきは発狂したかのように泣き叫び、三郎の手を振りほどいた。そして次の瞬間にはぐったりと横たわったまま、いかなることにも反応しなくなった。




 鎌倉を囲う山々に自生する山桜が散り始めた三月二十一日、さつきは看病の甲斐なく、天留や三郎などに看取られて、ひっそりと息を引き取った。和田一族の面々は、さつきの亡骸にすがり付き、泣き咽ぶ天留に掛ける言葉もない。


 さつきの葬儀は一族挙げて執り行った。参列者は和田一族や三浦党の他に天留の親族である横山党の面々も加わっている。


 横山党は武蔵横山荘を本拠地として、相模国北部や甲斐国東部にも勢力を持つ大族で、小野姓を名乗り、小野おののたかむらの後裔を称している。篁は漢詩を能くし、和歌の名手でもあり、小倉百人一首には「参議さんぎたかむら」の名で作品が収録されている。なお小野一族には、いにしえの遣隋使けんずいしで、聖徳太子の「日出處天子致書日沒處天子無恙云云(日の出づる所の天子、日の没する所の天子に書を送る。つつがなきや)」という国書をずいの皇帝に手渡して激怒させた小野妹子や、絶世の美女だったとされる小野小町などの著名人がいる(*註)。


 彼らはさつきの見舞いのために五十人ほどの人数で鎌倉にやってきて、数日前から義盛の屋敷に逗留している。


 天留は横山党の総帥横山よこやま時兼ときかねに声を掛けられると、直垂ひたたれの袖にすがり、泣き崩れた。


 その姿を見て、さつきの葬儀に参列した人々は涙し、彼らの心中には、


 ──なぜ天留だけこんな目に遭わねばならぬのだろう。むごい運命だ。


 という思いが渦巻いた。


 さらに、多くの人々は憤慨して、


 ──北條が、相州がいなければ、平太は流人にならずに済み、さつきも六歳で死んでしまうことはなかった。酷い話ではないか。


 とも言い合ったが、一部の人の胸には、


 ──相州という悪霊に憑りつかれた和田家は、今後どうなってしまうのだろう。


 という不安感が頭をもたげ始め、それが他の参列者にも伝染して暗い影を落としていた。


 このあと天留は母屋とは別棟の奥深くに引きこもって、さつきの位牌と平太の残した物を胸にいだきながらひっそりと暮らすことになった(*註)。



*註釈 


 小倉百人一首 ── 歌人で能書家としても知られる藤原定家さだいえ(「ふじわらのていか」としても知られる)が選んだ秀歌撰で、十三世紀前半に成立。小野篁の他に小野小町や源実朝の歌も採録されている。彼らの収録歌は次の通り。

 ◦小野篁(参議篁)「わたのはら 八十島かけてこぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣船」

 ◦小野小町「花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまに」

 ◦源実朝(鎌倉右大臣)「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」


 「天留は……暮らすことになった。」 ── 天留は娘の死後、和泉いづみ阿闍梨あじゃりという僧のもとで落飾した──、としている文献があるが、夫が流刑になる罪人に落ちぶれたとはいえ、まだ存命のうちに、娘の死だけで妻が出家するとは考えにくい。個人名が出ているので若干の信憑性は感じないこともないが、筆者はこの説を採らず、天留は俗世に暮らしているものとした。



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