第10話 みちのく その2



「……夫はいつ彼の地に参るのでしょう」


「分からぬ。が、恐らく相州は我らが襲撃して平太を奪い取ろうとする、と思うておるじゃろうから、いつ、とは表立って言いはせぬじゃろう」


「お咎めが解けることはないのでしょうか」


 義盛は厳しい顔つきでゆっくりと首を横に振った。


「残念ながら、ない。相州は何を考えておるのか容易には分からぬ男じゃが、少なくともあの者自身の利益にならぬことはせぬ。平太を解き放てば我ら和田一族の恨みも解けるが、どうやらそれは彼の者の利にはならぬようじゃ」


「……どういうことでしょう」


「そもそもあの者に平太を流刑にする権限などない」


「え……?」


 天留は驚いた。彼女は、てっきり義時が「執権」という最高実力者の権限で平太の処分を決めたと思っていた。


「罪人を捕らえるのは侍所別当であるわしの仕事で、罪人の処分を決めるのは宿老に名を連ねる御家人の合議、それを鎌倉殿が認めて、初めて処分が科せられるのじゃ」


「ならばなぜ、相州さまは我が夫にそのようなことをするのでしょう」


「それがすなわち彼の者の為になるからじゃよ。かようなことを敢えてして、我らを怒らせてしまうことが相州の利益になる、ということじゃ」


「……?」


「我らが力を持ち過ぎたということじゃ」


「……力を持ち過ぎた?」


 義盛はゆっくり頷いた。


「わしは三浦の分家じゃが、佐殿すけどのの厚恩を受けて侍所さむらいどころ別当べっとうになり、地頭職もいくつも貰った」


「………」


「わしの弟や子供たち、さらには孫世代もそれぞれ御家人として取り立ててもらい、さらには領地ももらい、我らは三浦を含めずとも中堅どころの一族になりつつある。勢力としては北條一族より上じゃ」


「……はい」


 確かにそうかも知れない、と天留は思った。和田一族は北條家のように一国の国主になっている者はいないが、領地は本貫というべき三浦半島や安房国以外にも上総国や武蔵国、越後国などと、かなり広範囲に広がっている。


 和田家の勢力増大には、義時も相当に恐れを抱いていたようである。義盛は数年前からたびたび上総国の国司(*註)に任命されることを願い出ているが、それに対して義時は姉で頼朝未亡人の政子に手を回し、「御家人が国司になった前例はない」などと言わせて却下しつづけている。その一方で、身分上は一御家人であるはずの北條一族は、自ら相模守や武蔵守などに任官し、受領となっている。


「我らがいる限り、相州は簡単には思いのままの行動をとることができぬ。勝手なことをすれば我らに尻を噛みつかれるからな」


「それで相州さまは……」


「そういうことじゃ。おそらく相州は、この一件を足掛かりにして、われら和田一族、ひいては三浦党を蜂起させたうえで、比企能員や畠山重忠のように滅ぼそうと考えているのじゃろう」


「ひどい……」


「相州とはそういう男じゃ……」


 泣きそうな顔を両手で覆い俯いた天留を眺めながら、義盛は溜息をついた。



*註釈


 上総国の国司 ── 国司は朝廷が任命する「国」の行政官で、行政のみならず警察権や軍事指揮権、司法権、徴税権、祭祀の施行に至るまでの権限を持ち、強大な権力を保持していた。最上位は「かみ」で、以下「すけ」「じょう」「さかん」の階級がある(四等官)。

 これらは都に住む貴族が任命されるのが一般的だったが、その多くは任地に下向せず、一族や家人を代官として下向させ、統治を任せていた(遥任ようにん)。

 なお、国司のうち実際にその地に赴任した者の最上位を受領ずりょうと呼ぶ。上総は親王しんのう任国にんこくといい、天皇の子息が国司(上総守かずさのかみ)に任命されることになっていたので、臣下がなれる受領の最高位は「上総守」ではなく、「上総介かずさのすけ」になる。

 戦国時代の覇王・織田信長は、一時「上総守」を自称していたが、後に改めて「上総介」とした。



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