第8話 さつき その2



 平太が二階堂行村の元へ引き立てられたその日のうちに、義盛は平太の屋敷にやってきて、沈痛な面持ちで天留に向き合った。


「ここへ来る前に御所に行ってきた」


「……御所、……でござりまするか?」


「左様。平太の解き放ちを願いに行ってきた」


「………」


「そなたには申し訳ないが、平太はもはやここには戻っては来ぬ」


 義盛は先ほど御所であった出来事を天留には敢えて告げず、これだけを言った。


 ──夫は、もはや戻って来ぬ……。


 天留は一瞬のうちに自分の体から血の気が引いたのを感じた。狂乱しそうな心を抑えて、義盛に訊いた。


「……我が夫はどちらに」


「今は二階堂山城判官の屋敷に閉じ込められているはずじゃ。しかし、いずれ二階堂の領地のうち、いずれかに流されるであろう」


「流される……。流刑……、ということでござりましょうか……」


「うむ」


 義盛は目を伏せ気味にして頷いた。


「……どちらになりましょうか」


「分からぬ。じゃが、山城判官は最近陸奥むつに新恩の地を宛てがわれたようじゃ。平太はそこに流されるやもしれぬ」


「陸奥……、遠きところにござります……」


 武蔵国に生まれ、相模国の鎌倉に住んでいる天留にとって、世界と言えば南関東のみであり、陸奥国は唐天竺からてんじくか、空に張り付く月のように遠い地の印象がある。


「うむ、遠い。地の果てのように遠い所じゃ」


「夫はどうなるのでしょう」


「流されてからどうなるかは分からぬ。だが、流人をそのままにしておいても碌な事にならぬのは、佐殿すけどのの例が証明しておる」


 佐殿とは源頼朝のことで、若かりし頃に右兵衛うひょうえ権佐ごんのすけという官位を持っていたため、古くからの従者には今でもこう呼ばれている。また、征夷大将軍せいいたいしょうぐんに補任される前に右近衛うこんえの大将だいしょうに任じられたこともあったため、右大将うだいしょうとも呼ばれる。


「……しかし、失礼ながら和田一族は右大将さまのような貴種ではござりませぬ」


「まあそうじゃが──」


 天留の正直な物言いに義盛は苦笑し、首筋を掻いた。


「だが、あいつには気概がある。放っておいたら配流先で仲間を作り、兵を挙げて鎌倉に攻め込むやも知れぬ」


「………」


「まあ、そんな男だからこそ、相州も恐れて平太だけに罪を着せたのじゃろうが」


「そうでしょうか」


「そうじゃろう。わしが相州でも、平太のような男は放免しない。味方にすれば心強い男じゃがな」


「………」


 天留は深く溜息をついた。


「わしとしても平太が無事でいられるように手を尽くす。そなたが配地で一緒に暮らしたいと思うのなら、そのように手配するつもりじゃ」


「ありがとうござりまする。でも、それまで私はこの屋敷にいてもよろしいのでしょうか」


「それは大丈夫じゃろう。咎人の屋敷は一族に渡されることになっておる。ただ、相州は何を仕出かすか分からぬ男じゃ。無理矢理取り上げられることのないように、代官とわしの家人を幾ばくか置いておく。代官は、ほれ、そなたも知っておるじゃろう、久野谷くのや彌次郎やじろうじゃ」


 久野谷氏は鎌倉の南東にある逗子の出身で、古くから三浦家の郎党になっている。彌次郎はその一族で、父親の代から義盛に仕えている。


 天留は謹厳実直な彌次郎の顔を思い出そうとして思い出せず、いささかうろたえた。その様子を見て、義盛は皺だらけの顔を崩した。


「彌次郎はどこにでもいるような男じゃからな、そなたが思い出せなくても無理はない」


「申し訳ござりませぬ……」


「まあ良い──」


 義盛は立ち上がり、ふと思いついたように坐り直して天留に訊いた。


「ところで、さつきの具合はどうじゃ」


 天留は首を横に振り、下を向いた。


「良くないのか」


「……熱が高くうなされて、父御ててごはどこじゃ、と、うわごとを言っておりまする」


「左様か。……あの娘は平太のことを好いておったゆえ、寂しく思うて心を病んだのじゃろう」


「はい……。見舞って行かれまするか」


 義盛は少し間を置いて首を振った。


「いや、今日はやめておく」


「左様でござりまするか。……しかし、我が夫のことながら、余計なことをしてしまったものだと……」


「いやいや、あれは泉小次郎の不手際であって、平太は何も悪くない。気概ある者、正しき行いをせぬ相州を討つ機会があれば討とうと思うのは当然じゃ。それが侍というものじゃ」


「でも、止めればよかったのではないかと……。さつきを見ると、それが切なくて切なくて、やり切れませぬ」


「その気持ちは分かるがな、平太はそなたが止めたところでとうとしたであろう」


「………」


 天留は顔を伏せ着物の袖を目頭に当てた。


「そなたは疲れておる。さつきのために薬師くすしの源安を寄越してやろうと思うておったが、そなたもついでに見てもらうがよい」


「ありがとうござりまする」


「うむ、息災でおるのじゃぞ。わしもできる限りのことはする」


 義盛は、肩を震わせ涙を堪えている甥の嫁を見るに忍びなく、殊更に足音を立てて屋敷を出て行った。



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