7章 特訓! 夏合宿は突然に
第36話 アデュー、俺の平和な夏休み
「平和だなぁ」
1人で居るにはゆとりのあるリビングで、俺はそう零した。
テレビから聞こえるのは、競馬の実況中継だ。
高揚した実況者と解説者の語り、それから沸き立つ観客の声援が部屋に響く。気休めに開けた窓からは、走る馬を応援するかのような蝉の猛りが聞こえてくる。
俺の推し馬はラストスパートで次々と抜かされ、4位に甘んじた。
「はぁ~あ、今回はいけると思ったんだが」
折り畳みのテーブルに突っ伏す。
広げた新聞の、インクの匂いに安心感を覚える。
髪を揺らす扇風機の風が心地いい。
毎年の夏と変わらない、ごく普通の日常だ。
ここ最近、イレギュラーな出来事が起こりまくってるからな。
主にあいつの……あいつらのせいで。
「まっ、今は居ないんだし」
身体を起こし、大きく伸びをする。
最近運動していなかったせいか、身体中の関節がポキポキと鳴った。燻っているみたいだ。
明日は久々に、パチ屋に顔を出すとしよう。
なぁに金ならある。最近ザラメが、夏休みシーズン限定の短期バイトに励んでいるおかげで、郡家の貯蓄は潤っているのだ。
使ってやらなきゃ、もったいねぇよな? そんでもって、倍に二乗にぼろ儲けよ!
外を見れば、青空がどこまでも続いている。
俺の夏は始まったばかり。願わくば、こんな穏やかな日々が続いてくれりゃあ——
「海ですよ!! 郡さん!!!!」
「続いてくれよ!!」
ドアを勢いよく開け、入ってきたのはウキウキ笑顔のザラメだった。
死んで潤いの無い目が、光を反射する
「海に行きましょう!!」
「急になんでだよ」
俺が尋ねると、ザラメは陶酔しているかのような声音で語りだした。
「ザラメ、気づいたんです。郡さんのお世話もし、ご近所づきあいも完璧。カフェのお客さんもちょっとずつ増えてきて、バイトでの評判も上々……今や人気者のザラメですが、足りないものがあるって」
「頭だろ」
「足りてますよぉ!」
ほんとかぁ?
とてもそうは見えないんだが。
「それはそうと……なんだと思います?」
俺の眼前に満面の笑みを突き出してくるザラメ。
「ほらほらっ、なんでしょーか?」
「知らんて」
「答えをどーぞ!」
「だから知らんて」
首を右へ左へ振り、ザラメの顔を視界から外す。
するとザラメ。顔を離したかと思えば、こんなことを言いやがる。
「なるほど~、やっぱり郡さんには難しすぎましたかぁ~」
腕を組み、うんうんと頷くザラメがうぜぇ。
しかもこいつ、すっげぇニヤニヤしてる。優越感にどっぷり浸ってやがるよ。
そんな余裕ましましのザラメに俺は口出しする。
「じゃあ言ってみろよ、その“足りないもの”ってやつを」
しょーもなかったら鼻で笑ってやろ。
固く決意する俺に、ザラメが自信たっぷりに口を開く。
「正解は…………ずばり、キョンシー
「はっ」
「なんですかその反応?!」
鼻で笑ってやった。だってしょーもなかったし。
「で、その心は」
「ザラメ、ちょっと人間社会に馴染みすぎちゃったと言いますか。キョンシーなのに、やってることは普通の人と変わらないですし」
確かにそうだ。
朝起きて飯食ってバイトに行って。買い物袋を提げて帰って来て、風呂に入って寝る。
ザラメの1日を振り返ってみても、特にキョンシーらしいものは無い。
「ザラメ、これでも神から人々を守る存在なんですよ。なのに、それっぽいことを全然できてない気がするんです」
そこはまぁ、敵対するはずの神サイドにも問題があると思うが。
「郡さんにも、全然畏れられてないですし」
「畏れてほしかったのかよ」
「畏れるというか、もっと崇めてほしいなぁって」
いや、だってザラメだし。
畏れ崇めるとか無理だろ。
「というわけで、明日から合宿に行きます! 海で夏の猛特訓です!!」
「おうがんば~。俺は自宅の警備しとくから、思う存分特訓してこ〜い」
「もちろん郡さんもですよ?」
「はぁ?」
「それがですね。泊まるところ、定員4人以上が条件だったので、もう名前書いちゃいました♪」
「はああああああああああ??!!」
聞いてねぇんだが?!
「何勝手に決めてんだよクソザラメ!!」
「だって郡さん! ザラメが居ないってなったら、これ幸いと預金残高削りまくるじゃないですか!」
「当たり前だろーが。鬼の居ぬ間に使うんだよ!」
すると火の粉が俺の顔面に命中!
「あっづ!!」
ザラメお手製の、緑の炎だ。
相変わらず感情任せに打ちやがってお前……!
「鬼じゃなくてキョンシーですっ!」
「そこかよぉ?!」
そうして俺の穏やかな夏は、唐突に終わりを告げるのだった。
…………平和だったなぁ。
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