第34話 お返し、初めてはラムネに奪われる

 夜が明けていく。

 地平線からの朱い光が暗闇を溶かし、町はゆっくり目覚めていく。緩やかに晴れる景色。だが、俺の心は全く晴れやしない。


 何せよく分からん異変の調査をやる羽目になり、それはもう散々だった。

 しかもその異変の主犯の1人が、俺たちを調査に駆り立てた張本人だと知ってみろ。

 憂さの1つでも晴らしたくなる。

 

「モゴゴガボっ!」

「これはミドウに身体引っ張られた分! これはスプリンクラーで服がお陀仏になった分!」


 と言う訳で俺は今、適当にこしらえたパイプ椅子に佐藤を縛り付け、冷蔵庫に入っていたラムネ瓶をこいつの口に片っ端からぶっ込んでいる。

 さっきまでは自制できていたのに、今は激情が抑えられない。自白をこの耳で聞いたからか、はたまた大義名分を得たからか。

 

「これは今日の午後パチスロで12万飛ばした分! これはその後ザラメにバレてじっくりコトコトされた分!!」

「ぷはっ、それ僕関係ないよね?!」

「徹夜で頭が冴えなかった。すなわち異変のせい、結論お前のせい」

「理不尽!」

「とにかく、やられっぱなしは気に食わねぇの!」

「なっ、なんだよそれぇ」

「今助けますよ、佐藤さん!」


 最初こそ佐藤にプンスコだったザラメだが、流石に見かねたらしい。俺の背に掃除機を押し付ける。


「ここぞとばかりに、メイプルちゃんの出番です! ……全然吸えない!!」


 身構えたが、思ったよりも吸引力が低い。

 

「だったらザラメが引っ張って……コスズちゃんも手伝ってください!」

「ラムネ……いいなぁ」

「羨ましがってる場合じゃないです!」


 コスズは物欲しそうに俺たち……というかラムネ瓶を目で追っている。ああなったらテコでも動かねぇんだよなぁ。


 1人掃除機を引っ張りながら、ザラメは嘆く。


「さっきまでの勢いはどうしちゃったんですかメイプルちゃん!」

「俺じゃお気に召さないんだろ」

「グルメがすぎますぅ!」


 とはいえ、風力が無いわけじゃない。力を抜けばバランスを崩しちまうから、足の裏に力を込めて踏ん張る。

 と、その隙を見て佐藤が顔を横に向け、視線の先のザラメに叫んだ。

 

「ザラメちゃん、炎! いつも郡を燃やしてるアレ出して!!」


 藁をも掴むかのように、必死に頼む佐藤。

 だがザラメは、ぶんぶんと首を横に振る。


「ダメです! 佐藤さんを巻き込んじゃいます!」

「僕は気にしないから」

「ザラメが気にしますよ! ……こういうのはなんというか、段階を踏んでですね」

「何モジモジしてんだエロザラメ」


 コートの襟を上げて胸元を、足を揃えて太ももを隠しながら、ザラメは遠慮がちに目を伏せていた。


 一心不乱にラムネを注ぎ込む。

 何か大事な目的を忘れてる気がするが、まぁ些細なことなんだろう。

 思考は放棄。高ぶる感情と荒ぶる本能に身を任せ、新たなラムネ瓶に持ち変える。

 するとその時だった。


 ピンポンパンポーン。


 生徒のいない学校には不相応な、呼び出し音が聞こえてきたのは。

 強張りながらも聞き取りやすい声の主は、さっきから姿の見えないデウスだ。


「ミドウ、ミドウ。佐藤青年が大ピンチだ。至急、生徒会室まで来たまえ」


 そういや、ミドウを探してたんだったわ。


「佐藤さん、もうちょっとだけ耐えてください! ミドウさんが来てくれるまで!!」


 依然として俺の背を掃除機で吸いながら、ザラメは声を掛ける。


「モゴゴっ死ぬっ、無茶だって」

「そこを何とか!」

「こ、郡。僕ら竹馬の友だろう? なら、僕の限界を察してやめてくムグっ!」


 竹馬の友が離れていかないよう顎をがっちり掴み、3本纏めて押し込む。


「竹馬の友だからこそ、お前の限界をちゃあんと把握してんだよ。これ微炭酸だから、あと2本と3分の1はいけるな」

「んん〜!!」


 足をバタつかせ抵抗するも虚しく、佐藤の口内を満たす炭酸飲料。


「んモゴっ、誰、かっ、助けっ……」


 その願いも、もはや届かないと思われたが……

 

「せんせー!! 無事? 五体満ぞ……く?」


 なんと蝶番の外れかかった扉をすり抜け、ミドウが飛び込んできた!

 続けて筋肉標本に、所々接合を間違えた骨格標本が扉をこじ開けて入ってくる。


「取り込み中だ、後にしろ」

「後にしちゃダメです郡さん! 異変の犯人、張本人!! あとミドウさん、佐藤さんを助けてあげてください!!」

「これではどちらが敵か分からんな」


 デウスも遅れて入ってくる。

 顔は“再起”したはずなのに、毛虫や百足を見るかのように歪んでいた。


「ゴポゴポ……」

「せんせーっ……!」


 泡を噴き、縋るような上目遣いでミドウを見つめる佐藤。

 対してミドウは息を呑む。目を丸くし、袖で口元を隠し。浮きながら、上体は前のめりになる。

 その様子に、ツカイマの主であるデウスが気づかない訳がなかった。


「ここまでの興奮状態は初めてだ。みな、気をつけろ!」


 仲間を人質に取られ、焦りやら怒りやらに駆られているんだろう。


「こんなの…………」


 ラムネを持つ手に、汗が滲む。

 ザラメたちも固唾をのむ。

 教室に、緊張の糸が張り巡らされていた。


 このままいくと、間違いなくミドウにやられる。

 佐藤の敵討ちとして、こてんぱんにフルボッコ。

 だからといって、やられっぱなしも癪だ。


「近づいてみろ、こいつがどうなっても良いならな」

「もはや“主人公”のセリフとは思えん」


 あくまでも牽制だ。

 だが効果はあるみたいだ。ミドウは浮いたまま後ずさり、眉を潜め神妙な面持ちを浮かべる。

 そして……、


「正直とってもアリだヨ!!」


 …………なんて?


「アタシさっきから、胸がゾクゾクするんだヨ! でもこんな感覚、“みどう”の記憶にもなくて……すっごく興味津々だヨ!!」


 一同お口がクレーター。

 こいつは何を言ってるんだ。


「標本ブラザーズ、準備お願い!」


 ミドウがそう指示すると、筋肉標本は音響のマイクを、骨格標本は照明を俺たちに向ける。

 

「まぶしっ」


 思わず目を細めた。

 劈くような光が熱い。

 甲高い声が、教室を占拠する。


「さぁ見せてヨ、満たしてヨ! アタシの知らないトキメキを!!」

「2人とも、ミドウの願いは“未知なる刺激”だ!! 良い感じの撮れ高を頼むぞ!」


 加えてデウスが、両手で作った筒を自分の口元に運び、ディレクションしやがる。

 

「おまっ?! 誰がそんなこと」

「今ミドウの視界に映るのは、青年ら2人だけ。すなわち、君たちなら異変を終わらせられる!!」

「安心してください郡さん! コスズちゃんには見せないようにするので!!」


 ザラメの手が、コスズの両目を覆う。

 当のコスズは興味があるのか、その隙間を縫って覗こうとしているが。


「なぁに。しっとりなシーンにはモザイクをかけておくからな。思う存分やりたまえ!」

「気が散るなら、ザラメも目を瞑っておきます! ギューッ」

「見たいー……」


 あいつら外野が口々に言ってくるせいで、気づかなかった。


「だああもう! お前らは黙っ――」

 

 椅子ごと立ち上がり、顔を寄せる幼馴染に。


「――っ!?」


 気づけば、濡れた唇が重なっていた。

 交わる吐息の、あたたかな感触が籠る。


「お返し」


 ようやく離れた顔は、仄かに赤らんでいた。


「僕だって、やられっぱなしはイヤなんだから」


 そう告げる唇は尖っていて。

 穏やかな眼に潜む強かな眼光……朝焼けと同じ、朱い瞳を前にして立ち竦む。


 郡 遠弥24歳。

 今日という日を、俺は忘れられないだろう。

 ――初めては、ラムネの味がした。







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